上多度志駅
上多度志駅 | |
---|---|
かみたどし Kami-Tadoshi | |
◄円山 (6.1 km) (3.2 km) 多度志► | |
所在地 | 北海道深川市多度志町字上多度志 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 深名線 |
キロ程 | 10.8 km(深川起点) |
電報略号 | カタ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1946年(昭和21年)6月1日 |
廃止年月日 | 1995年(平成7年)9月4日 |
備考 | 深名線廃線に伴い廃駅 |
上多度志駅(かみたどしえき)は、北海道(空知支庁)深川市多度志町字上多度志にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線の駅(廃駅)である。電報略号はカタ。深名線の廃線に伴い1995年(平成7年)9月4日に廃駅となった。
歴史
- 1946年(昭和21年)6月1日 - 運輸省深名線の上多度志仮乗降場(局設定)として開業。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1950年(昭和25年)1月15日 - 駅に昇格。上多度志駅となる[1]。荷物取扱い開始[1]。
- 1954年(昭和29年)6月1日 - 貨物取扱い開始。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 業務委託化。
- 1974年(昭和49年)10月1日 - 貨物取扱い廃止。
- 1982年(昭和57年)3月30日 - 荷物取扱い廃止。無人(簡易委託)化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
- 時期不詳[注 1] - 簡易委託廃止、完全無人化。
- 1995年(平成7年)9月4日 - 深名線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(名寄方面に向かって左手側)に存在した。分岐器を持たない棒線駅となっていた[2]。かつてはこのホームは島式ホームであり、1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では使われなくなった駅舎側の1線は交換設備運用廃止後も分岐器が深川方、名寄方の両方向とも維持された形で側線として残っていたが[3]、その後1993年(平成5年)までには撤去された[2]。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が改築されて残っていた。駅舎は構内の南西側に位置しホームから少し離れていた。無人化後に縮小され間口が狭くなっていた。
駅名の由来
この節の加筆が望まれています。 |
当駅の所在する地名より。
利用状況
- 1992年度(平成4年度)の1日乗降客数は12人[2]。
駅周辺
水田に囲まれており[3]、農協のほか民家が散在するのみであった[2]。
- 北海道道98号旭川多度志線
- 北海道道875号多度志一已線
- 多度志川[4]
- ジェイ・アール北海道バス深名線「上多度志」停留所
駅跡
廃線と同時にすべての施設が撤去され、跡形も分からなくなっている。2000年(平成12年)時点では空き地になっており[5]、2010年(平成22年)時点でも引き続き空き地で、駅前にあった農業倉庫のみが残っていた[6]。また周辺の線路跡も道路化される模様であった[6]。2011年(平成23年)時点でも同様で、砂利敷きの広場であり、バスの転回場になっていた[7]。
また、2010年(平成22年)時点では当駅と円山駅との間にあった「多度志トンネル」の、硬質ブロックを積み上げた名寄方坑口が残存しており、北海道道875号から見ることができた[6]。2011年(平成23年)時点でも同様で、坑口は土嚢で塞がれていた[7]。
隣の駅
脚注
注釈
出典
- ^ a b 「日本国有鉄道公示第2号」『官報』1950年1月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)74ページより。
- ^ a b 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)204ページより。
- ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)9ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング、2000年1月発行)34ページより。
- ^ a b c 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)40ページより。
- ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)174-175ページより。