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栗原美和子

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栗原 美和子(くりはら みわこ、1964年12月15日- )は、日本のテレビプロデューサー

共同テレビジョン第1制作部企画担当部長でエグゼクティブ・プロデューサー福岡県直方市出身。早稲田大学第一文学部卒業。

来歴

1987年フジテレビジョン入社。当初はバラエティ番組のADディレクターとして『オレたちひょうきん族』や『笑っていいとも!』などの制作に携わる。その後、フジテレビ深夜ローカルのお笑い番組『笑いの殿堂』(ビデオ化、舞台化もされている)のAPを務める。この番組でウッチャンナンチャン内村光良が番組内で栗原の物まねを披露し「栗原スーザン美和子」でわがままな女を演じる。

1992年より第一制作部でドラマを手がけることとなり、1994年仰げば尊し』でプロデューサーデビュー。2002年放映のドラマ『人にやさしく』では、スタッフロールで「栗原美和子♥」と自分の名前にハートマークをつけていた。

2009年、フジテレビから子会社の共同テレビに出向。2011年8月、LaLa TVのエグゼクティブプロデューサーに就任。2013年いっぱいでLaLaTVとの契約を終了し、2014年より共同テレビに再出向し、現職。

原夏美というペンネームで文筆活動も展開している。原夏美としてのデビューは、2004年に放映されたドラマ『東京湾景』の脚本。また、2005年には小説『スタートライン 盲目のスプリンター[1]』を著し、同年に自らのプロデュースで『スタートライン〜涙のスプリンター〜』としてドラマ化した(脚本:いずみ吉紘)。著書「せきららら」(講談社)。

しばしば『お台場明石城』などバラエティ番組に出演する。「明石城」では奉行(企画の品評役)の一人として出演している。お台場明石城での「サンデージャポンしか見てないんですよ」発言がきっかけとなり、2005年10月9日のサンデージャポン(TBS)にVTR出演。

人物

実家は日蓮宗の寺院。

2007年猿まわしコンビ「太郎次郎」の村崎太郎と結婚[2]。翌2008年10月、自身と村崎の2人を元にした私小説『太郎が恋をする頃までには…』(幻冬舎)を発表した。

2008年12月28日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)のプロデューサー(当時)竹本輝之宛に手記を寄せている。フジテレビ社員としてではなく一個人として書いたと前置きしたこの手記で栗原は、同番組の差別問題を特集した回の第1弾(11月16日放送)を自身の母が観たことに触れた。手記の内容は差別問題特集の第2弾(2008年12月28日放送)で公開され、また夫の村崎がゲスト出演した。

それに続いて、2010年6月に『橋はかかる』(ポプラ社刊)を、村崎太郎と夫婦共著で出版。同著は全国図書館協議会の選定図書に認定されている。夫婦共に、全国の人権問題を勉強するセミナーなどの講師として活動していた。

2015年、前年より別居していた村崎太郎と離婚。

プロデュース作品

特記のないものはフジテレビ放送の作品。

連続ドラマ

単発ドラマ

映画

著書

  • 赤裸ララ―オンナ33歳ゾロ目の告白(1998年)
  • せ・き・ら・ら・ら―生意気プロデューサーの告白(2003年)
  • おとなり婚(2007年)
  • うつ恋(2008年)
  • 太郎が恋をする頃までには…(2008年)
  • 産まない女(2009年)
  • 40女が電撃結婚するレシピ(2009年)
  • 40女と90日間で結婚する方法(2009年)
  • 橋はかかる(2010年)
  • テレビの企画書~新番組はどうやって生まれるか?~(2015年)

脚注・出典

  1. ^ 原夏美『スタートライン 盲目のスプリンター』講談社、2005年、362頁。ISBN 978-4062129152 
  2. ^ 栗原は、この年3月に放映された、村崎の著書を原作とする単発ドラマ「太郎と次郎〜反省ザルとボクの夢〜」のプロデューサーを務めている。

関連項目

外部リンク