コンテンツにスキップ

桂塩鯛 (4代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Telneet (会話 | 投稿記録) による 2018年9月15日 (土) 12:03個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎出典: リンク先変更のため修正)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

4代目桂 塩鯛かつら しおだい
4代目桂 塩鯛
本名 山下 眞史
生年月日 (1955-02-09) 1955年2月9日(69歳)
出身地 日本の旗 日本京都府京都市
師匠 2代目桂ざこば
名跡 1. 桂都丸 (1977年 - 2010年)
2. 4代目桂塩鯛 (2010年 - )
出囃子 鯛や鯛
活動期間 1977年 -
活動内容 上方落語
所属 米朝事務所
受賞歴
ABC漫才落語新人コンクール最優秀新人賞(1983年)
文化庁芸術祭賞最優秀賞(1999年)
大阪舞台芸術奨励賞(2003年)
備考
上方落語協会理事

4代目桂 塩鯛(かつら しおだい、1955年2月9日 - )は落語家京都府京都市生まれ。本名は山下 眞史(やました ただし)。所属事務所米朝事務所上方落語協会理事。2代目桂ざこば一門の筆頭弟子である。前名は桂都丸(かつら とまる)。京都出身であることと、ざこばの当時の名である朝丸からと名付けられた。出囃子は「鯛や鯛」(都丸時代は「猫じゃ猫じゃ」)。既婚。茨木市在住。

来歴・人物

朱雀第七小学校、朱雀中学校(陸上部)、京都市立堀川高等学校卒業。立命館大学経営学部中退。1977年1月3日桂朝丸(現在の2代目桂ざこば)に入門。

当初は米朝に入門を申し出ているが、住み込み修行中の弟子が多いため断られ、その後、2代目桂枝雀にも申し出たものの、米朝同様弟子がいたため断られている。

そして、KBSラジオでパーソナリティーをしていた「桂朝丸のモーニングサークル」の放送終了後に出待ちをし弟子入り志願したが、朝丸が29歳という若さだったため一旦弟子入りを断られた。しかし「それでも噺家になりたいなら米朝に相談したる」と言われ、2人で大師匠の3代目桂米朝のいる楽屋に行き相談の末に「朝丸の弟子やけど稽古はワシが付ける」という条件で弟子となった。朝丸(ざこば)は後に塩鯛襲名の口上の中で「当時米朝は弟子を持つことで朝丸の成長も期待していた。」と述べている。

朝丸は初めての弟子ということもあり要領がわからず、最初は朝丸宅近くにアパートを借り通い弟子となった。大阪府茨木市唯敬寺「雀の会」において、『宿屋町』で初舞台を踏んだ。

1980年には仮面ライダー スカイライダーMBS制作・TBS) で「がんがんじい」こと「矢田勘次」役で後半の34話から出演し、全国の子供らに人気を博す。朝のホットライン (TBS系)にリポーターとしても出演し、全国に名が知られた。1998年より大阪成蹊大学国文学科で非常勤講師も務める。2007年6月石垣島ではじめて独演会(落語会)を開催した。

2010年8月6日に4代目「桂塩鯛」を襲名した[1][2]

熱烈な岡村孝子ファン、近鉄ファン、そして鉄ちゃん[3]。元は巨人ファンだったが、巨人は子供が応援する球団であることを悟り、近鉄ファンになる。既婚で、子供が2人、孫が2人いる。13kgほど痩せて75.1kg(2014年1月時点)。

得意ネタ

主な受賞歴

出演番組

テレビ

ラジオ

CD

  • 桂都丸の落語を聞く会 ( - 5集、自費制作盤)

編書

弟子

脚注

  1. ^ 毎日新聞 (2009年4月22日). “落語:四代目桂塩鯛を桂都丸さん襲名 66年ぶりの復活”. 毎日jp. 2009年4月23日閲覧。
  2. ^ “落語:四代目桂塩鯛を襲名 大阪で披露公演”. 毎日新聞. (2010年8月6日). http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20100807k0000m040067000c.html 2010年8月12日閲覧。 
  3. ^ 1995年5月28日に発足した鉄道模型愛好者団体「京都トンネル倶楽部」の設立総会に参加。出典:株式会社エリエイ出版部プレスアイゼンバーン発行の鉄道月刊誌『とれいん』1995年7月号42ページに設立総会で挨拶をする写真が掲載されている。

出典

関連項目

外部リンク