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モアテン・オルセン

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モアテン・オルセン
名前
カタカナ モアテン・ペア・オルセン
ラテン文字 Morten Per Olsen
基本情報
国籍  デンマーク
生年月日 (1949-08-14) 1949年8月14日(74歳)
出身地 ボアシングボア
身長 183cm
体重 74kg
選手情報
ポジション DF
代表歴
1970-1989[1] デンマークの旗 デンマーク 102 (4)
監督歴
チーム
1989-1992 デンマークの旗 ブレンビーIF
1992-1994 ドイツの旗 1.FCケルン
1997-1998 オランダの旗 アヤックス・アムステルダム
2000-2015 デンマークの旗 デンマーク代表
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

モアテン・オルセン(Morten Olsen, 1949年8月14日 - )はデンマーク出身の元同国代表サッカー選手、ポジションはDF(リベロ)。

デンマーク語発音により近い表記は「モーデン・オールスン」。

略歴

現役時代はベルギーのRSCアンデルレヒトなどに所属し「世界最高のリベロ」と評された世界屈指のセンターバックであった。同胞のアラン・シモンセンと比べると大器晩成型の選手で30代を過ぎてから世界的に注目されるようになった。

デンマーク代表では名将、ゼップ・ピオンテック監督の下で主将を務め、ダニッシュ・ダイナマイトと評された攻撃的なチームを守備の面から支え、80年代の同国の躍進に大きく貢献した。

1989年に39歳で現役引退すると直ぐに指導者の道を歩み、ブレンビーIFアヤックスで監督を務めた後、2000年にデンマーク代表の監督に就任する。ヨン・ダール・トマソンイェスパー・グレンケアらを擁する好チームを作り上げ、2002年のワールドカップ日韓大会と2004年のUEFA EUROでは本大会に進出し、共に決勝トーナメントに導いたが、2006年のワールドカップドイツ大会欧州予選ではウクライナやトルコ、ギリシャといった強豪が集う死のグループに属し予選3位の結果に終わった。

2010年ワールドカップ南アフリカ大会ではベテラン選手を中心としたチームを編成しオランダ日本カメルーンからなるグループEで3位に終わった。

2012年ヨーロッパ選手権ウクライナ・ポーランド大会ではドイツポルトガルオランダからなるグループBで3位に終わった。

2015年3月17日2016年ヨーロッパ選手権フランス大会後に監督職から引退することを表明した。

最終的に2016年ヨーロッパ選手権フランス大会予選のプレーオフでスウェーデン代表を相手に敗戦し、本大会出場権を逃した直後に監督職から引退した。

15年間代表監督を務めたオルセンはデンマーク代表の歴史上最も長く代表監督を務めた人物である(2位は同職を11年間務めたゼップ・ピオンテック)。

所属クラブ

指導歴

タイトル

クラブ

監督

個人

出典