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甲斐中 文治郎(かいなか ぶんじろう、1898年(明治31年)1月[1] - 1974年(昭和49年)12月24日[1])は、日本の弁護士[2]、政治家。衆議院議員 (1期) を務めた。
経歴
兵庫県城崎郡五荘村(現・豊岡市)栃江に生まれる[2]。苦学の末、弁護士にとなり、斎藤隆夫の秘書になった[2]。斎藤隆夫の死を受けて地盤を受け継ぎ、1952年の第25回衆議院議員総選挙に出馬して初当選。1953年の第26回衆議院議員総選挙で落選。1958年の豊岡市長選では現職の佐川辰夫に敗れた[2]。
脚注
参考文献
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。