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シンガポール航空117便ハイジャック事件

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シンガポール航空117便
ハイジャックに遭遇した機体(1999年チャンギ空港にて撮影)
ハイジャックの概要
日付 1991年3月26日
概要 ハイジャック
乗客数 114 (ハイジャック犯を除く)
乗員数 9
負傷者数 2
死者数 4 (ハイジャック犯)
生存者数 123 (全員、ただしハイジャック犯を除く)
機種 エアバスA310-324
運用者 シンガポール航空
機体記号 9V-STP
出発地 スバン空港
目的地 チャンギ空港
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シンガポール航空117便ハイジャック事件(しんがぽーるこうくうひゃくじゅうななびんはいじゃっくじけん)は、1991年3月26日スバン空港チャンギ空港行きの便に4人のパキスタン人によってハイジャックされた。翌朝、シンガポール軍は4人のハイジャック犯を射殺し、乗員乗客全員を解放した。この事件は、A310初の事故であった。

出来事

飛行機の機体、エアバスA310 (9V-STP) はマレーシアスバン空港をマレーシア時間21:15に118人の乗客と11人の客室乗務員を乗せて出発した。まず高度5000ftまで上げ、21:35、シートベルト着用サインを消した。ハイジャッカーの2人は右のトイレ、もう2人は左のトイレに入った。その1-2分後、ハイジャッカー4人は客室乗務員の1人に向かって"This is hijack, Don't move, Stay where you are"(これはハイジャックだ、動くな、その場所にいろ!)と叫び始めた。

その後、客室乗務員の1人が機長にハイジャックの発生を知らせる。飛行機がシンガポール空域に入った時にハイジャックをシンガポール管制塔へ連絡。着陸の前に、ハイジャック犯のリーダーがコックピットに入り、シドニーへの飛行を機長に要求した。機長は燃料がないと飛行機が墜落してしまうと言い、リーダーは再給油のみの着陸を許可した。

22:00、政府やシンガポール軍へ連絡が入った。22:15、飛行機はチャンギ空港に着陸した。着陸後、ビジネスクラスファーストクラスの乗客はエコノミークラスに座らされた。

翌27日02:30、2人の男性客室乗務員がハイジャッカーにより飛行機から投げ出された。06:45、シンガポール政府に勤務するパキスタン人がハイジャッカーに最終警告を出した。その約5分後、シンガポール軍の特殊部隊 (SAF CDO FN英語版) が機内に突入し、わずか30秒でハイジャッカー全員を射殺した。犯人のうち2人はコックピットに、2人はキャビンにいた。06:50、乗客乗員はスライダーで飛行機から脱出した。

その後

シンガポールの首相ゴー・チョクトンは記者会見を行い、シンガポール航空117便が解放されたことを正式に宣言した。SQ117の機長スタンリー・リムと救出作戦の最高責任者フーキアジュア、そして警察ナビゲーターたちに、公共サービススターの受賞がSAF CDO FNによって受賞された。

機体

ハイジャックされた機体は1988年11月22日に初飛行した。その機体は2001年5月11日にエアプラスコメットに渡された。航空機は白に塗装され、9V-STPからEC-HVBに登録を変更された。2003年5月31日をもって飛行を終了し、その後アメリカ合衆国にあるMojave Air and Space Portで保管された。2005年4月25日に、N443RRというナンバーで登録されていた機体は解体された。

9V-STPは現在A330-300型機に登録されている。

外部リンク