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美保純

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みほ じゅん
美保 純
美保 純
本名 曽根 ちよ美(そね ちよみ)
生年月日 (1960-08-04) 1960年8月4日(64歳)
出生地 日本の旗 日本静岡県静岡市
身長 158cm
血液型 A型
職業 女優
ジャンル 映画、テレビドラマ、舞台
活動期間 1981年 -
配偶者 なし
事務所 ノックアウト
公式サイト 公式プロフィール
主な作品
映画
男はつらいよ』シリーズ
テレビドラマ
菊次郎とさき
クライマーズ・ハイ
あまちゃん
 
受賞
日本アカデミー賞
第6回 新人俳優賞『ピンクのカーテン
第10回 助演女優賞『男はつらいよ
ブルーリボン賞
第25回 新人賞『ピンクのカーテン』
その他の賞
第20回 ゴールデン・アロー賞グラフ賞
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みほ じゅん
美保 純
プロフィール
生年月日 1960年8月4日
現年齢 64歳
出身地 日本の旗 日本静岡市
血液型 A型
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 158 cm / 45 kg
BMI 18
スリーサイズ 82 - 59 - 84 cm
活動
デビュー 1982年
ジャンル 女優日活ロマンポルノ
モデル内容 一般、ヌード
備考 映画・舞台
モデル: テンプレート - カテゴリ

美保 純(みほ じゅん、1960年8月4日 - )は、日本女優タレントコメンテーター。本名は曽根 ちよ美(そね ちよみ)。

静岡県静岡市(現・葵区)出身。ノックアウト所属。

略歴

静岡市出身。実家は木工業を営み、父は家具職人[1]。兄と姉がいる[2]。中学生時代、部活はバレーボール部に所属[3]

静岡精華学園高等学校中退[4][1]。静岡市内のデパート勤務の後、1980年に「ディスコ・クィーン・コンテスト」へ出場して優勝する(審査員の1人は小林克也だったことをオフィシャルブログ内で明かしている)。その後上京して広告代理店でアルバイト中にスカウトされ[1](スカウトしたのはテレビドラマや映画のプロデューサーで、1983年当時美保の所属していたプロダクションの社長でもあった大曲暎一[5])、1981年に映画『制服処女のいたみ』で主演デビューする。1982年には映画『ピンクのカーテン』でブルーリボン新人賞を獲得した。

「隣のお姉さん」的な親しみやすいキャラクターで、週刊誌のグラビアなどに登場して人気を博し、デビューから約1年後には一般映画にも出演した。『男はつらいよ』でタコ社長(太宰久雄)の娘・あけみ役などに抜擢される。

現在も多くの映画、テレビドラマ(『菊次郎とさき』、『クライマーズ・ハイ』)、バラエティ(『Dのゲキジョー』パネラー)に出演し、活躍している。

エピソード

  • デビュー前、静岡市内にあった西武百貨店に勤務していた。そのデパートの目の前で静岡駅前地下街爆発事故が発生した。大騒ぎの最中、店内に美保の姿がなく、確認が取れなかった。もしや店外に出た際に爆発に巻き込まれたのではないか? と懸念の声が上がっていたまさにその現場に、周囲が騒いでいる光景に驚いた顔をしている美保が現れた。実は事故が起きた時間帯は美保の昼休み時間に当たっており、恋人と狐ヶ崎ヤングランドに出掛け、デートを楽しんでいたという。同僚や上司は安堵するやら、呆れるやらだったという。美保自身も自著で「当日、休みだったら巻き込まれていたかもしれない」といったようなことを振り返っている[6]
  • デビューした当初は、公式プロフィールの年齢を1歳サバ読んでいた。デビューが決まった当時20歳だったが、「10代でヌードになるのと20歳でなるのとではインパクトが全然違う」と当時のマネージャーから言われ、19歳でデビューしたようにされていた[1](『風に吹かれて』巻末(p.220)のプロフィールも「1961年昭和36年)生まれ」となっている)。
  • 1982年に日清食品焼そばUFO」のテレビCMに出演した。日活ロマンポルノでデビューした女優がCM出演することは当時では珍しかった。また、同年国鉄夜行バスドリーム号」のポスターに採用された。掲示していたポスターが粗方盗まれるほどの人気ぶりだった。
  • 1989年、オープンカーを運転していた時に電柱に衝突する事故を起こしている。その際、フロントガラスに頭から突っ込んでしまい、破片が頭部や顔面を激しく裂傷したため8針ほど縫った。またその後、女優でタレントであることを考慮し、傷痕や引き攣りなどを修正するため美容外科で手術を施した[7][注釈 1]
  • 5時に夢中!』では中村うさぎとの掛け合いの絶妙さから「うさじゅん」コンビと呼ばれていた。
  • ポルノ女優時代のことを隠そうとはしておらず、「5時に夢中!」でも自ら当時の裏話や思い出話をすることが多い。
  • 小顔のため、デビュー当時のニックネームは「干し首ミイラ」だったとのこと[8]
  • 美保純」という芸名の由来について、名字の『美保』は三保の松原から取ったものであり(名付け親は映画監督の渡辺護[9]、下の名前の『純』はデビュー当時に“レイコ"や“ジュンコ”といった芸名が流行っていたことからジュンコを取り、「ミホジュンコ」だと語呂が悪いので“子”の部分を省いて「美保純」となったという。

受賞歴

  • 1982年 - ブルーリボン賞・新人賞(『ピンクのカーテン』その他)
  • 1982年 - ゴールデン・アロー賞・グラフ賞
  • 1983年 - 日本アカデミー賞・新人俳優賞(『ピンクのカーテン』シリーズ)
  • 1987年 - 日本アカデミー賞・助演女優賞 (『男はつらいよ 柴又より愛をこめて』『キネマの天地』)

出演

映画

アニメ映画

テレビドラマ

NHK

日本テレビ

TBS

フジテレビ

テレビ朝日

テレビ東京

WOWOW

tvk

バラエティー・教養・トーク番組

ラジオ

舞台

CM

レコード

  • 裏切り人形(ドール) 1982年発売デビュー曲
    C/W 恋哀劇
  • やっぱ酔うしかないよね
    C/W Shadow Dancer
  • 憎みたいほど...SUKI
    C/W ベッドでSUNRISE
  • O・KA・TA・ZU・KEの唄 1984年12月16日発売
    C/W ブライダル・コンプレックス
  • 二人のメラメラ(鶴 & JUN)片岡鶴太郎とデュエット

LPレコード

  • プライベート・シアター 1983年発売 8ページ写真集付
  • O・KA・TA・ZU・KE 1984年 全6曲

書籍

  • 風に吹かれて (にっかつ出版、総和社 1982年)
  • ひとりぼっちが恐い (青春出版社(プレイブックス) 1983年)
  • 俺たちと唄おう! ― 北方謙三・美保純青春相対問答 (集英社 1986年)

出典

  1. ^ a b c d 週刊文春 2007年2月15日号「新・家の履歴書」(p.110 - 113)
  2. ^ 『ひとりぼっちが恐い』p.73
  3. ^ 『ひとりぼっちが恐い』p.26 - 28
  4. ^ 週刊テレビ番組(東京ポスト)1989年10月13日号 p.46
  5. ^ 『ひとりぼっちが恐い』p.207
  6. ^ 『ひとりぼっちが恐い』p.85
  7. ^ 私の何がイケないの? 2013年10月7日放送回”. gooテレビ (2013年10月7日). 2016年4月20日閲覧。
  8. ^ 美保純twitter(2012年1月15日)
  9. ^ 早世のマドンナたち② 可愛かずみ(1)”. アサ芸プラス (2012年6月28日). 2016年10月31日閲覧。
  10. ^ 江口洋介は短髪!石橋冠監督作「人生の約束」に西田敏行&ビートたけしら主演級ずらり”. 映画.com (2015年3月18日). 2015年3月18日閲覧。
  11. ^ “松田龍平主演「泣き虫しょったんの奇跡」に永山絢斗、染谷将太、妻夫木聡、松たか子ら結集!”. 映画.com. (2018年3月16日). http://eiga.com/news/20180316/4/ 2018年3月16日閲覧。 
  12. ^ 松重豊、葛飾北斎役でアニメ声優初挑戦! 原恵一監督作「百日紅」主要キャスト発表”. 映画.com (2015年2月27日). 2015年2月27日閲覧。

注釈

  1. ^ 美容目的というよりは、元に戻すことを前提にした内容であったという。また、美容外科医から美容目的の内容も勧められたと言うが「これ以上治す(手を加える)と美保純ではなくなってしまう」と拒否したことも告白した。

外部リンク