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伊藤俊人

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伊藤 俊人(いとう としひと、1962年2月16日 - 2002年5月24日)は、日本の俳優。新潟県新潟市出身。


新潟明訓高等学校日本大学藝術学部演劇学科演技コース卒業。大学時代は落語研究会に所属。

1983年、三谷幸喜らによる東京サンシャインボーイズ旗揚げ時のメンバーと解されることがあるが、実際は劇団の活動時期としては後期のメンバーである。

三谷とは日藝の同期であったが、卒業後は就職し、サラリーマンになっていたが、ある時に再会し、サンシャインボーイズへ参加(初参加は1990年7月の『12人の優しい日本人』初演から)。

以降、ほとんどの三谷作品には出演していた。

2000年10月、『ショムニ』の撮影で出会ったスタイリストの女性と交際半年でスピード結婚。

踊る!さんま御殿!!』に出演した際にドラマで見せるしっかりした演技とは裏腹にオドオドした素の顔を見せ、その後もさまざまなバラエティ番組に出演した。

2002年5月24日17時18分、くも膜下出血のため死去。40歳没。レギュラー出演していたテレビドラマ『ショムニ』の続編『ショムニFINAL』の撮影数日前であった。通夜は5月28日、告別式は5月29日から共に東京都中野区の宝仙寺で行われた。この時、『ショムニ』の出演者で会見に応じたのは石黒賢のみであったが、会見中はばからず涙した。葬儀委員長は三谷、喪主は伊藤の妻がそれぞれ務めた。東京都新宿区落合斎場で火葬された。

『ショムニFINAL』の第1回は伊藤の追悼に捧げられ、そのエンディングで「ご冥福をお祈りします」とのテロップが付された(『ショムニFINAL』以降は野々村課長の代役は立てられず、海外赴任中との設定となった)。

黒ぶちのメガネを使うことも多い個性派名脇役であった。『真実を追う男』が最後の出演番組となり、自身の死後の2002年11月11日に放送された。

2009年、東京サンシャインボーイズ復活公演「returns」において、生前時の伊藤の声を抽出した声の出演という形で仲間との共演を果たす。