日本原水爆被害者団体協議会
表示
日本原水爆被害者団体協議会(にほんげんすいばくひがいしゃだんたいきょうぎかい)は原爆被爆者唯一の全国組織。略称は日本被団協。英語名称はJapan Confederation of A- and H-Bomb Sufferers Organizations。
概要
広島・長崎で原爆の被害を受けた被害者の生存者(被爆者)によって都道府県ごとに結成されている被爆者団体46団体が加盟する被爆者唯一の全国組織。次のような活動を行っている。
- 核兵器廃絶と原爆被害への国家補償要求
- 日本政府、国連、諸国政府への要請行動
- 核兵器の廃棄、撤去、核兵器廃絶国際条約の締結、国際会議の開催、非核法の制定、原爆被爆者援護法の国家補償の法律への改正、被爆者対策の充実など
- 被爆の実相の国内外への普及活動
- 原爆被害の調査・研究、出版、展示、集会、代表派遣
- 被爆者の相談・援護活動
傘下に社団法人日本被団協原爆被爆者中央相談所がある。
なお、今は山形県には加盟団体は存在しない。 さらに2008年7月現在、高齢化による役員の後継者不足などにより、奈良県と滋賀県(滋賀県被爆者友の会)の被団協組織が解散している。
また、広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協)は、1962年ソ連の核実験や1963年の部分的核実験禁止条約評価をめぐり、「いかなる国のいかなる理由による核実験にも反対」とする原水爆禁止広島県協議会(広島県原水禁)・社会党・総評と、「防衛的立場の社会主義国の核実験を帝国主義国の実験と同列に論じるのは誤り」とする日本共産党・原水爆禁止日本協議会の対立の影響を受け、1964年に分裂した。
これら2つの広島県被団協は名前が全く同じであるため、理事長名(坪井直、金子一士)をつけて区別する。
広島県被団協(理事長・坪井直)は、旧社会党・総評系・2000年時点で会員約2万人。 広島県被団協(理事長・金子一士)は、日本共産党系・2000年時点で会員約3千人である。 旧社会党系の広島県被団協は本協議会に加盟しているが、共産党系の同名団体は加盟していない(オブザーバー参加)。
組織等
- 本部所在地 東京都港区芝大門1丁目3-5 ゲイブルビル9階
- 代表委員 坪井直・谷口稜曄(2017年8月30日死去)・田中煕巳(2017年6月選出)
- 事務局長 木戸季市
- 事務局次長 和田征子
- 機関紙 「被団協」(月刊)
沿革
- 1954年(昭和29年)3月 アメリカがビキニ環礁で水爆実験を実施。静岡県焼津港のマグロ漁船第五福竜丸が被爆 7月、原水爆禁止広島県民運動連絡本部が発足
- 1955年(昭和30年)8月 広島市公会堂で原水爆禁止世界大会開催 9月、原水爆禁止日本協議会(原水協)が発足
- 1956年(昭和31年)5月 広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協)が結成 8月10日、長崎市で開催された第2回原水爆禁止世界大会の2日目に、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成
- 1962年(昭和37年) ソ連の核実験をめぐり原水爆禁止世界大会で対立。
- 1963年(昭和38年) 原水爆禁止世界大会が分裂大会となる。
- 1964年(昭和39年) 共産党系の広島県被団協が別に大会を開き、広島県被団協は分裂。
- 1967年(昭和42年) 「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」(原爆特別措置法)成立
- 1970年(昭和45年) 『ウルトラセブン』のスペル星人問題。東京都被団協の抗議を発端に全ての被団協が行動を起こす
- 1977年(昭和52年) 原水禁と原水協が統一大会を開くことで同意、2つの広島県被団協が分裂後初の統一決起集会
- 1984年(昭和59年) 「原爆被爆者の基本要求」を発表
- 1986年(昭和61年) 原水禁、原水協などの大会が9年ぶりに再分裂
- 1994年(平成6年) 「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」成立
- 1996年(平成8年) 国際司法裁判所が勧告的意見「核兵器の使用と威嚇は一般的には国際法違反」
関連項目
- 原水爆禁止日本協議会(原水協)
- 原水爆禁止日本国民会議(原水禁)
- 反核運動
- 伊東壮 - 経済学者、元代表委員
- 石田忠 - 社会学者、元専門委員