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バンバ通り

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バンバ通り(ばんばどおり)とは宇都宮市の繁華街である。

概要

宇都宮二荒山神社から見たバンバ。上野百貨店新館跡地には大林組が24階建複合マンション、シティータワー宇都宮が竣工した。

宇都宮二荒山神社前から宇都宮城址公園に向けて南方に伸びる通りで、二荒山神社の門前町である。二荒山神社門前の仲見世通りとして、戦前は宇都宮第一の繁華街であった。戦後も宇都宮商業地の中心として発展し、大通りとバンバ通りの交点角には西武百貨店上野百貨店新館・本館の3館が一つ交差点に相面して店を構え、宇都宮最大の繁華街の中核を成した。1997年平成9年)には唯一空いていた交差点角にパルコがオープンした。

バブル崩壊後の不況や、前述した足利銀行の経営危機による市全体の経済停滞などが原因で2000年平成12年)には上野が倒産、また2002年平成14年)には西武も撤退した。その後、2003年平成15年)には西武に代わりラパーク長崎屋(のちにMEGAドン・キホーテに業態転換)が入居、また上野本館のあった一角も再開発によりうつのみや表参道スクエアが建設された。ラパーク長崎屋はファミリー層、宇都宮パルコとうつのみや表参道スクエアの両施設は若者を中心に集客し一定の成功を収めており、往時ほどではないが宇都宮の中核的な商店街として買い物客で賑わっている。

バンバ通りの歴史

バンバ通り付近は中世には荒尾崎と呼ばれ、宇都宮明神(現在の宇都宮二荒山神社)あるいは下野宇都宮氏菩提寺のひとつ東勝寺の境内地であった。江戸時代までに現・二荒山神社と宇都宮城本丸を結ぶ馬場が形成され、現在のパルコの一角は二荒山神社下之宮があり、江戸期には日光堂があった。宇都宮氏の時代から宇都宮城と宇都宮明神の間を結ぶ参道であったと言われるこの通りは馬場と呼ばれるようになり、これが転訛して「バンバ」と呼ばれるようになったとも言われている。現在はパルコとラパーク長崎屋の付近からオリオン通り入口にかけて、若年女性向けアパレルショップやテイクアウト飲食店などが軒を連ね、門前町から若者の街へと変貌を遂げている。