大阪連続バラバラ殺人事件
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大阪連続バラバラ殺人事件 | |
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場所 |
![]() 大阪府富田林市(1件) 大阪市住吉区(1件) 大阪市西成区(1件) 大阪市中央区(1件) |
日付 | 1985年(昭和60年)5月 - 1994年(平成6年)3月 |
攻撃側人数 | 1人 |
死亡者 | 5人 |
犯人 | 男K(犯行当時44歳 - 53歳) |
対処 | 死刑(執行済み) |
大阪連続バラバラ殺人事件(おおさか れんぞくバラバラさつじんじけん)とは、1985年5月から1994年3月までのおよそ9年間、大阪市で4人の女性と1人の少女が殺害された事件。少女以外の遺体はすべてバラバラにされた(バラバラ殺人)。警察庁広域重要指定122号事件。
事件
- 1985年5月 - 家出中の主婦とスタンドバーで意気投合、自宅アパートに連れ込み絞殺。遺体をバラバラにして兵庫県神戸市の雑木林に遺棄。
- 1985年6月 - 富田林市の知的障害者施設を4月に抜け出して通天閣界隈で遊んでいた女性に声をかけて、寿司屋に入った後アパートに連れ込んだ。ここで関係を持ったが、小遣い1万円を渡したところ「少ない」と言われたため殺害。遺体をバラバラにして奈良県広陵町の竹薮に遺棄した。遺体は6月17日に発見された。
- 1987年1月 - 大阪市住吉区で小学3年生の少女を、いたずら目的で自宅アパートに連れ込む。いたずらをしようとするが騒がれたため絞殺。豊能町に遺体を遺棄。殺害後、家族に身代金を要求する電話をかけている。
- 1993年7月 - 近所でホステスを自宅アパートに連れ込み、関係を持とうとするも金の交渉を持ち出され、彼女に貢いでいた犯人は逆上して絞殺。遺体をバラバラにして豊能町に遺棄。
- 1994年3月 - 大阪市中央区在住の女性を自宅アパートに連れ込み、関係を持ったが、金の交渉がこじれたため絞殺。遺体をバラバラにして箕面市の山林に遺棄。Kは盗品の洋服を破格の値段で販売していて、女性はなじみの客という関係だった。
- 1995年4月 - 窃盗の疑いで西成区在住のKが逮捕される。彼の指紋が1985年6月に奈良県で遺体が発見された殺人事件の犯人から警察に送られてきた挑戦状から検出された指紋と一致。Kは5人の殺人事件を自供。
犯行の動機
愛媛県で生まれ育ったKは妻と死別後、西成区に移り、盗品を飲食業の女性たちに破格の値段で販売して生計を立てていた。太った体と愛嬌があり、女性客から「Kちゃん」と親しみを込めて呼ばれるほど人気があった。
しかし金を払うとなると、札束を見せびらかして羽振り良さそうに見せるものの、会計は非常に細かい上に、ささいなことで逆上しやすく、普段の「Kちゃん」の愛嬌はみじんもなかった。
殺人はいずれも通りすがりの少女や女性や、さほど親しくない女性に、「Kちゃん」と愛嬌をふりまき安心させ、己の性欲を満たす目的で自宅に連れ込み、ささいなトラブルから逆上して殺害。遺体を遺棄する際、運搬しやすいようにバラバラにしていたことを自供。その供述を裏付けるかのように、殺害した中で唯一、少女のみバラバラにされていなかった。
裁判
- Kは裁判中、終始一貫して無罪を主張。学生誘拐事件では「知り合いの男性が殺害し、遺体は頼まれて捨てただけ」と主張。残りの事件についても「親交のあった会社社長が共犯者」と主張した。
- 1999年3月24日 - 大阪地方裁判所で死刑判決(5件の殺人事件の間に、2度の窃盗罪で服役しており、確定判決を間に挟んだ罪は併合されないという刑法の規定により、2つの死刑判決が下される)。
- 2001年3月27日 - 大阪高等裁判所で控訴が棄却され死刑判決。
- 2005年7月8日 - 最高裁判所で上告が棄却され死刑が確定。大阪拘置所に収監された。再審請求を行っていた。
- 2016年3月25日 - 岩城光英法務大臣の執行命令に基づき大阪拘置所にてKの死刑が執行された。同日には久留米看護師連続保険金殺人事件(黒い看護婦の題材)の死刑囚の死刑も執行された[1]。
関連項目
出典
- ^ 2人の死刑執行 女性5人殺害のK死刑囚ら、15年12月以来 日本経済新聞 2016年3月25日。記事名に死刑が執行された死刑囚2名の実名が使われているため、この箇所をイニシャルにした。