房総往還
房総往還(ぼうそうおうかん)は千葉県船橋市から館山市まで通じる街道である。別称で上総道、木更津道、房州道、江戸道などがある。
街道 | |
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房総往還 | |
起点 | 千葉県船橋市宮本5丁目「大神宮下」 |
主な 経由都市 |
千葉市中央区、市原市、袖ヶ浦市、木更津市、君津市、富津市、南房総市 |
終点 | 千葉県館山市長須賀「塩留橋」 |
接続する 主な道路 (記法) |
国道14号 国道296号 国道357号 国道51号 国道126号 国道128号 国道297号 国道409号 国道410号 国道127号 国道465号 |
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概要
千葉県の内房の大部分を通っており、現在多くの国道や主要地方道が踏襲し現存している。正確な成立年は不明であるが、江戸時代には確立しており多くの生活路・輸送路として役割を果たした。大規模な街道のため一部地域では上総道、木更津道、房州道、鎌倉道と記され、江戸や行徳方面に対しては江戸道と記された。船橋大神宮から千葉広小路までは千葉県道路愛称名により千葉街道として構成されているが、それより以南では正式の愛称名を付けられていない。明治期には国道として整備され軍事面の役割が高まり、各地で鉄道と共にその役割は増進した。また、高度経済成長期に船橋・習志野・千葉の街道間際まで海岸があったが埋め立てられたことで、現在の4車線のバイパス道路が建設されることになった。なお、千葉市内では国道と旧千葉街道と当街道で入り乱れている箇所が多々存在する。千葉中央区では千葉県全体に接続する多くの街道と接続している[1][2][3] [4]。
路線状況
起点の船橋市「船橋大神宮下」交差点では東船橋駅方面に成田街道・東金御成街道と分岐している。その後、千葉街道として国道14号を習志野方面に市街地を過ぎると、京葉道路幕張ICに至る。その後、県道57号方面に分岐し、幕張町付近で逸れる。なお、京成幕張駅付近のアンダーパスにより一部が途切れる。花見川区検見川町付近では古代の街道と中世以降の街道とで入り混じり、稲毛区はなえの公園付近では一部が途切れる(街道の痕跡として国道の脇の道路が少し膨らむ形を描いている)。稲毛浅間神社手前に出ると、ここから穴川方面へ至る。県道134号と県道133号を進み、「園生十字路」で県道72号旧道を進み、「稲毛区役所」に出る。その後直進すると、「天台駅」に出て国道126号を進む。その後、東千葉駅付近で分岐をするが、街道跡は駅と化しているため通行は不可である。「院内小学校入口」で再び国道126号と合流してしばらくすると、「広小路交差点」に出る。なお、「広小路交差点」では佐倉街道、「大和橋」交差点では旧銚子道(旧東金街道)、「県庁前駅」交差点では大網街道(県道20号、末広街道)と接続している。「港町」交差点以降は国道357号(湾岸道路)と並行して市街地を通過し、しばらくすると旧生浜村中心街の県道66号の「浜野」付近に出る。ここから緑区方面に接続する。それより以降は国道16号と並行しており、内房線と共に市街地を通過、県道287号、県道87号、県道270号を進む。「県道長須賀」付近で木更津駅方面に曲がり木更津以南では再び国道16号と並行するが、「畑沢」付近で曲がるとそこから消失区間が続く(市境付近が跡地である)。君津駅を過ぎると、県道157号と重なるが、農道と分岐し富津聖苑から消失区間が始まる。「亀沢」付近で国道127号が踏襲するが、佐貫町駅で県道256号が踏襲する。富津市上総湊駅付近から南房総市富浦町多田良まで国道127号がほぼ踏襲しており、それより終点までは再び市街地を通過する[5][6][7]。
主な経由地
関連項目
脚注
注釈
出典
- ^ “ちばの街道を歩こう(房総往還を歩く)”. 千葉市HP. (2019年11月20日) 2019年11月20日閲覧。
- ^ “房総往還(ぼうそうおうかん)”. 君津市HP. (2019年11月20日) 2019年11月20日閲覧。
- ^ “房総往還地図”. 地図. (2019年11月20日) 2019年11月20日閲覧。
- ^ “百街道一歩の房総往還”. 房総往還について. (2019年11月20日) 2019年11月20日閲覧。
- ^ “房総往還①”. 京葉ガス. (2019年11月20日) 2019年11月20日閲覧。
- ^ “房総往還②”. 京葉ガス. (2019年11月20日) 2019年11月20日閲覧。
- ^ “房総往還”. 房総往還. (2019年11月20日) 2019年11月20日閲覧。