コンテンツにスキップ

海堡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Ka23 (会話 | 投稿記録) による 2020年1月22日 (水) 10:44個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎第二海堡)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

海堡(かいほう、かいほ)は、海上に人工的に造成した砲台を配置した、洋上にある要塞の一つである。日本では明治大正に建設された複数の海堡が主に東京湾に存在している。

第一海堡、第二海堡は千葉県富津市、第三海堡は神奈川県横須賀市に属する。

日本の海堡

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

日本は明治から大正にかけて、山縣有朋陸軍大将大日本帝国要塞化を主張。東京湾には千葉県富津岬沖から、神奈川県観音崎沖側にかけて首都防衛のために3か所の人工島が造成された。完成後は兵舎や砲台が建設され、自然島である猿島とあわせて東京湾口に円弧状に存在する防衛ラインの一環として運用された[1]

第二海堡と第三海堡は1923年9月1日関東大震災により被災し、その年の内に廃止・除籍された。第一海堡はその後も使用され、東京湾要塞の一部として第二次世界大戦の終了時まで運用された。

なおこれらの東京湾に作られた海堡は、現在は洋上要塞として機能していない上に、東京湾周辺の海上交通の輻輳から海難事故の原因と指摘されていることから、ヨット愛好家でもある石原慎太郎をはじめ、船舶運航関係者が特に現在も残る第二海堡の撤去を主張している。一方で、建設当初に堅牢に設計されたために、撤去が困難である部位を残している。

第一海堡

1881年8月起工、1890年12月完成。富津市に属する。富津岬の沖合いすぐに位置し、面積は約23,000m2東京湾要塞の海堡として最初に運用が開始された。第二次世界大戦後に日本を占領下に置いた連合国軍により、要塞無力化のために現在は中央部が破壊されている。

土砂の堆積と関東大震災による隆起のため、富津洲と地続きになっていたことがある。海底の水深は1.2mから4.6mであり、第一海堡を撤去しても航路として活用するには浚渫が別途必要である。富津岬突端の展望台からは神奈川県横須賀市を背景に第一・第二海堡を一望することができる。

現在は海上保安庁によって灯台が設置されている。なお財務省の所管であり、無断での立ち入りはできない[2]

第二海堡

1889年8月起工、1914年6月完成。第一海堡と共に富津市に属する。浦賀水道と内湾の北側境界に位置し面積は約41,000m21923年9月1日の関東大震災により被災、その年の内に廃止・除籍された。

その後大日本帝国海軍が使用し、第二次世界大戦中は対空砲が設置されるほか、敵潜水艦の東京湾への侵入を防ぐ防潜網が設置された。第二次世界大戦の敗戦にともない第一海堡同様、施設を爆破処理される。戦後は灯台が設置され、さらに1977年からは海上災害防止センター[3]の消防演習場として利用されている。

以前は神奈川県からの渡し舟で釣り人が渡航していた。侵食が進んでいることによる安全上の理由から2005年6月末に立入りが禁止された[4]。ただし後述のテレビ番組撮影などのほか、許可を得た上陸ツアーが行われることがある[5]

現在は第一海堡とともに海上保安庁によって灯台が設置されている。浦賀水道航路および中ノ瀬航路に接し、くの字に折れ曲がった航路の凹部に隣接する。海底の水深は8mから12mであり、第二海堡を撤去しても喫水の大きい船が航行するには更なる浚渫が必要。

将来、直下型の大地震が起きた際に劣化した護岸が崩壊し、流出する土砂が航路の海底に堆積して大型船舶の往来を妨げる危険があることから、2006年度から護岸整備工事が行われている。2014年、『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画にて、TOKIO城島茂山口達也国土交通省の許可(放送内容が「東京湾の海洋環境の再生に対する啓蒙活動の一助となるとの考え」で許可が降りた)のもと、国有地の第二海堡に立ち入り、『DASH海岸』の一環として生態系を調査した[6]

2018年、管轄する国土交通省は、観光資源の開発を目的に、試験的に第二海堡への観光ツアーを認めた。2019年より民間観光業者によって上陸ツアーが開催されている[7]。今後も灯台と消防演習場として存続される予定である。

第三海堡

1892年8月起工、1921年完成。横須賀市観音崎沖に建設され、面積は約34,000m2。三つの海堡の中で最も深い、水深約39メートルの位置に造成されたため難工事となり、完成までに30年を要している。しかし完成から2年後の関東大震災により崩壊して4.8メートルも沈下し、全体の三分の一が水没した。復旧は困難と判断されて廃止・除籍された。

第三海堡跡は浦賀水道航路に隣接し、海上交通の輻輳から海難事故の原因と指摘されていた。航路として安全な水深を確保するため2000年12月から撤去工事が進められ、2007年8月に完了した。吊り上げられた構造物は第三海堡跡南西2,000m の海域に投棄され、魚礁などに再利用されているほか、一部は陸揚げして綿密に調査され、当時の土木工事の水準を超えた人工島造成技術が分析されている[8][9]

兵舎や弾薬庫など陸揚げされた構造物は、横須賀市浦郷町にある国土交通省関東地方整備局追浜展示施設で公開されている。また、大型兵舎はうみかぜ公園に展示されている。

脚注

  1. ^ 東京湾の海堡 概要(3つの海堡)”. 国土交通省 関東地方整備局 東京湾口航路事務所. 2016年5月10日閲覧。
  2. ^ 東京湾の海堡 第一海堡”. 国土交通省 関東地方整備局 東京湾口航路事務所. 2016年5月10日閲覧。
  3. ^ 海上災害防止センターは1977年当時は認可法人。2003年より独立行政法人、2013年より一般財団法人
  4. ^ 東京湾の海堡 第二海堡”. 国土交通省 関東地方整備局 東京湾口航路事務所. 2016年5月10日閲覧。
  5. ^ 第二海堡上陸ツアー 東京湾要塞~人工島の砲台陣地跡をみる産経新聞社(2018年8月24日閲覧)
  6. ^ 『ザ!鉄腕!DASH!!』、第二海堡にTV初上陸 TOKIO山口「こんな無人島があるとは」”. 2014年9月28日閲覧。
  7. ^ 東京湾の旧要塞、上陸ツアー解禁 明治・大正時代に建設 朝日新聞デジタル 2019年5月11日18時49分
  8. ^ 東京湾の海堡 第三海堡”. 国土交通省 関東地方整備局 東京湾口航路事務所. 2016年5月10日閲覧。
  9. ^ 第三海堡撤去”. 国土交通省 関東地方整備局 東京湾口航路事務所. 2016年5月10日閲覧。

関連項目

海堡が登場する作品

外部リンク