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ジョルジャ・メローニ

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ジョルジャ・メローニ
Giorgia Meloni
イタリアの旗 イタリア共和国無任所大臣
(若年層政策担当大臣)
任期
2008年5月8日 – 2011年11月16日
首相シルヴィオ・ベルルスコーニ
イタリアの旗 イタリア共和国下院副議長
任期
2006年4月4日 – 2008年4月28日
イタリアの旗 イタリア共和国下院議員
就任
2006年4月21日[1]
個人情報
生誕1977年1月15日 (38歳)
イタリアの旗 イタリアラツィオ州
ローマ県ローマ
国籍イタリア民族
政党イタリア社会運動 (1992-1995)
国民同盟 (1995-2009)
自由の人民 (2009-2012)
イタリアの同胞 (2012-)
専業ジャーナリスト
宗教ローマ・カトリック

ジョルジャ・メローニイタリア語: Giorgia Meloni1977年1月15日 - )は イタリア政治家イタリアの同胞(FdI)代表。

無任所大臣第3次ベルルスコーニ内閣)、下院副議長、下院議員(4期)、国民同盟(AN)及び自由の人民(PdL)党青年団書記長、イタリアの同胞(FdI)副代表などを歴任した。

経歴

生い立ち

1977年1月15日イタリア共和国の首都ローマに生まれる。両親がそれぞれイタリア島嶼部出身(父はサルデーニャ島、母はシチリア島)という家庭に育っている。幼少期からネオ・ファシズムを掲げるイタリア社会運動(MSI)を通じて政治運動に関わり、15歳の時にはMSIの党青年団である「イタリア青年戦線」に入会している。1996年までアメリゴ・ヴェスプッチ寄宿学校で学んだ後[2]ジャーナリストとして活動を始めた。

取材活動の傍ら政治運動も継続し、2000年にRSIがイタリア国民同盟(AN)に移行するとAN党員となった。2004年、ANの党青年団「青年行動」の全国書記長に女性党員として初めて選出されている。

政界進出

2006年4月4日、MSI時代に党青年団指導者から議員に推された経験を持つジャンフランコ・フィーニ同盟書記長に引き立てられ、同年の総選挙に党公認を受けてラツィオ州第1比例区に出馬し、29歳で下院議員に当選した。2007年、国民同盟とフォルツァ・イタリアが合流して結成された自由の人民(PdL)が設立されると、Pdlの党青年団「若きイタリア」の全国書記長も兼任している[3]。2008年、総選挙ではラツィオ州第2比例区で再選、第3次ベルルスコーニ政権が成立すると青年政策に関する無任所大臣に抜擢されて初入閣した。31歳での大臣就任はイタリア統一以来の最年少記録となっている[3]

2012年、ベルルスコーニの汚職問題を契機にPdLから旧AN系議員が大量離脱する中、自身もPdLを離党した。一方でマリオ・モンティ政権を支持したフィーニ派のイタリアのための未来と自由(FLI)には合流せず、4名の議員と小政党としてイタリアの同胞(FdI)を結党した。程なく国民同盟の幹部であったイグナジオ・ラ・ルッサ元国防相が離党して国民中道右翼(Centrodestra Nazionale)を結党すると、自身の派閥を合流させてイタリアの同胞・国民中道右翼(FdI–CN)を結成した。新組織では代表となったルッサから副代表に任命された。

2013年、共和国議会総選挙では故郷のラツィオ州から北部のロンバルディア州第3比例区に選挙区を移し、下院議員として3期目を迎えた。FdI全体でも約60万票を獲得して自身も含めた下院議員9名が当選した。

2014年、ルッサの書記長任期終了によって後任の書記長に就任した。就任と同時に党名をイタリアの同胞・国民同盟(FdI-AN)に改称して旧AN系・MSI系政党の再結集を図る意向を示し、党青年団「国家青年英語版(Gioventù Nazionale)」を設置するなど組織固めを進めた。同年の欧州議会選挙では議席獲得は果たせなかったものの、イタリア全土で約100万票を集めている。

2016年、右派連合からローマ市長候補に擁立されて予備選では約20%の支持を得て第3位候補となったが、妊娠中に出馬した事などが賛否を分けて右翼票を集めきれず、同じ女性政治家で五つ星運動に所属するヴィルジニア・ラッジに敗れた。2017年、マッテオ・レンツィ政権の総退陣に繋がった憲法改正投票に党と共に反対票を投じている。

2018年、共和国議会総選挙では党名をイタリアの同胞(FdI)に戻す事を発表した。本選挙では小選挙区制が復活した事からラツィオ州の第7小選挙区(ラティーナ県)に中道右派連合の公認を受けて出馬、約40%の票を得て当選した。選挙でFdIは前回の倍以上となる約140万票を得票して下院議員33名・上院議員17名が選出されて第5党となった。一度は空中分解状態に陥っていた旧国民同盟勢力を着実な組織運営で纏めなおし、イタリア社会運動時代の党勢にまで回復させている。

略歴

出典

外部リンク