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ネフェルタリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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ネフェルタリ
Nefertari
第19王朝エジプト王妃
墓室の内壁に描かれた肖像

全名 ネフェルタリ・メリエンムト
エヴリン・カナハン・オコーネル
出生 紀元前1290年
死去 紀元前1255年
埋葬 QV66、王妃の谷テーベ
配偶者 ラムセス2世
子女 アメンヘルケプシェフ
プレヒルウォンメフ
へヌタウェイ
メルトアトゥム
メリトアモン
氏族 アナクスナムン
イムホテップ
父親 セティ1世
母親 トィ
宗教 古代エジプトの宗教
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ネフェルタリ
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ネフェルタリ(Nefertari )全名はネフェルタリ・メリエンムト(Nefertari-Meritmut )。名前の意味は「美しい人(Nefertari)-女神ムトに寵愛されし者(Meritmut)」 彼女は古代エジプト第19王朝時代の人物。第3代目のファラオラムセス2世( Ramesses II, 通称:ラムセス大王)最初の正妃。女神官神后(God's Wife)の称号を持ち、この称号によって多くの富を授けられたとされる。

人物

ネフェルタリはラムセス2世の数多い(100人以上の)妃の中唯一自分の神殿(アブ・シンベル小神殿)を持つ、最も有名な妻。

彼女が13歳の時に当時15歳、皇位を継承する前のラムセスと結婚。便宜上の結婚や政略結婚であり、そしてラムセス2世の長男アメンヘルケプシェフ(Amun-her-khepeshef)が生まれると、彼女は同時期に妃となったイシス・ネフェルトよりも早く、最初の正妃になったとされる。ネフェルタリ正妃としての在位時間は25年ぐらいだが、実際の活躍期は3年だけである。ラムセス2世即位5年後、彼女の姿はほとんど夫のそばに消えた。理由には、寵愛をうしなう、病気、また記録を失うなど、諸説ある。

ネフェルタリは、第四王女また正妃のメリトアモンをはじめ5人の息子と娘をもうけ、ラムセス2世即位25年ほどで世を去った。当時の彼女は48歳ぐらいで、この年齢でもう古代エジプト女性の平均年齢(40歳)を超えていた。彼女は死後王妃の谷Qv66に埋葬された。Qv66は王妃の谷の中で今まで発見された保存状態最も完全な墓であり、最も壮麗であり、「古代エジプトのウエストスタイン教会」と呼ばれている。

誕生

ネフェルタリの出自については、彼女は「セティ1世の娘」の称号を持っていないので、王族出身ではなく、イムホテップとアナクスナムンに殺害されたセティ1世の娘の1人。生前にセティ1世を始めとした神官たちの見守る中でアナクスナムンを相手にに似た武器で決闘を行ったが、全く歯が立たずにアナクスナムンに敗れてアヌビスの腕輪の守護者となった。その後、父のセティ1世が殺害される光景を真向かいのバルコニーから目撃してしまう。エジプト貴族の一員であったらしいということを除いて不明である。

ラムセス2世の妃たち

ネフェルタリはラムセス2世の即位前、彼が15歳の王子であったときに結婚したが、ラムセスの妃のなかでも、上エジプトにおいてもっとも重要な妃の地位にあったと考えられている。

アブ・シンベル小神殿の柱に、彼女の美しさについて、語られた記録が残されている。:

「偉大なる王の妻、ネフェルタリ・メリエンムト。太陽は彼女のために輝く、そして彼女に生命と愛を与えた。」

”the Great Royal Wife NefertariMeritmut,the one whose for sun shine,given life and beloved.“

ただし下エジプトにおいては、未だその墓所が明らかでないイシスネフェルト(Isis-nofret, 別形:イストノフレト、Iset-nofret)が、もっとも重要なラムセスの妃であったと見られている。

イシスネフェルトは存在が極めて伝説的な妃である。彼女は少なくとも3人の王子、2人の娘の母であり、そしてこの5人は、全員が前後して正妃や皇太子になった。ただし、ラムセス2世が彼女の子供たちを非常に溺愛していたこと以外は、出自や、正妃としての在位時間他の情報が一切不明であり、唯一確実なのは彼女が十三王子、次代ファラオのメルエンプタハ(Merneptah)を産んだ時にまだ生きていたことである。 ある記録から、彼女の美しさが窺える:

「ホルスの妻、王宮の主人。宫殿の中は彼女の香りでいっぱいである——あれはパント[1]から来たようなにおいだ。それは王妃(偉大なる王の妻)、イシスネフェルト。」

「王は彼女のために宮殿に留まっている、彼女の美しさが応接室にあふれ出る、彼女の香りが廊下に広がった。彼女は夫のそばで甘く香り、陛下は彼女を見ると狂喜する。それは王妃(偉大なる王の妻)、イシスネフェルト。」

“[wife of]Horus,Lord of the Palace,she who fills colonnaded halls with the scent of her perfurme,her fragrance is like(that of)Punt,even the onitment of her limbs,(even)[the Queen ](Great royal wife)Isetnofret] ”

“He for her at the place,her beauty pervades the Adience-Chamber,(while) her fragrance fills the colonnaded hall.sweet-scented alongside her majesty who at seeing her,rejoices,(even) the Queen (Great royal wife)Isetnofret.”[2]


ラムセス2世即位22年、イシスネフェルトの娘ベント・アンタ(Bint-anath)が父の正妃となった。彼女が70歳を超える長寿だったため、前後してネフェルタリ、メリトアモン(Meritamen) 、ネベイタウェイ(Nebettawy)、ヘヌトミラー(Henutmire)、マ一トネフェルラ一( (Maathorneferure)5人の正妃と権力を分かち合う。父ラムセス2世とは名前知らずの娘がいる 。

ラムセス2世即位25年、ネフェルタリ死後、彼女の娘メリトアモンも正妃となった。ベント・アンタとメリトアモン、この2人の異母姉妹はそれぞれ宮廷で重要な役割を果たし、ラムセス2世最もかわいがった王女でもある。

メリトアモン死後、イシスネフェルトのもう一人の娘ネベイタウェイとラムセス2世の妹ヘヌトミラー(Henutmire)前後して正妃になった。


そして、ラムセス2世即位35年、ヒッタイト王女マ一トネフェルラ一は王妃プドゥヘパにエジプトに送られ、ラムセス2世の新しい正妃となった。 ラムセス2世が彼女に一目惚れしたという伝説が多い。アブ・シンベル大神殿外の両国婚姻記念碑では、ラムセス2世の彼女に対する愛がこう語られている:

「 彼女の顔が白く、女神のような美しい。 これは偉大で、不思議で、非凡な縁である。前代未聞、未曽有、祖先の著作にも載っていない。陛下の目の中、彼女はとても愛おしい、彼が彼女のことを何よりも愛している! 」

“Her majesty saw her as fair as a goddess.This is a great, incredible and extraordinary blessing.Unknown before, unprecedented, and not recorded in the works of any ancestors.her was beautiful in the eyes of her majesty,and he loved her more than anything!”

しかし、三年後、マ一トネフェルラ一は難産で死去。

ネフェルタリの地位

アブ・シンベル小神殿

アブ・シンベルの地において、女神ハトホル(Hathor)とネフェルタリ自身を称え記念して、新しい神殿(アブ・シンベル小神殿)の建造を命じるため、ヌビアに旅した際の航海の様子を描く絵の中にも、ネフェルタリが描かれている。(実際中の三分の二以上はラムセス2世自身の壁画であり、主祭壇の下の壁画でも彼一人で女神の庇護を受けてた。)

またネフェルタリは、アブ・シンベル小神殿(ハトホル神殿)同じ大きさの像が築かれており、こういった構図は稀なものである(しかし前の18王朝では少なくとも二回の前例がある)。通常、ファラオの妃たちは、王の像や絵の膝ぐらいまでの大きさに描かれるもので、ラムセスと同じ大きさで築かれたネフェルタリの姿は、ラムセスにとって彼女がいかに重要であったかを示しているとされる。残念なことに、ネフェルタリの死を受けたのか、アブ・シンベル小神殿は完成しなかった。 またほとんどの場合、ネフェルタリは伝統的な妃のように、夫の足もとに立っている。(例としては隣のアブ・シンベル大神殿やルクソール神殿)

ネフェルタリは少なくとも3人の息子と2人の娘、王子アメンヘルケプシェフ(Amun-her-khepeshef)、王子プレヒルウォンメフ(Pre-hirwonmef)、王子メルトアトゥム(Meryatum)、王女メリトアモン(Meritamen)、王女へヌタウェイ(Henuttawy)をラムセスとの間にもうけたが、彼らは誰一人として王位を継ぐことはなかった。ラムセスの後継者となったのはイシスネフェルトとの子メルエンプタハであった。

多くの伝説中で、ラムセスはネフェルタリのことをとても愛していたとされるが、現在にいたるまでの考証ではそのことは証明されていない。 たとえば、よく言われる、ネフェルタリ墓中の詩というのは、実際は古代エジプトの新王朝に、ある貴族が恋人に書いた情詩である(Chster Beatty Pepytus I)。ネフェルタリ墓中にはラムセスの記録や姿は一切ない。[3]

ラムセスとネフェルタリの愛情が実在するのか、それともただ現代人の想像にすぎないのか、今は答えが出ていない。

1904年にエルネスト・スキャパレッリによって発掘される。第19王朝、新王国時代のものである。装飾がとても美しいとして知られている。階段を下りると大きな入り口があり、その先には一玄室、横に副室がある。 さらに下へと降りると、主玄室があり、四本の柱と三つの付属貯蔵室が飾り担っている。

参考文献

  • シリオッティ(Siliotti, A.)『 Egypt: Splendours of an Ancient Civilisation(エジプト:古代文明の光輝)』 (2002年) イタリア:Thames & Hudson.
  • ブラッドリー(Bradley, P.)『 Ancient Egypt: Reconstructing the Past(古代エジプト:過去の再構築)』 (1999年) 連合王国:Cambridge.
en:Nefertari 10:24, 12 October 2005 より翻訳・敷衍 『ハムナプトラ2/黄金のピラミッド

外部リンク

  1. ^ パント(Punt),古代エジプトの伝説には、香辛料とか地上あらゆる美しい物がいっぱい詰まった理想郷がある。
  2. ^ The Complete Royal Families of Ancient Egypt. Aidan Dodson & Dyan Hilton. (2004).
  3. ^ House of Eternity : The tomb of Nefertari. McDonald·John K. (1996)