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ヨーゼフ・リシン

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ヨーゼフ・リシン
生誕 1944年、ラトビア・ソビエト社会主義共和国リガ
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦ラトビア・ソビエト社会主義共和国
学歴 モスクワ音楽院
職業 ヴァイオリニスト

ヨーゼフ・リシンドイツ語: Josef Rissinロシア語: Иосиф Рисинフランス語: Joseph Ryssine、本名:ヨシフ・イズラエレヴィッチ・リーシン、ロシア語: Иосиф Израилевич Рысин1944年 - )は、ラトビアリガに生まれた、ドイツヴァイオリニスト作曲家

経歴

1962年モスクワ音楽院に入学し、ボリス・ベレンキー (Борис Беленький) に師事。国際的なコンクールでは、1967年エリザベート王妃国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で第10位、1969年パガニーニ国際コンクールで第6位に入賞を果たした。

後に、ドイツへ移住。ニコロ・パガニーニウジェーヌ・イザイパウル・ヒンデミットなどの無伴奏バイオリンのための作品をアルバムとしてリリースし、さらに妻であるピアニスト、オルガ・リシン=モレノヴォイ (Ольга Рисин-Мореновой) との共演により、フランツ・シューベルトロベルト・シューマンダリウス・ミヨーらの幻想曲や、ガリーナ・ウストヴォーリスカヤ作のヴァイオリンとピアノのソナタなどを発表した。

カールスルーエ音楽大学では教授としてヴァイオリンを教えた。リシンの弟子で最も有名になったのは、ローラン=アルブレヒト・ブロイニンガーロシア語版[1]セルゲイ・ハチャトゥリアン[2]である。日系ドイツ人のヴァイオリニスト、コー・ガブリエル・カメダもリシンの弟子である[3]

出典・脚注

  1. ^ Laurent Albrecht Breuninger”. Narodowy Instytut Fryderyka Chopina. 2012年6月6日閲覧。
  2. ^ セルゲイ・ハチャトゥリアン”. 日本アーティスト. 2012年6月6日閲覧。
  3. ^ コー・ガブリエル・カメダ プロフィール”. コー・ガブリエル・カメダ・ファン・クラブ. 2012年6月6日閲覧。