中地シゲヨ
なかち シゲヨ 中地 シゲヨ | |
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生誕 |
1905年2月1日![]() |
死没 |
2021年1月11日(115歳没)![]() |
死因 | 肝不全 |
住居 |
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国籍 |
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民族 | 日本人 |
職業 |
小学校教員 幼稚園教員 |
著名な実績 | |
配偶者 | 五郎 |
中地 シゲヨ(なかち シゲヨ、1905年〈明治38年〉2月1日 - 2021年〈令和3年〉1月11日)は、日本の教育者、スーパーセンテナリアン。佐賀県佐賀市に在住していた長寿の女性。存命中は田中カ子に次いで日本国内で2番目、世界全体で5番目の長寿であった。2020年2月14日に115歳13日を迎え、佐賀県内の最高齢記録を更新した。
同い年の著名人に加藤楸邨、高松宮宣仁親王、福田赳夫、ダグ・ハマーショルド、ダルトン・トランボなどがおり、中地が生まれた時には山脇正勝、ヴァルター・フレミング、ジョージ・マクドナルドらが存命していた。
人物
1905年(明治38年)2月1日、佐賀県佐賀市西与賀町の米屋の5人兄弟の2番目の長女として生まれる[2]。12歳で佐賀高等女学校に入学[4]。女学校時代に大隈重信の講義を聞いた経験を持つ[5]。卒業後、17歳から小学校教員として30年間勤務し[2]、戦後は資格を取得して62歳まで幼稚園教員として14年間働いた[2][3]。
小学校教員の頃は厳格な教師だったらしく、勉強が苦手な児童を毎日放課後居残りで指導し、頑張ったご褒美にあんパンを食べさせた[3]。また、退職後も教え子達と連絡を取り合い[3]、80歳になった教え子から「あの時叱って下さってありがとうございました。」と連絡が来たり[3]、教え子や友人達と旅行へ行ったり[2]したと言う。
私生活では、警察官の五郎と結婚し、五郎との間に1人の子を授かった[6]。
長寿記録
2011年時点で佐賀市内[7]、2017年9月時点で佐賀県内最高齢となっていた。
2019年9月時点で世界で4番目、日本国内で2番目の長寿者となっており、この時点で孫1人、曾孫4人、玄孫4人がいた[8][注釈 1]。
2020年2月1日、115歳の誕生日に際したインタビューで長生きの秘訣について尋ねられた際に「運動だろうね」と答えた[4]。
2021年1月11日0時5分、肝不全により死去[1]。115歳345日没。亡くなるまでに孫2人、曾孫4人、玄孫4人に恵まれた[5]。
脚注
注釈
- ^ その後、ブラジル在住のフランシスカ・セルサ・ドス・サントスの記録が認定され、5番目となった。
出典
- ^ a b 「【訃報】県内最高齢115歳 中地シゲヨさん死去」『佐賀新聞』佐賀新聞社、2021年1月12日。2021年1月12日閲覧。
- ^ a b c d e “県内最高齢、世界4位の115歳中地さん 笑顔の誕生日 家族、施設職員と祝う|まちの話題|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE”. 佐賀新聞LiVE. 2020年2月6日閲覧。
- ^ a b c d e 市報さが No.265(平成28年10月1日) - 佐賀市 (PDF)
- ^ a b 「県内最高齢、世界4位の115歳中地さん 笑顔の誕生日」『佐賀新聞』佐賀新聞社、2020年2月1日。2021年1月12日閲覧。
- ^ a b “佐賀県内最高齢・中地シゲヨさん死去”. SAGATV (サガテレビ). (2021年1月12日) 2021年1月14日閲覧。
- ^ “世界4番目の長寿に 県内最高齢の女性が115歳の誕生会【佐賀県】”. FNN.jpプライムオンライン. 2020年2月6日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “佐賀市 : 9月1日(木)の活動記録”. 佐賀市 (2011年9月1日). 2021年1月14日閲覧。
- ^ “県内最高齢、市長もお祝い 114歳の中地さん表敬訪問「ご苦労に感謝」灯ろう贈る|まちの話題|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE”. 佐賀新聞LiVE. 2020年1月9日閲覧。