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オマル・トリホス

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オマル・トリホス(右)

オマル・トリホス(Omar Torrijos 1929年2月13日 - 1981年7月31日は、パナマの軍人、政治家。軍事政権を確立し反対派を暴力で徹底的にねじ伏せたが、反米ナショナリストとして民衆から慕われた異色の軍人政治家である。

生涯

1929年、サンティアゴの教師の家庭に生まれる。幼少期に母親が米兵にぞんざいに扱われるの目撃する。エルサルバドルアメリカベネズエラの軍人学校で英才教育を受けたのち1952年に国家防衛隊に入隊し、反体制派の弾圧に辣腕を振るうようになった。1968年のクーデターに加わり、最高司令官となり全軍を掌握する。1972年には新憲法を制定して国の最高指導者としての全権を握り、民族的政策を打ち出して国民の熱狂的支持を集めた。その一環としてパナマ運河地帯の主権回復を目指し、キューバフィデル・カストロ議長と親交を深め、近隣諸国に協力を求めるなどアメリカに揺さぶりをかけた。こうして1977年アメリカと運河返還を約束する条約の締結に成功する。それ以外にも様々な国内改革を行い国民生活の改善に務めた。1978年、国家主席の座を退いたが国家防衛隊最高司令官としてとどまり、新たに結成した民主革命党(PDR)を通じて圧倒的影響力を発揮し続けた。1981年、謎の飛行機事故(暗殺?)で死亡した。

関連作品