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トリイステーション

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トリイ・ステーション
Torii Station
沖縄県 読谷村
トリイ通信施設
種類FAC6036
面積1,895,000㎡
施設情報
管理者沖縄の米軍基地 アメリカ陸軍
歴史
使用期間1945-
通信基地という使用目的だが、米陸軍は頻繁にトリイ・ステーションでの吊り下げ訓練を行っている。沖縄トリイ・ステーション第1特殊作戦航空部隊第1大隊が CH-46E シーナイトヘリからジャンプ。普天間海兵隊航空基地所属のヘリ HMM-262 の「フライングタイガー」から。(2004年8月4日)

トリイステーションTorii Station)とは、沖縄県読谷村にあるアメリカ陸軍の基地。トリイ通信施設とも呼ばれている。

概要

施設

トリイステーションは、その名の通り、基地のゲートにそびえ立つ鳥居が名前の由来であり、この鳥居が基地の象徴となっている。

  • 名称:トリイ通信施設(FAC6036)
  • 所在地:沖縄県読谷村
  • 施設面積:3,282,000㎡ (1972) → 1,895,000㎡ (2017)[1]
  • 管理部隊名:米陸軍トリイステーション基地管理本部
  • 地主数:1,355人
  • 年間賃借料:1,457百万円(2014年度)
  • 駐留軍従業員数:476人

使用部隊名:米国陸軍第10支援群司令部、米国陸軍第1特殊部隊群第1大隊第500軍事情報部隊沖縄支所、在日米陸軍通信部隊通信大隊、米陸軍トリイステーション基地管理本部

施設機能

使用主目的:通信所

1986年9月、陸軍第10地域支援群司令部が牧港補給地区から移駐してきたことにより、在沖米陸軍の上級司令部となった。

1990年10月、第1140通信大隊(現陸軍第58信号大隊)の要員、物資の一部が同施設に移動し、米陸軍宇宙部隊(USAESPACE)の移動通信衛星管制ターミナル・トリイ通信施設分遣隊が形成された。米軍の西太平洋地域における戦略通信網の最重要施設となっている[2]

返還協定での使用目的は「通信所」となっているにもかかわらず、米陸軍特殊部隊 (グリーン・ベレー) 第1特殊部隊 (1st Special Forces Group (Airborne)、第1大隊 (1st Batallion) の390人が、基地の護衛を名目として駐留している。[3]

施設のトリイ・ビーチは、4軍のビーチとして利用され、年に数回のビーチ一般開放日がある。

歴史

トリイ通信施設

1944年4月1日、渡具知 (Hagushi) 上陸地点

1945年4月1日、米軍の沖縄上陸地点となる[4]。8月から通信施設、車両重機整備場、軍需物資集積所として使用。

1952年2月14日、「楚辺トリイステーション」建設で強制接収。楚辺区住民の立ち退き命令。

1953年8月13日、「楚辺戦略通信所」建設で強制接収。渡具知区住民の立ち退き命令。

1972年5月15日、沖縄返還協定で楚辺トリイステーションと楚辺戦略通信所が統合され、「トリイ通信施設」として提供開始。

FAC6036 トリイ通信施設 楚辺トリイ・ステーション 継続使用
楚辺戦略通信所 部分返還

1973年9月15日、旧楚辺戦略通信所のアンテナ地区の大部分1,315,000 ㎡を返還。返還地の一部は、古堅小学校用地に。

1977年5月14日、27,000 ㎡を返還。

1979年10月31日、14,000 ㎡を返還。

1981年3月26日、隊舎として6,820 ㎡を追加提供。5月7日、消防施設等として1,000 ㎡を追加提供。

1984年3月、陸軍第1特殊作戦部隊(グリンベレー)再配備開始。

1986年9月、陸軍第10地域支援群司令部が牧港補給地区から移転。

1988年5月、衛星通信施設を建設。7月3日、駐車場と倉庫建設のため、黙認耕作地の明け渡しを要求。

1999年3月31日、約38,000㎡ の返還。[3]

トリイ通信施設部分返還地

1973年9月15日、米軍は南側に隣接する渡具知・古堅地域「旧楚辺戦略通信所」(ストラトカム受信施設) のアンテナ地区の大部分1,315,000 ㎡を返還した[5]

1945年4月1日の米軍上陸地点であったため、村は壊滅的な被害を受け、渡具知住民は1949年にやっと帰村許可がおりていったん帰村するが、1953年に土地収容令によって土地を再接収され、1954年の1月から比謝・西原地区にやむを得ず集団移住することになった。1973年「旧楚辺戦略通信所」の部分返還が決まった。「復帰先地公共施設整備事業」を始動し、渡具知の住民の帰村はそれから3年程かけて可能となった[6]

主な事件や事故の一例

トリイ・ステーションのある海域は米軍の訓練海域ではないにもかかわらず、近年、吊り下げ等や落下等の事例が多く報告されている。また、中部地域の基地が密集している地域のため、汚染や渋滞問題の解決が望まれている[7]。すぐ北側には人気の観光施設ともなっている都屋漁港やホエールウォッチングの生け簀、サーフィンの海岸、また中部のリゾートホテルが並んでいる。

1978年、基地から約 350mほど海域へ敷設されている排水管から、未処理のままのし尿や生活排水が海に排出され、沿岸を汚染した。

1980年5月19日、楚辺海岸にある施設の排水溝から汚水がたれ流され海を汚染していた。

1988年8月8日、施設内で爆発事故が発生し、陸軍特殊部隊隊員1名が負傷した[3]

2006年、トリイを飛び立った普天間飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリが、つり下げの軍用車両をすぐ北側の都屋漁港護岸近くの海上に落下。

2009年11月7日、トリイ・ステーション兵士がひき逃げ事件を起こす[8][9]

2018年4月1日、米軍トリイ通信施設から夜の読谷村にサイレン音が響く[10]

特殊部隊の訓練基地として

主要使用目的は通信施設であるが、近年、陸軍特殊部隊の訓練施設としての使用頻度が増えている。2019年9月24日、米特殊作戦軍の2018米会計年度軍事建設事業計画によると、車両や武器を整備するため特殊作戦部隊用の「戦術装備品整備複合施設」(TEMF) の建設が進められている[11]。インド太平洋地域での軍事作戦を実施する施設、グリーンベレーの拠点としての機能が強化されている。

脚注

  1. ^ 防衛省 在日米軍施設・区域(専用施設)面積一覧
  2. ^ FAC6036トリイ通信施設/沖縄県”. www.pref.okinawa.jp. 2020年2月26日閲覧。
  3. ^ a b c 沖縄県 米軍基地環境カルテ (2017)
  4. ^ 総務省|一般戦災死没者の追悼|読谷村における戦災の状況(沖縄県)”. 総務省. 2020年2月26日閲覧。
  5. ^ 施設の位置と面積”. heiwa.yomitan.jp. 2021年2月18日閲覧。
  6. ^ 沖縄総合事務局「平成29年報告書」PDF
  7. ^ 沖縄本島中部の有機フッ素化合物(PFAS)汚染:米軍基地と「ごみ山」 |”. The Informed-Public Project Okinawa (2019年9月22日). 2020年2月26日閲覧。
  8. ^ 報道制作局, 琉球朝日放送. “読谷村ひき逃げ事件 県警 米兵を容疑者と断定”. QAB NEWS Headline. 2020年2月26日閲覧。
  9. ^ 報道制作局, 琉球朝日放送. “読谷村ひき逃げ事件 軍が米兵のだ液提出”. QAB NEWS Headline. 2020年2月26日閲覧。
  10. ^ 夜の読谷村に響くサイレン音 米軍トリイ通信施設から、機械の故障か | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2020年2月26日閲覧。
  11. ^ 読谷トリイに整備施設 米軍特殊部隊建設 機能強化か、武器備蓄も 琉球新報 2019年9月25日

関連項目

外部リンク

座標: 北緯26度22分45秒 東経127度44分12.1秒 / 北緯26.37917度 東経127.736694度 / 26.37917; 127.736694