拉致議連
拉致議連(らちぎれん)または拉致救出議連(らちきゅうしゅつぎれん)とは、北朝鮮による日本人拉致問題の解決と拉致被害者の救出をめざす超党派の議員連盟。正式名称は「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」。
設立経緯
新潟市の横田めぐみ(1977年失踪。失踪当時は13歳)らの失跡が問題化したのを受け、1997年4月15日、自由民主党衆議院議員の中山正暉が会長となり、超党派の「北朝鮮拉致疑惑日本人救援議員連盟」(旧拉致議連)が設立された[1]。しかし、日朝国交正常化交渉再開を最優先する会長の中山正暉の対応などをめぐって意見が対立し、同議連が休眠状態となったため、2002年4月に中堅・若手議員が中心となり現在の議連を発足させた[1]。
旧拉致議連の混乱
旧拉致議連において当初中山は「拉致問題が解決するまでは北朝鮮に対して食糧支援を行わない」と発言するなど強硬な姿勢を見せ、議連も一致してその原則で臨んでいた。しかし中山は1997年11月に平壌を訪問して以降、急きょ各方面に拉致事件否定説を発表するなど不可解な行動をとるようになった。翌1998年には拉致議連会長のまま日朝友好議員連盟の会長に就任し、政府の政策と矛盾する言動が顕著になった[2]。こうした中山の豹変に対し、マスメディアや「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)から疑念と批判の声が上がった。また中山の行動が影響し、旧拉致議連参加議員の中から日朝友好議員連盟にも重複加入する議員が現れるなど混乱が生じるようになり、旧拉致議連は活動休止状態に陥った。
その後も中山は、2002年3月20日、拉致被害者である有本恵子の母・嘉代子に電話をかけ、「日本人が日本人を連れていったもので、北朝鮮の工作員が関与していないという話の方が有本さんを帰国させやすい」と説明したほか、北朝鮮で会わせることを持ちかけた[3]。会長自らそれまでの方針を勝手に翻し、このような言動を行ったことで「家族会」(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)の疑念を生むこととなり、議連メンバーや「家族会」「救う会」関係者、支援者から批判を浴びた中山は「日朝友好議員連盟会長」と「北朝鮮拉致疑惑日本人救済議員連盟」の両会長から退いた。
旧拉致議連は後任人事について桜井新幹事長と西村眞悟事務局長代理に一任し、同年4月3日、両名の協議の結果「体制一新が必要」との判断に達し、旧議連を解散することとした。
新拉致議連の発足
2002年4月、石破茂を会長、西村を幹事長、平沢勝栄を事務局長とする新拉致議連「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」が改めて結成された。同年4月25日の設立総会には衆参国会議員31人と代理30人が参加、「家族会」「救う会」と結束して行動することを確認した。新拉致議連呼びかけ人は以下の通り。
- 自由民主党
- 小池百合子(副会長)
新拉致議連は当時経済産業大臣だった平沼赳夫や内閣官房副長官の安倍晋三らが賛同、第1次小泉内閣もこれを支持した。また中川昭一・上田清司らの呼びかけに応じ、中井洽・古屋圭司ら自由民主党・民主党・自由党・保守党の各党の議員は発足当初から参加しているが、公明党・社会民主党・日本共産党からの参加はなかった。2002年9月17日の小泉純一郎首相の北朝鮮訪問後、公明党の漆原良夫が参加している[注釈 1]。