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法谷寺

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法谷寺
所在地 徳島県徳島市南庄町2丁目3-2
位置 北緯34度4分12.1秒 東経134度30分53.9秒 / 北緯34.070028度 東経134.514972度 / 34.070028; 134.514972座標: 北緯34度4分12.1秒 東経134度30分53.9秒 / 北緯34.070028度 東経134.514972度 / 34.070028; 134.514972
山号 救世山
宗派 真言宗大覚寺派
本尊 薬師如来
開基 行基
法人番号 8480005001120 ウィキデータを編集
法谷寺の位置(徳島市内)
法谷寺
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法谷寺(ほうこくじ)は、徳島県徳島市南庄町にある寺院で、眉山山麓にある。山号は救世山。宗派は真言宗大覚寺派。本尊は薬師如来。寺印は十六弁菊である。蔵本運動公園裏に位置する。

地元では、峯の薬師さんと親しみを込めて呼ばれ、古より病気治しに霊験あらたかとの言い伝えあり。

法谷寺の奥の院として、タタリ谷常厳寺(徳島市南蔵本町3丁目32の奥)があり、現在は荒廃しているが、聖徳太子の墓所という言い伝えがあるが、法谷寺は真言宗であり法隆寺の元社などとの説は完全に誤りである。

歴史

「阿波史」に書かれているのは、細川頼春が創建。細川頼春は鎌倉後期から南北朝時代の武将で、法谷寺は創建当初は「香華院」という名称だったと記載。この内容が一番信頼できるものである。

用明天皇2年(587年)に聖徳太子が12体刻んだ薬師如来のひとつを秦河勝に命じてこの地に安置したのが始まりとする説がある。後に弘法大師も入山しており、三密伽相応の霊地として真言密教を開いた。しかし、天正年間(1573年 - 1579年)の長宗我部軍の兵火で寺が焼け、現在は法谷寺のみが残る。薬師堂はこの後に再建された。

天平12年(740年)に行基が登山し法谷寺と十二坊を開いたという説など、様々な諸説がある。

交通

外部リンク