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高遠町

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たかとおまち
高遠町
高遠城
高遠町旗
高遠町旗
高遠町章
高遠町章
高遠町旗 高遠町章
廃止日 2006年3月31日
廃止理由 新設合併
伊那市・高遠町長谷村伊那市
現在の自治体 伊那市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
上伊那郡
市町村コード 20381-5
面積 139.36 km2.
総人口 6,758
推計人口、2006年3月1日)
隣接自治体 伊那市諏訪市茅野市箕輪町長谷村富士見町
町の木 タカトオコヒガン
町の花 タカトオヒガン
高遠町役場
所在地 396-0211
長野県上伊那郡高遠町西高遠1806番地
高遠町役場(現・伊那市役所高遠町総合支所)
座標 北緯35度50分15秒 東経138度03分29秒 / 北緯35.8375度 東経138.05808度 / 35.8375; 138.05808座標: 北緯35度50分15秒 東経138度03分29秒 / 北緯35.8375度 東経138.05808度 / 35.8375; 138.05808
高遠町の県内位置図
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高遠町(たかとおまち)は、長野県中部の上伊那郡に属した高遠城址公園タカトオコヒガンの名所として知られている。高遠藩の城下町であった。

2006年(平成18年)3月31日、高遠町は(旧)伊那市、長谷村と合併して(新)伊那市となり、117年の歴史に幕を閉じた。なお、旧町域には市町村の合併の特例に関する法律(合併特例法)に基づく地域自治区が2016年3月30日を期限として設置された。

地理

美和湖(左下から中央)と高遠湖(右上)

中央構造線が通る、南アルプス伊那山地に挟まれた山間の土地。

隣接していた自治体

歴史

江戸時代には高遠藩の城下町であった。高遠石工と呼ばれた職人が盛んに稼ぎに出て、全国各地で仏像、建築物、その他様々な石製品を作った。

  • 1875年(明治8年)1月23日
    • 高遠城東部の武家町16町(田中町、花畑町、元厩脇町、馬場町、横町、久保川町、下夕町、板町、新屋敷町、宮下町、荒町、大屋敷町、北村町、若宮町、殿坂町、郭内町)と地方の板町村が合併して東高遠町となる。
    • 高遠城下西部の町方10町(高砂町、本町、袋町、中町、新町、梅町、横町、霜町、清水町、鉾持町)と地方の鉾持村が合併して西高遠町となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、西高遠町、東高遠町の区域をもって高遠町が発足。
    • 当時は伊那市域にも村しかなく、上伊那郡唯一の町だった。
  • 1956年(昭和31年)9月30日長藤村三義村と合併し、改めて高遠町が発足。
  • 1958年(昭和33年)4月1日 - 藤沢村を編入。
  • 1964年(昭和39年)4月1日 - 河南村を編入。
  • 2006年(平成18年)3月31日 - 伊那市、長谷村と合併し、改めて伊那市が発足。同日高遠町を廃止。

町のシンボル

高遠町歌は馬島律司作詞、松井芒人補作、中田喜直作曲で、町制100周年を記念して制定された。1974年(昭和49年)に公募を行い、入選した馬島の詞を、松井が修正し、中田が曲をつけた。松井の補修は徹底しており、元の歌詞が著しく変わっていたという[1]

在来種そば

高遠は伝統的なそば作りが盛んで江戸時代には戸隠川上と並ぶ「信州そば三大名産地」であったが、戦時中の食料増産で収穫の多い「信濃一号」にほぼ置き換わって、在来種は失われてしまった。2010年代になって有志による復活への作業が始まり、2014年には長野県野菜花き試験場に在来種の種が少数発見されて、これを育成に成功して、その後「入野谷在来種」と名付けられ(育種が行われている場所は、江戸時代に「入野谷郷(いりのやごう)」と呼ばれていた)、現在高遠ではそば屋が多く復活して町の観光事業にも役立っている。[2][3]

地域

教育

施設

交通

道路

杖突峠

名所・旧跡・観光

高遠町歴史博物館
旧高遠町中心街、ご城下通り

出身者

その他

脚注

参考文献

  • 矢野路雄「高遠町歌の制定と歌曲の解釈」、高遠郷土研究会発行『高遠』第21号(平成3年版)、1992年(平成4年)3月。

関連項目

外部リンク