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西山太吉

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西山 太吉(にしやま たきち、1931年 - )は、日本のジャーナリスト、政治活動家。西山事件で知られる。

経歴

山口県下関市出身。生家の西山青果はバナナなどの輸入を手掛ける地元の有力企業であり、読売新聞政治部記者として接点のあった渡邉恒雄によれば「ちょっとした地方財閥」というほどの資産家の子息であった[1]山口県立下関西高等学校慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修了後、毎日新聞社に入社。政治部記者に配属。

1971年5月18日頃、沖縄返還時の日米間の密約について外務省女性事務官が情報を持っているとの極秘の情報を得ると女性事務官に接触。それほど親交があった訳ではない女性事務官に酒を飲ませた上でかなり強引に性的関係をもった。さらに同月22日再び誘い同ホテルで肉体関係をもった直後に機密文書持ち出しを懇願し、女性事務官の一応受諾を得てさらに電話でその決断を促し、その後も関係を継続して西山との関係のため依頼を拒み難い心理状態になったのに乗じて十数回にわたり秘密文書の持ち出しをさせていた。そして同年6月17日沖縄返還協定が締結され、もはや情報を得る必要がなくなったと考えた西山は同月28日女性事務官が渡米して8月上旬帰国した後は態度を急変して他人行儀となり、女性事務官との関係も立ち消えとなり、得た情報を国会議員の横路孝弘楢崎弥之助に提供した[2]

1972年衆議院予算委員会で横路と楢崎は外務省極秘電文のコピーを掲げ、沖縄返還時の日米間の密約の有無について政府を追及した。この事実は大きな反響を呼び、世論は日本政府を強く批判した。政府は外務省極秘電文コピーが本物であることを認めたが、密約を否定。一方で情報源がどこかを内密に突き止めた。その結果、西山は東京地検特捜部に逮捕・起訴される(西山事件)。密約の内容よりも、酒を飲ませた上で肉体関係をもち、その関係を元に機密文書を持ち出させた不正でメディア倫理にも反する手口などに世論の関心が集まった。マスメディアもこれに乗り批判を展開した。毎日新聞は国民と他メディアからも不正な会社とみなされた(この事件により、毎日新聞は不買運動に悩まされ、第一次オイルショックの影響も受けて経営が悪化した結果、新旧分離方式での再建を余儀なくされる)。

1974年1月31日、東京地裁は、西山に無罪を言い渡した。同年2月9日、東京地検は「判決には事実誤認や法令解釈の誤りがある」として東京高裁に控訴[3]1976年に控訴審で有罪判決が下り、上告するも1978年に棄却され確定。強要された女性事務官も有罪となった。裁判では、審理は密約そのものではなく、男女関係の問題や、機密資料の入手方法の問題に終始した。

東京地裁判決直後に西山は毎日新聞社を退社。その後は地元に戻り家業の西山青果株式会社に勤務。マンション経営などにも乗り出すが[4]、1987年のブラックマンデーのあおりを受けて、多額の損失を出す。1991年に退職し、その後は在野のジャーナリストとして活動。西山青果は現在も経営が続けられている[5]

2000年 密約を裏付ける米国公文書が発見された。2005年西山は、起訴されたことを不服とし国家賠償法に基づく国家賠償請求訴訟を起こした。2006年、対米交渉を担当した吉野文六外務省アメリカ局長(当時)は密約の存在を北海道新聞共同通信朝日新聞の取材に対して認めた(吉野は1999年に、政策研究大学院大学の「吉野文六オーラルヒストリー」においても同様の証言をしている)。2007年3月27日、東京地裁は、20年の除斥期間を経過しているとして、密約の存否に触れず、請求を棄却する判決を下した。これに対しては2009年3月18日に取り消しと開示決定及び賠償を求めて提訴(沖縄密約情報公開訴訟)、一審では勝訴したが、2014年7月14日、密約情報開示訴訟上告審判決で、最高裁第二小法廷は上告を棄却し、密約文書を不開示とした政府の決定を妥当だとする判断を下した。

2013年11月21日特定秘密保護法案を審議する参議院国家安全保障特別委員会で参考人として意見陳述。法案は秘密の部分が曖昧であって、「外交交渉の都合の悪い部分を隠し、都合のいい部分だけを出すことになりかねない」と批判、「外交交渉のプロセスをいちいち公開する必要はないが、結論は全部、国民に正確に伝達しなければ、民主主義は崩壊する」、「結論を公開することを与野党共通の土台にしてほしい。それだけで特定秘密の領域は相当限定される」と注文した。また法律の早期成立を急ぐ第2次安倍内閣に対し「権力集中には必ず秘密保全が伴うが、戦後、こんなに一挙に権力集中の動きが出たことはなかった。反省してほしい」と述べた[6]

主な著書

関連項目

脚注

  1. ^ https://livedoor.blogimg.jp/saihan/imgs/9/1/91597999.JPG
  2. ^ 最高裁判所 昭和51年(あ)第1581号
  3. ^ 公電漏えい 西山元記者を酵素 東京地検「事実・法解釈に誤り」『朝日新聞』1974年2月9日夕刊、3版、1面
  4. ^ http://www.e-nishiyama.co.jp/rent/index.htm
  5. ^ http://www.e-nishiyama.co.jp/index.html
  6. ^ 西山さん「民主主義が崩壊する」 秘密保護法案を批判 朝日新聞2013年11月21日

外部リンク