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明道町

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明道町
明道町の位置(愛知県内)
明道町
明道町
明道町の位置
明道町の位置(名古屋市内)
明道町
明道町
明道町 (名古屋市)
北緯35度10分42.949秒 東経136度53分21.163秒 / 北緯35.17859694度 東経136.88921194度 / 35.17859694; 136.88921194
日本の旗 日本
都道府県 愛知県の旗 愛知県
名古屋市
西区
町名廃止 1981年昭和56年)8月23日
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
ナンバープレート 名古屋
位置は国土地理院発行1万分の1地形図『名古屋西北部』(1956年11月30日発行)による

明道町(めいどうちょう、あけみちちょう)は、愛知県名古屋市西区にあった町名。

現在は西区新道幅下周辺の通称で、全国最大規模の駄菓子問屋街である。

概要

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中央菓子卸売市場入口

名古屋駅桜通口から北東約1kmに位置する、全国最大規模の駄菓子問屋街

名古屋城築城の労働者達に、疲労回復のために甘味菓子が売られたのが始まりとも、枇杷島市場へ集まる八百屋を相手に菓子を売ったのが始まりとも言われ、江戸時代に美濃路を通る旅人に、尾張藩の下級武士らが手内職として、煎餅や飴菓子等を作って文政時代の1818年1830年頃に大いに栄えたと言われる。しかし本格的に盛況になったのは関東大震災の後で、被災地の首都東京の子供達にお菓子を供給した事から、全国的な菓子問屋街に成長したと言われている。

1971年昭和46年)までは路面電車が走り多くの人達が菓子の製造と販売に携わり、通りには多くの菓子の店舗が並んでいた。かつては、多くの駄菓子問屋があり、1948年(昭和23年)に建てられた中京菓子玩具卸市場を中心に発展したが、現在は数十件だけとなり、中京菓子玩具卸市場が2000年平成12年)に閉鎖したことで、以前の活気が薄れた。その後も、1951年(昭和26年)頃に建てられた中央菓子卸市場など周辺で問屋が多数営業しており、終戦直後からの雰囲気がそのままの形で残っている。

現在はここから全国の大半の小売店に駄菓子を出荷している。主に小売店対象の取引であるが、一般客に小売りをしてくれる問屋も多く、観光客の姿も見られる。名糖産業春日井製菓丸川製菓カクダイ製菓松山製菓マコロン製菓安部製菓共親製菓加藤製菓などの菓子メーカー(製菓会社)の本社も多数所在する。

また明道町・新道界隈には隅田神社崇徳寺西願寺菊水観音、延命地蔵、貞養院遺跡などの神社や寺などがいくつかある。

1981年(昭和56年)の町名変更で明道町という地名は消えたが、バス停の名前や交差点名、都市高速の出入口名としては残っている。

歴史

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沿革

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道路

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脚注

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参考文献

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  • 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879 

関連項目

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