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時刻

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現代のデジタル時計の時刻表示
古代エジプト日時計に刻まれた線、線ではさまれた12の区画(紀元前1500年ころのもの)。

時刻 (じこく)とは、時間の流れにおけるある一点、連続する時間の中のある瞬間[1]。または「時の刻み(きざみ)」のことで、つまり「とき」の分け方のことであり、ある「とき」を次の「とき」と分け、「とき」と「とき」を区分(区別)することであり、またその規則の体系である。

もともと人間の日常生活は太陽と密接に結びついているため、時刻は太陽の位置や角度と深く結びつけて考えられ、定められてきた[2]

この記事は主に、日常生活で用いる時刻を扱う。

時法

時刻に関する規定を時法(じほう)という。時法は時間に関する「きまり」であり[3]、基本的に一日の時間を分けて、ひとつの「とき」ごとの名称をつける(つまり名称を定める)規定である[3]。一般に、「とき」の各区分の名称、あるいは1日のうちの特定の時点(の名称)を時刻と言う。(それに対して、1日を単位とした時間区分は日付と言い、一般には両者を区別する。なお「時法」は広義には暦法紀年法を含む。)

区分の方法

原初の区分

時刻表現として物理的に覚知可能な最小単位は、日の出日の入によるで、より小さな分割は人為的で分割方法により様々な時法がある。極圏白夜など日の出も日の入りもない時期や悪天候の際は、太陽の運行を判別できず、日や時刻の特定が困難である。

不等分方法

1日はと三つに分けるほかに、明方・早朝・朝・昼前・昼後・夕・夕方・晩・夜中・深夜・未明など詳細に区分する表現もある。世界各地で類似表現がみられ、挨拶もその区分により使い分けられる場合が多い。当日を基準にして一昨日・昨日・昨晩・昨夜早朝・明日未明・明日・明後日・明々後日(しあさって)・弥の明後日(やのあさって)など、日を単位とする時間の区分表現もある。ほかに1日の区分で「朝一番」や「夕飯時・宵の口」などの慣用句や、1年の区分で「桃の咲く頃・下り鰹の捕れる時期」など季節時節を用い、複数年を「一昨年の晩秋」などとする表現もある。夜中・深夜・未明など一般生活上の感覚と、報道気象など生活に関連する業務における定義は差異があり、違和感もみられる。

等分方法

時計の文字盤(ダイヤル)の12時間表示
コロンによる区切り

基本的に、古代バビロニア古代エジプト以来の伝統で十二進法六十進法が採用されており、 古代エジプトなどで日中を12等分していた影響で、現在でも一日を「午前の12時間」と「午後の12時間」とするか、あるいは12時間制の応用で、12 x 2 = 24時間制とし「1日は24時間」とする。

六十進法の考え方にもとづいて)時を60等分したもの「分」を定め、「分」を60等分したものを「秒」としている。つまり「1時間は60分」「1分は60秒」と規定している。(なおこれを機械的に再現した機械式時計では、秒針が60「目盛」進むと1周し(その間に並行して)分針が1目盛分進み、分針が60「目盛」進むと1周し(並行して)時針が1目盛む、というメカニズムになっている。)

午前と午後をそれぞれ0時から12時までとする12時制のほか、午前と午後を分けずに一日を0時から24時までとする24時制がある。国によって12時間制を好んで採用する国と、24時間制を好んで採用する国とに傾向が分かれる。

表記の方法

多くはで時刻を表現し、コロン(:)で時分秒を区切る。日付と時刻の表記に関する国際標準規格のISO 8601は、基本形式においてはコロンを用いず(例:20180904T161447Z)、拡張形式の場合にコロンを用い(例:2018-09-04T16:14:47Z)、末尾に時刻帯を表記すると規定している。

12時間制で時刻を表記する場合には、時刻を表す数値に「a.m./p.m.」「午前/午後」を付して表記を行なう。午前を表す「a.m.」 (ante meridiem)、午後を表す「p.m.」 (post meridiem) を用いる場合には、時刻を表す数値の後に付し、午前0時 (00:00 / 24:00) は 「12:00 a.m.」 、午後0時 (12:00、正午) は 「12:00 p.m.」 と表す。日本で散見する「AM9時」「PM5時」のようなam、pmの前置は日本語表現の影響である。

12時間制で時刻表記をする場合の「時」の数値には、24時間制で用いられる13時から24時の数値は用いない。午前13時/午後13時のような表記は誤用となる。

地域や国により時刻表や放送番組中などの日常生活で12時制を多用する[4] が、交通機関などで午前と午後の錯誤を回避する際は24時制を用いる[5]。特に、12時間制における0時や12時の表記については解釈の余地があり、「午前/午後12時」「午前/午後0時」の意味する時刻に暫し錯誤が確認される。

自衛隊においては、4桁のアラビア数字を用いて表記し、一桁ずつ粒読みする[注 2]。また、時間帯を示す場合は、4桁のアラビア数字の末尾に対応するアルファベットを記し、通話表に則った発音をする[注 3]

日本

日本は交通機関や経済活動を中心に、コンピュータや家電製品のタイマーなど24時制が広く使われる。時計はデジタル表示を12時制と24時制に切り替えられるものが多く、アナログ表示の24時制は世界時計など少ない。

公共交通機関は24時制が多く、鉄道時刻表は午後12時0分(午前0時0分)の到着を「24:00」、午前0時0分の出発を「0:00」と書き分け、駅の時刻表で午前0時を24時とする事例もみられる。

テレビ放送は12時制を採用している。深夜0時以降は、NHKは通常の12時制で暦通りに表現する。

民間放送は放送システムの関係[独自研究?]から放送上は12時制だが、24時(=翌午前0時)以降の時刻をシステムの切り替えタイミングとなる28時(翌午前4時) - 29時(翌午前5時)[独自研究?]までとして使う場合が多い。午前4時ないし午前5時までは当日の放送ではなく前日の放送の続きとして扱う。このためNHKと民放で以下の齟齬を生じ、暦上の日曜午前0時は

  • NHK:日曜午前0時 「土曜深夜」の補足を付ける事もある[9]
  • 民放:日曜午前0時 - テレビ朝日[10]、日本テレビ[11]、土曜24時 - TBS[12]、フジテレビ[13]、土曜深夜0時 - テレビ東京[14] としている。

自衛隊においては24時制が採用されている[注 4]

歴史

もともと人間の日常生活は太陽と密接に結びついているため、洋の東西を問わず、時刻は太陽の位置や角度と深く結びつけて考えられてきた。

バビロニア人や古代エジプト人は日の出、アラブ人やユダヤ人は日の入を一日の始まりとしていた。

時刻はしばしば、太陽の時角つまり子午線からの角度によって決められた。これを現代では「真太陽時」という。

また古代では、しばしば日の出や日の入りの間を等分する方法(日没と日の出の間を等分する方法)もとられた。季節によって太陽が出ている時間の長さは伸びたり縮んだりするわけであり、それと連動してひとつの時刻区分の長さも伸び縮みしたので、現代ではこれを「不定時法」という。

ヨーロッパ

15世紀ころに機械式時計が登場したが当時は精度が悪く、その後も日時計が使われ続けた。

なおヨーロッパでは19世紀頃までは公式に正午(太陽が南中する瞬間)を一日の始まりにしていた。ヨーロッパでは「暦を定めたり時法を定めるのは天文学者の役割だ」と考えられていて、その天文学者たちは夜間に天体観測をおこない、つまり日没から明け方まで夜中をとおして星を観測し記録しつづけるわけであり、彼らにとっては夜中に日付けの変更が行われることはとても都合が悪いわけで、もしも『真夜中に「一日の始まり」がある』などということにしてしまっては、観測の途中で観測記録の「日付け」を変更しなければならなくなり、観測記録が大混乱してしまう。歴法や時法を決める権限があった天文学者たちは、彼らにとって都合が良い『正午を一日の始まりとする』というルールを固守し異論を許さず、それがヨーロッパの長い伝統となった。

なお「正午を一日の始まりとする」というルールは、主に夜中に活動する天文学者(だけ)には(しばしば彼らが寝ていて活動をしていない間に日付けの変更が行われ)とても都合がよいが、その他の大多数の、日中に活動をする普通の人々にとっては記録や計算がとても複雑になるということを意味する。

「正午を一日の始まりとする」というルールから「真夜中を一日の始まりとする」とルールへと変更したのは、あくまで19世紀のことである。それが行われた理由・背景は、イギリス海軍は頻繁に海戦(海上の戦争)を行っていたわけだが、この「正午を一日の始まりとする」というルールのせいで日中のナビゲーション(航法)の計算が複雑になりすぎ各艦船に乗っている航法担当者が計算ミスを犯すことが頻繁に起き、艦船が目的の海域ではなく間違った海域に移動してしまって海戦で惨敗し戦死者が出るなどといった悲惨な事態にまで陥り、そこに至って海軍関係者や政府側から天文学者たちに対してルール変更するように強い要請が行われ、ようやくルール変更が行われた。

なお「真夜中を一日の始まりとする」というルールを採用し、かつ正確にそれを運用するには、太陽の南中の反対(太陽の南中からちょうど12時間後の瞬間)が正確にわかる必要があり、つまり機械式時計の精度がかなり良くなり、そのような時計が広く普及している必要があった。機械式時計の精度が良くなった時代になってようやく真夜中(太陽の南中の反対)の瞬間が分かるようになり、そんな条件がととのっていたところで、日付け変更が正午だったことが原因でイギリス海軍が苦境に陥ったことで、(12時間法であったイギリスで)正午を「昼の12時」とし、真夜中を1日のはじまりで「真夜中の12時」とし、真夜中から正午までを「午前」、正午から真夜中までを「午後」とし、それぞれを12等分(0 - 12時)する現在の時法となったわけである。

中国

中国では、古代には一日を100等分して1つの分割を「」としていたが、代に、一日を12等分して、夜半から十二支を順に振って子の刻・丑の刻……とする時辰が生まれた。それぞれの分割は「刻」といい、100分割の刻と区別するために「辰刻」(しんこく)ともいう。

代に西洋の時計とともにその時法が導入されて、一日を24時間とする時法も使われるようになった。[要出典]その際、それまでの「時」の半分である西洋の「時」は「小時」と呼ばれるようになった。この名称は現在でも使われており、「小時(xiaoshì)」は時間という意味である。

古代の「刻」は、現在でも一応中国でquarterの音訳で15分の意味で使われている。ただし現代の実生活で使う事は少なく、通常は四十五分や十五分などで言い表している。

日本

時刻制度のはじまり

日本書紀』には660年に中大兄皇子(天智天皇)が漏刻(水時計)をつくり、671年にはこの漏刻を新しい天文台に置いて太鼓と鐘で時を知らせたとの記録があり、これが日本における時刻制度の始まりとされている[15]。また漏刻が設置された日(現在の太陽暦で6月10日)は、1920年に「時の記念日」に制定されている[16]

区分法の別とその変遷

日本では、中国の一日を12等分する時法や、100等分する時法が導入された。当初は一日を12等分する定時法で、室町時代ごろから日の出と日の入または夜明けと日暮れの間をそれぞれ6等分する不定時法が用いられるようになった。天文暦法で使う時法は一貫して定時法だった。江戸時代には、その不定法に表示を合わせた和時計も作られた。

日の出と日の入は地軸が傾いている地球では毎日少しずつ変化し、また、地軸が4.1万年の周期で約21.5度から24.5度の間で変化(ミランコビッチ・サイクル)しているため、不定時法による時刻も仙台藩(現・宮城県等)と薩摩藩(現・鹿児島県等)のように離れた土地でも異なり、また、同じ太陽暦の月日の同じ土地であっても室町時代と明治時代では微妙に異なることになる。地軸が23.4度である現在の日本において札幌東京との日の出時刻を比べると、夏至では札幌 (3:55) が東京 (4:25) より早く、冬至では札幌 (7:02) が東京 (6:47) より遅い[17]

九で表す十二等分法
時鐘 辰刻 現在の時法
(前後約1時間)
暁9つ 子の刻 0時ごろ
暁8つ 丑の刻 2時ごろ
暁7つ 寅の刻 4時ごろ
明6つ 卯の刻 6時ごろ
朝5つ 辰の刻 8時ごろ
朝4つ 巳の刻 10時ごろ
昼9つ 午の刻 12時ごろ
昼8つ 未の刻 14時ごろ
昼7つ 申の刻 16時ごろ
暮6つ 酉の刻 18時ごろ
夜5つ 戌の刻 20時ごろ
夜4つ 亥の刻 22時ごろ

室町時代後半から、時刻を時鐘の数で呼ぶようになった。時鐘は、昼に9つ打ち、一刻ごとに1つずつ減らして4つの次は深夜の9つに戻り、また一刻ごとに1つずつ減らして4つの次が昼の9つとなる。

中国の陰陽の考え方では9を特別な数として扱い、もっとも縁起の良い数と考えられていた。このことから、昼を9、以降一刻ごとに9を2倍(9 × 2 = 18)、3倍(9 × 3 = 27)、4倍(9 × 4 = 36)…と増やしている。ただし、この数だけ鐘を鳴らそうとすると最大で54回も鳴らすことになるため、十の桁を省略した。

昼と夜で同じ数があるので、これらを区別して右の表のように呼んだ。しかし、江戸時代以前の人々の生活は夜明けから日暮れまでが中心だったことから、昼間の時刻という前提で日常会話では「昼」や「朝」は省略されていることが多かった。ただし、六つだけは明け方なのか夕暮れなのかわからないため「明六つ」、「暮六つ」と言い分けた。

刻の分割法

夜間の分割については6等分のほか、5等分の更点法もある。日暮れを一更とし、二更、三更として夜明け前は五更となり、一つの更はさらに一点から五点まで5等分され、夜明けは五更五点となる。一刻の真ん中を「正刻(しょうこく)」と呼び、または一刻を3等分して上刻・中刻・下刻とする分割もあった。

太陽暦の導入と二十四時制

1873年明治6年)1月1日、太陽暦の導入と同時に西洋式の時法が導入された。軍隊内部では、午前・午後の錯誤を防ぐために二十四時制が使用されていた。

1942年昭和17年)10月11日鉄道省日本国有鉄道を経てJRグループ)が十二時制から二十四時制へ移行、一般人の間にも二十四時制が普及し現在に至る。

日本語の伝統的な時刻表現

太陽が南中するころが午の刻だったことから、南中時刻を「午の正刻」と呼んだ。これが現代でも昼の12時ちょうどを表す「正午」の語源となっている。「午前」「午後」はその前後の時間ということである。

午後2時から3時ごろに仕事の手を休めてとる休憩時に軽食をとる習慣が江戸時代から始まった。この時間がおおよそ昼八つ、つまり「八つ時(やつどき)」であり、午後3時ごろに食べる間食を指す「おやつ」という言葉が生まれた。現代では「おやつ」は間食全般のことを指し、時刻には左右されない言葉になっている。

落語の演題である「時そば」では、「今何時(なんどき)だい?」の問いに「九つで」の応答を期待していたところ、「四つで」と答えられ、代金のごまかしに失敗するという落ちである。これは、「九つ」と「四つ」が隣接していることが承知されていないと、多少の唐突感がある。

「暮れ六つ」・「酉の刻」は古神道(こしんとう)に代表される民間信仰などの、宗教的な意味合いを持つ時刻の表現として、逢魔時(おうまがとき)といった。大禍時(おおまがとき)・逢う魔が時(おうまがとき)・逢う魔時(おうまどき)ともいい、黄昏時(たそがれどき)のことである。黄昏時は黄が太陽を表し、昏が暗いを意味する言葉である。「たそがれどき」は「誰彼時」とも表記し、「誰そ、彼」、つまり「そこにいる彼は誰だろう。良く分からない」といった薄暗い夕暮れの事象をそのまま言葉にしたものであり、本来の夕暮れを表す漢字の「黄昏」にこの「たそがれ」を読みとして合わせた。

丑三つ時(うしみつどき)も神域常世(とこよ)へ誘う端境であると考えられ、古くは平安時代呪術としての「丑の刻参り」が行われ、「草木も眠る丑三つ刻」といえば講談や落語の怪談として使われる常套文句でもある。

十進時法

フランス革命の指導者たちが提唱した、一日をの冪数で分割する方法。メートル法と同じく、「全てを十の冪数に変えよ」という発想に基づいている。十進化時間を参照。

コンピュータの時法

コンピュータの内部時計は、日とは無関係のだけを用いた時法が用いられる。dateコマンドなどによる表示は、内部時刻をユーザーの地域の地方時に換算したものである。

多くのOSのインストーラが、インストール手続きの大抵は最後のほうで、地域の指定を入力させるのは、そういったコマンドが参照するためのタイムゾーンの設定(多くはファイル)を、そのマシンを運用する地域のものにするためである(実際には、これにはもっとややこしい事情が絡む。MS-DOSにそのようなシステムや慣習が無かったため、デファクトスタンダードであったPC/AT互換機ではRTCを地方時に設定するのがデファクトスタンダードであった。そのため、起動時やインストール直後などにRTCを参照して「秒だけを用いた時法」を初期化する際に、タイムゾーンの設定を元に世界時を逆算してから初期化しなければならないためである。そのようにして設定された「日とは無関係の秒」からさらに換算されて、前述のようにユーザ向けに表示するための時刻が算出されている)。

Unix系のシステム多くでは、内部時刻を1970年1月1日0時0分0秒(GMT)を起点(元期Epochすなわち0)とし、それから経過した秒数で表す(UNIX時間)。以前、多くはこれを32ビット符号付整数として扱っていた。他に1970年1月1日0時0分0秒からの経過時間を64ビットのミリ秒で表したり(Java)、1904年1月1日からの経過秒数を倍精度浮動小数点数で表す(REALbasic)例もある。NTPでは1900年1月1日0時0分0秒 (UTC)を起点とし、そこから経過した秒数を32ビット符号なしで表す。

しかし実は、厳密には「経過した秒数」を管理しているわけではない。本当に「経過した秒数」で管理しているならば、閏秒によって、2017年現在で30秒近い挿入された秒を算入したものでなければならないが、ほとんどのUnix系システムではそのような運用はされておらず、「(世界時による[注 5])現在の日付と時刻」を元に「閏秒の存在を無視して」求めた秒数、が、本当のここで扱っている、システムの時刻とされる値、である(そのため、閏秒が挿入されている1秒間におけるシステム時刻の扱いには注意が必要で、例えば時間が1秒巻き戻ったように見えるシステムなどがあり得る)。

これら秒数のカウンタは上限が決まっているため、いつかは桁あふれ(オーバーフロー)を起こし、それ以降の時刻に対しては正しい演算が行えなくなる。上述したUNIXの方式では2038年1月19日にあふれる2038年問題、NTPでは同様に2036年2月7日に発生する2036年問題が指摘されている。

「時刻」と「時間」

「時刻」と「時間」には関連がある。だが厳密に言えば異なっている。時間のほうは「ある時刻から異なる時刻までの間隔」などと説明されることもある。時刻は間隔尺度で、時間は比率尺度または比例尺度である。

ところが、日本では時刻の意味で「時間」という言葉が使われることも多い[18][19][20](使われてしまうことも多い)。鉄道の時刻表は主として発車時刻をまとめて記載したものであるが、それに関しても「時刻表」と呼ばれていることがほとんどだが、九州旅行案内社が発行する「綜合時間表 九州版」[21] など「時間表」と呼んでいる例もある。「JTB時刻表」も、1925年4月の創刊時は「汽車時間表」だった。

脚注

注釈

  1. ^ もともと時刻や時間は太陽の位置にもとづき基づき定められたが、現在は精度の高い物理的な時計も使って(また太陽が南中する瞬間の観測も行って)、両方を使って、定められる。
  2. ^ 0マル1ヒト2フタ3サン4ヨン5ゴー6ロク7ナナ8ハチ9キュウと発音する。これらの理由は、日常会話における酷似した発音の数字による錯誤を防ぐためである。午前3時21分の場合は、0321と表記し、マルサンフタヒトと発音する[6][7]
  3. ^ 日本時間正午の場合、1200iと表記し、ヒトフタマルマルインディアと発音する[7][8]。また、ロンドン正子の場合、0000zと表記し、マルマルマルマルズールと発音する[7][8]
  4. ^ 午前午後の錯誤を防ぐためである。午後1時20分の場合は、1320と表記し、ヒトサンフタマルと発音する[6][7]
  5. ^ 地方時からタイムゾーンを元に換算してもよいが、サマータイム等のことを考えればそのような段階を入れるのはシステムを不必要に複雑にするだけである。

出典

  1. ^ 大辞泉
  2. ^ 『ブリタニカ国際大百科事典』【時刻】
  3. ^ a b 『精選版 日本国語大辞典』【時法】
  4. ^ 傍証参考例:アメリカン航空時刻表デルタ航空時刻表ポートランド市バス時刻表ホノルルバス時刻表Lufthansa Airlines world map、(番組表は12時式)ABCテレビ番組表CBSテレビ番組表NBCテレビ番組表FOXテレビ番組表yahoo TV listing
  5. ^ ユナイテッド航空時刻表大韓航空時刻表エアフランス時刻表
  6. ^ a b 自衛隊百科” (日本語). 東北防衛局. 2019年10月15日閲覧。
  7. ^ a b c d 学生生活” (日本語). 海上自衛隊 横須賀教育隊. 海上自衛隊横須賀教育隊. 2019年10月15日閲覧。
  8. ^ a b G300取扱説明書” (PDF) (日本語). セイコー. 2019年10月15日閲覧。 (PDF)
  9. ^ NHK番組表
  10. ^ テレビ朝日番組表
  11. ^ 日本テレビ番組表
  12. ^ TBS番組表 土曜深夜0時もあり
  13. ^ フジテレビ番組表
  14. ^ テレビ東京番組表番組情報:テレビ東京
  15. ^ 2-4 日本の時間・周波数標準制度の変遷」『通信総合研究所季報』第49巻、情報通信研究機構、2003年、25-32頁。 
  16. ^ 時の記念日の由来は?”. 日本時計協会. 2018年7月12日閲覧。
  17. ^ 日出没にまつわるはなし海上保安庁海洋情報部)
  18. ^ 「日本国語大辞典-第六版」小学館、2001年6月
  19. ^ 「国語辞典-第六版」岩波書店、2000年11月
  20. ^ 「大辞林-第三版」三省堂、2006年10月
  21. ^ 綜合時間表 九州版 九州旅行案内社

関連項目

外部リンク