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ノート:野田佳彦

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出典について

出典の日経ビジネスオンラインについて問いかけがありました。Wikipedia:外部リンクの選び方の「掲載すべきでない外部リンク」にはユーザー登録を必要とするサイトがあり、その理由についてはWikipedia‐ノート:外部リンクの選び方の「ユーザー登録を必要とするサイト」で挙げられている通りかと思います。また今回の内容は例外には該当しないと考えます。--Nofull 2011年9月6日 (火) 22:25 (UTC)[返信]

質問したものです。日経ビジネスオンラインの記事を出典としたも私です。
同じノートの「有償・要登録サイト」は読まれましたでしょうか。
大和屋敷さんは「Wikipedia:外部リンクの選び方#掲載してよい外部リンク」をもう一度ご覧ください。「掲載すべきでない外部リンク」は、「掲載してよい外部リンク」の第1項・第2項に当てはまらない場合に適用されるものですが、日本経済新聞のサイトなどは第2項である「情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト」に該当するもののように思えます。また「ユーザー登録を必要とするサイト」に関する注意書きの部分にも同様の例外規定が書かれており、出典や参考文献として掲載する場合には掲載してよいことが強調されています。現行のガイドラインは「有償・要登録サイトへのリンクは外部リンク節などには掲載すべきでないが、例外として出典として使う場合には問題ない」という内容になっており、特に問題はないように思います。 確かに中には本ガイドラインを「(有償の書籍は出典として使っても良いが)有償サイトは出典としても使用してはならない」という意味に誤解している人を時折見かけますので、ガイドラインの文章を、その点についてもう少し強調した内容にした方がよいかも知れません。--Kanohara 2010年9月25日 (土) 05:13 (UTC)[返信]
出典として適切かどうかはまず、信頼できる情報源であるかどうかにかかってます。ウィキペディアで一般的に出典として用いられている大手新聞社の記事でも読むためには登録が必要だったり有料だったりすることはよくあります。登録が必要だから即出典として用いることができない、というのであれば変な話です。この場合は「日経ビジネスオンライン」が信頼できる情報源であるかどうか大事なのであって、記事を読むのに登録が必要であるかどうかは出典として適切かどうかと関係ないと思いますが、どうでしょうか。ちなみに、日経ビジネスオンラインは日本経済新聞社のビジネス雑誌・日経ビジネスのオンライン版です。---Bugandhoney 2011年9月14日 (水) 23:35 (UTC)[返信]
ノートは読みましたが、その方の解釈には同意できないので言及していません。
まず「出典として適切かどうかはまず、信頼できる情報源であるかどうかにかかってます」についてですが、方針のWikipedia:検証可能性を最優先で考えるべきかと思います。また今回の内容は存命人物に対する批判であるため、この点においても検証可能性は厳守すべきでしょう。
次に信頼性について。出版社だけでなく執筆者も考慮に入れるべきではないでしょうか。繰り返しになりますが今回は存命人物に対する批判であり、自称ひきこもり系コラムニストによるものというのは問題があると思います。色々なジャンルの著書があるようですが、政治家を批評できるほどの人物なのでしょうか。
最後に、日経ビジネスオンラインが信頼できる情報源という点は同意しますが「記事を読むのに登録が必要であるかどうかは出典として適切かどうかと関係ないと思います」には同意しかねます。Wikipedia:外部リンクの選び方に「掲載すべきでない外部リンク」が存在するのはその点を明確にするためでしょう。
以上の理由から、今回の出典による内容は記述すべきでないと考えます。--Nofull 2011年9月15日 (木) 14:52 (UTC)[返信]
Wikipedia:外部リンクの選び方は誤解です。これは記事で「外部リンク」の見出しの後に並べる外部リンクを選ぶ際の指針です。記事本文の出典に関してはWikipedia:出典を明記するWikipedia:信頼できる情報源が指針となります。英語版の『外部リンクの選び方』では冒頭に

This guideline concerns external links that are not citations to sources supporting article content. If the website or page to which you want to link includes information that is not yet a part of the article, consider using it as a source for the article, and citing it. Guidelines for sourcing, which includes external links used as citations, are discussed at Wikipedia:Reliable sources and Wikipedia:Citing sources.

また

Important points to remember
This guideline does not apply to inline citations or general references, which should appear in the "References" or "Notes" section.

とはっきり書いてあるので、そういう誤解が生じないのですが...。
Wikipedia:検証可能性を読みましたが、サイトが登録制であるかどうかに関する言及は見当たりませんでした。繰り返しになりますが、ウィキペディアでは登録制のサイトや有料記事が出典とされることはよくあります。Wikipedia:信頼できる情報源で自然科学分野の情報源として名指しされているNature、Science、Cellはいずれも登録制で記事は有料です。登録制だから検証不能になるわけではありません。ワンクリックで読める記事だけを出典にしなければならないということではありません。もちろん、そのほうが読者にとっては便利ですが。
ウィキペディアの信頼できる情報源はもっぱら媒体が何であるかで判断され、誰が発表したかはではないように見受けられます。Wikipedia:信頼できる情報源でも発表した人物に関する指針は見当たらなかったです。
小田嶋隆氏が政治家を批評できるほどの人物であるかどうかを判断する指標を私は持ち合わせてないです。誰かが政治家を批評できるほどの人物であるかどうかを判断する基準があるのであれば教えてください。ちなみに同氏は『文芸春秋』『諸君!』『婦人公論』など政治的な話題を取り扱う雑誌に寄稿しています。さらにちなみに、日経ビジネスオンラインの代わりに私が引用した毎日新聞の記事では落語家による野田首相演説の批評が取り上げられています。新聞記事などを読む限り、およそあらゆる職業の人が政治家の批評をしています。政治は誰にとっても身近な問題だということなのでしょう。
あと、小田嶋氏も存命人物なわけで、いくら自称とはいえひきこもりという言葉はしばしば侮蔑的に用いられるのであって、ノートとはいえひきこもりコラムニストだから政治批評などできるはずがない、と読めるような批判的な記述は避けるべきではないでしょうか。--Bugandhoney 2011年9月15日 (木) 18:56 (UTC)[返信]
いきなり誤解と言われましたが、ご自身がWikipedia:外部リンクの選び方とノートを元に反論しています。またここは日本語版なので英語版がこうだからと言われてもどうしようもありません。意図的に出典と外部リンクの基準に差をつけているとは思えませんし納得はできませんが、ひとまず今回理由に挙げた登録制サイトについては撤回します。
次に執筆者についてですが、これはWikipedia:信頼できる情報源の「オンラインや自己公表された情報源の利用」で「出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。すべての報告は、作成した過程や人々に関する検証が必要です。」とされているように、ケースごとにその人物が適当か判断すべきかと思います。文芸春秋には児玉清氏も寄稿していましたが、氏の肩書きは俳優、タレント、司会者、作家です。基準は方針やガイドラインで明確にできるものではなく、常識で考えることでしょう。
最後に小田嶋氏の肩書きですが、自称を使ったまででひきこもりだからという意図はありません。言い換えるとすれば「政治に詳しいという評判を耳にしない人物によるもの」あたりになりますが、本人が自虐的に使っているのにそこまで気を使わされるのは窮屈です。--Nofull 2011年9月15日 (木) 23:37 (UTC)[返信]
Wikipedia:外部リンクの選び方の初版は英語版の翻訳です。基本的に両者は同じことに対する指針のはずです。両者ははじめウィキペディアの記事全体に関する指針であったが、英語版だけ本文中の引用と脚注を除外するようになったということでもないです。なんとなれば訳出元となった英語版には"Refer to the citation guideline for instructions on citing sources. This guideline refers to external links other than citations."(出典に関しては出典の指針を参照すること。本指針は出典以外の外部リンクに適用される。)とあって、私にとってうらめしいのは、この部分が日本語版に翻訳されていないことなのですが。登録制や有料記事だから内容を誰でもすぐに確認できないので検証可能性を満たしていない、というのであれば、たとえば新聞社のウェブ記事がリンク切れで内容が確認できない場合、それを削除するのが正しいのか、ということです。『野田佳彦』もすでに二つくらいリンク切れの新聞記事が出典になっています。当たり前ですけど、たとえ出典がリンク切れですぐに読めなくても、新聞各社の有料記事検索を使えばその内容は確認できるし、そのようにして内容を確認した人の中にはリンクをその有料記事に貼りかえる人もいるはずです。登録制や有料であることは出典の適否とは無関係です。
肩書きでウィキペディアに記載するかどうかの判断をするというのはひとつの考え方ではありますね。どこで線引きするかで揉めるとは思いますが。さしずめ、コラムニストやTV司会者による政治批判はウィキペディアで取り上げる価値がなく、『野田佳彦』で今取り上げられている批判が問題ないというのであれば、政治家や新聞記者による批判は取り上げてもよい、ということになるのでしょう。コラムニストによる政治批評は取り上げるに値しない、というのは今のところ常識と呼べるほど一般化した考え方だとは思っていません。小田嶋氏による同コラムへの読者コメントはおおむね好意的ですし、事実として、同氏が政治家に批判的なコラムを何度も書くことを日経は許容していますので(日経編集者は小田嶋氏の政治的なコラムがウィキペディアで言及されることに反対しないと類推される)。
私もウィキペディアのルールを窮屈に感じることはときどきあるのですが、だからといって尊重しなくてもよい、ということにはならないようです。--Bugandhoney 2011年9月19日 (月) 17:33 (UTC)[返信]
リンク切れについての考えには同意できる点もありますが、日本語版外部リンクの選び方に反映されなかった理由が分からない以上、英語版を適用するというのは無理があると考えます。
肩書きは判断要素の一つでありコラムニストという理由で即却下にはしません。しかし「日経編集者は小田嶋氏の政治的なコラムがウィキペディアで言及されることに反対しないと類推される」という考えには同意できません。先に述べたようにケースごとに判断するべきですし、今回の内容が百科事典のWikipediaに相応しいとも思えません。また読者の評価は掲示板と同様信頼できる情報源とはならないため、出典の信頼性を判断する要素にはなり得ません。
ルールを尊重すべきという考えは持っていますが、件の記述を撤回するつもりはありません。理由は先に述べた通りです。--Nofull 2011年9月20日 (火) 00:49 (UTC)[返信]
外部リンクに関しては「そのサイトの内容が、書籍や学術論文などと比較しても十分高度な内容を持っており、参考文献、記事中の出典として掲げたい場合」というただし書きがあるので、とくに明確化する必要がないという考えの人もいるようです。 Nofullさんとしては、はじめは日経ビジネスオンラインが「書籍や学術論文などと比較しても十分高度な内容を持って」いるとは判断しなかったのかもしれないですね。ただこの書き方だとそもそも学術論文自体を載せているオンライン学術誌はどうなるのかとか変なところがありますが。とりあえず、内容が確認できないから即削除というのは控えていただけるとありがたいです。
小田嶋氏のコラムには毎回100件くらいの読者コメントがつくのですが、いつも一人か二人くらいは「この内容は日経ビジネスオンラインにふさわしくない。読むのは時間の無駄」というネガティブなコメントを残す人がいます。ちょうど、Nofullさんが同氏のコラムはウィキペディアの出典としてふさわしくない、というのと同じように。しかしながら、だからといって日経の編集者は同氏の連載を打ち切ったりはしないわけです。大多数は「参考になった/ぜひ読むべき」と答えてますので。「読者の評価は掲示板と同様信頼できる情報源とはならないため、出典の信頼性を判断する要素にはなり得ません」とのことですが、私にとってよく分からないのは、Nofullさんが同氏のコラムはウィキペディアの出典としてふさわしくないと感じるのは一読者の感想にしか過ぎないのに、それは信頼できる情報源とはならないとはならず、日経ビジネスオンライン読者の多数派意見に優先して、出典の信頼性を判断する基準になっていることなのです。「政治に詳しいという評判を耳にしない人物によるもの」という書き方を以前されてましたが、この「評判」というのはどのようにすれば確認できるのか教えてもらえるとありがたいです。--Bugandhoney 2011年9月20日 (火) 23:36 (UTC)[返信]

(インデント戻す)議論を興味深く拝見しておりましたが私見を述べさせてください。外部リンクの選び方の「登録制サイト」に関してはBugandhoneyさんの見解を支持しますが、Nofullさんの仰る観点から考えれば、この方針の一般解釈論としては確かに議論の余地がありそうです。ただ、今回については認められるリンクとして合意されているので、ここで更に深い議論をする必要もないのかなと思います。次に信頼性についてですが、今回改めてWikipedia:信頼できる情報源を読み直すと、この「信頼」の対象は専ら「事実か否か」のみであるように思えました。つまりある人物の意見(私見)が世間的に妥当かどうかを測る基準ではないように思えます。仮にそう考えるとすると、件の情報源(NBオンライン)は「(ゴーストライター等ではなく)確かに小田嶋隆という人物が○○と意見した」という事実についてのみ、確かだと信頼できる情報源と言えるのではないでしょうか。
とは言え、私もNofullさんの仰る「今回は存命人物に対する批判であり、自称ひきこもり系コラムニストによるものというのは問題がある」という懸念には全く同意致します。ひきこもり系と自称するという事は、自身の見解を社会的な見方とは隔絶した個人的な・独創的な見方で述べますよ、という前置き・断り書きにも思えます。このスタンスは例えば「社説」として書かれる物とは対極をなすでしょう。今や首相となった人の演説ですから世界中の人が様々な評価をしているはずのところ、一コラムニストの批判がひとつという状態(参考)だとすればいかにもバランスに欠けます。この場合、私としては「Wikipedia:存命人物の伝記#評論家の意見」及び「Wikipedia:中立的な観点」という二つの基準から加筆の妥当性を吟味されるのがより本質的に思えます。
その上で私見を申しますと、まず小田嶋氏の批判だけというのは、それが一般的評価であるかのような誤解を与えかねないので良ろしくない。首相という著名性との釣り合いによる重要度から、また、社会的に受容される蓋然性の高さ(意見の一般性)から考えると、まず日本の新聞社説、海外の新聞社説等が最優先で加筆されるのが(必須とまでは言いませんが)理想的に思います。次いで著名な政治評論家、著名人や気鋭の評論家等の順に分量と賛否のバランスに配慮しながら加筆されることが求められるように思います。以上議論途中に長文恐縮です。ガイドラインの解釈など種々ご見解ありましょうが、もしこの様な考えかたの方が合意形成をしやすければとの思いから、あくまで一案ですのでご参考までに。--hal* 2011年9月21日 (水) 04:20 (UTC)訂正:--hal* 2011年9月21日 (水) 04:44 (UTC)[返信]

(Bugandhoney氏へ)厳密には「日経ビジネスオンラインの小田嶋氏のコラムは書籍や学術論文などと比較しても十分高度な内容を持っていないと判断した」です。外部リンクの話は別にしても検証可能性は厳守すべきです。
基準について、こちらはWikipediaの出典たりえるかどうかで考えていますが、読者の評価は読み物としての有用性などでしょう。この点は混同されないようにお願いします。先の「日経編集者は小田嶋氏の政治的なコラムがウィキペディアで言及されることに反対しないと類推される」もそうですが、打ち切りになっていないことや好評ということが出典となりえる理由はWikipedia:信頼できる情報源のどれに該当するのでしょうか。評判は左記リンクにあるものを見れば確認できるでしょう。
(hal*氏へ)Wikipedia:外部リンクの選び方は日本語版に反映されればそれに従います。
信頼性について「事実か否か」の解釈はその通りだと思います。小田嶋氏や有馬氏についても事実でしょう。一方野田内閣で羅列されているように、事実であってもどこまで書くかは外せない問題と考えます。その上で、新聞社説や評論家によるものから加筆との提案に賛成します。--Nofull 2011年9月21日 (水) 17:48 (UTC)[返信]
主要紙と地方紙をいくつか調べてみましたが、どじょう演説について社説で評しているものは見当たりませんでした。一面下部のコラム(天声人語の類)にはありましたが、匿名筆者の個人的な感想なので適当ではなさそうです。海外紙ではニューヨーク・タイムズに「野田氏は、泥の中でエサを漁る魅力的とは言えない魚に自身を例えた」との評が出ているそうです(読売新聞9月1日)。
著名人では古賀誠氏の「野田佳彦首相は自らをドジョウと言うが、柳川鍋のドジョウは煮れば煮るほど骨さえ溶けてしまう。形のない人を攻めていくのは難しい」[1]、福島瑞穂氏の「どじょうはきっと、原発嫌いだと思いますよ。よろしく頑張って下さい」[2]「どじょうは原発嫌いだと思いますよ。しっかり脱原発やってくださいよ」(読売新聞8月31日)、杉村太蔵氏の「何回も野田さんに会ったが、あれはカバですね、ドジョウではなく」[3]がありましたが、評論家によるものは今のところ見当たりません。
なお有馬晴海氏の評は、毎日の紙面とweb版[4]共に批判というニュアンスではないように感じます。--Nofull 2011年9月26日 (月) 23:58 (UTC)[返信]
hal*さんのご意見はすごく分かりやすかったです。とっぴな(と思われる)見解は一般的な見解でバランスをとるべきというのはそのとおりだと思います。
それで、小田嶋氏の見解、どじょう演説は「曖昧なわかりやすさ」でしかないという批判ですが、私が小田嶋コラムと差し替えた新聞記事における政治評論家の有馬晴海による「『ドジョウ政治』と言っても何をしたいのか分からない。もっと自分の生活から絞り出てくる言葉がほしい」という批判や、自民党の額賀福志郎元財務相による「政策も理念もない。立候補者の誰からも一国の宰相になるとの自覚と責任感が感じられなかった」という批判に通じるものがあり、必ずしもとっぴなものだとは考えていません。
一方で、大方の見解はドジョウ演説に対して好意的であったのも事実で(ということを客観的に示すのは難しいですが)、たとえば今出典に使われているJ-CASTニュースはべた褒めですし、さらにこちらで紹介されている外国メディアの反応でもgooニュース編集者の加藤祐子さんが「英語メディアではおおむね好意的に受け止められたよう」だとはっきり書いています。この外国語メディアの反応は加筆するにふさわしい内容だと思ったのですが、もうちょっと気力がないです。社説は個人的には今まで読んで一度もためになったと思ったことがないのでよく分かりませんが、新聞各社の政治的立ち位置を知る上では有用かもしれないです。
ちなみに、問題の小田嶋氏ですが、スポーツ、IT、音楽といった分野での執筆が多いですが、政治に関しても、2009年の衆院選に対する展望について「識者」として読売新聞からコメントを求められていますし(2008年9月23日付け記事)、最近では朝日新聞が日経BPオンラインの9月9日付けの原子力発電に関するコラムが朝日新聞でURL付きで紹介されるなど(9月29日付け、『編集部が選ぶ注目の論考』)、小田嶋氏の政治に関する発言は一般全国紙でも取り上げられています。個人的な範囲の見聞や執筆者の自称肩書きだけで信頼できる情報源かどうか判断しても仕方ないかなという気がします。--Bugandhoney 2011年9月30日 (金) 17:10 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:外部リンクの選び方で「出典は除外する」という但し書きを加えることについて意見を募っていることをお知らせします。--Bugandhoney 2012年2月14日 (火) 14:07 (UTC)[返信]

人物、性格、趣味など

この節から削除した部分[5]について説明します。まず、毎日新聞の出典ですが、政治学者の岩井奉信氏の言葉で該当する部分をそのまま抜き出します。

  • 野田氏について岩井さんは「党内に敵を作らない温厚なタイプ。野党ともうまくやれるだろうし、官僚とも敵対しない」と分析する。財政健全化は自民党とそりが合うし、野党との「大連立路線」も打ち出した。しかし「強烈な存在感、リーダーシップには欠ける」とする。野田氏は千葉県議を経て、93年に当時の日本新党で初当選。千葉4区選出で現在5期目。「野田グループ」のボスで、松下政経塾の第1期生だ。格闘技好きで柔道有段者の顔も持つ。

「温厚」というのはいわゆる「温厚な性格だ」というような意味ではなくて、他の政治家、官僚と敵対することを避けるという政治家としてのスタイルのことだと理解しましたが、どうでしょうか。また、この出典には「礼儀正しい」という言葉はありません。岩井氏の言葉は「野田佳彦#政治家として」で引用されています。

ZAKZAKの記事はリンクが切れていてもう内容が確認できないのですが、「ポスト菅”裏話ゼ~ンブばらしちゃう!美人秘書が緊急座談会」というタイトルが示している限り、単なるゴシップ記事です。一国の首相を記述するための厳密さが欠けていると考えました。ゴシップ記事に関してはWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源では、「ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください」となっています。覆面座談会ということは誰が発言しているのか確認できず、なおかつ、名前のない「美人秘書」というのは政治の専門家でもないので、取り扱いは一般人による発言に準じて、ウィキペディアでは出典として用いないほうがよいと思います。--Bugandhoney会話2012年3月9日 (金) 18:40 (UTC)[返信]

みなさま、作業お疲れ様です。それで新たに加えられた出典ですが、私のほうでは確認できませんでした。「松下政経塾出身で初の首相…野田氏」という読売の記事は夕刊じゃなくて号外ですか?『「低姿勢」で政権迷走 首相、周囲の考え「丸のみ」』という朝日の記事は、「首相に向いている。今のような低姿勢でまじめにやれば長期政権になる」という中曽根元首相からの激励のことですか?--Bugandhoney会話2012年3月9日 (金) 19:47 (UTC)[返信]

野田氏は「礼儀正しい」のか

個人的には礼儀正しい方だとは思いますが。

こちらの編集のことです[6]。今、出典として引用されている、毎日、読売、朝日の各紙の対応する部分を書き出してみます。

  • 江畑佳明; 根本太一 (2011年8月18日). “特集ワイド:「ポスト菅」一体誰が… 一長一短で本命不在”. 毎日新聞. "野田氏について岩井さんは「党内に敵を作らない温厚なタイプ。野党ともうまくやれるだろうし、官僚とも敵対しない」と分析する。財政健全化は自民党とそりが合うし、野党との「大連立路線」も打ち出した。しかし「強烈な存在感、リーダーシップには欠ける」とする。野田氏は千葉県議を経て、93年に当時の日本新党で初当選。千葉4区選出で現在5期目。「野田グループ」のボスで、松下政経塾の第1期生だ。格闘技好きで柔道有段者の顔も持つ。" 
  • “松下塾出身 初の首相”. 読売新聞. (2011年8月29日). "昨年6月、菅政権の財務相として初の入閣を果たし、財政再建の旗振り役を務める一方、急激な円高への対応にも追われた。「財務省の言いなり」とのレッテルも貼られたが、温厚な人柄と安定感には定評がある。" 
  • 蔭西晴子 (2011年10月16日). “野田首相、政策ころころ 低姿勢、閣僚の意見丸のみ 「そうかそうかと聴いてくれる」”. 朝日新聞. "「低姿勢」が売りの野田佳彦首相だが、政策の方針は定まらない。低姿勢のあまりに閣僚や周囲の考えを尊重して、「丸のみ」するためだ。最優先課題とする東日本大震災の復興策でも迷走するため、政権の掌握力を問う声も出ている。(中略)迷走の背景には、低姿勢ゆえ周囲の意見に配慮しすぎてしまうことがある。政権内では「野田総理は説明すれば『そうか、そうか』と聴いてくれる」(細野豪志原発相)と受けがいいが、首相や政権としての主体性はぼやけてしまう。" 

このように「温厚」と「低姿勢」とはありますが、「礼儀正しい」という言葉は確認できませんでした。念のため「野田佳彦」&「礼儀正しい」で記事検索もしてみましたが何も見つかりませんでした。「礼儀正しい」と「温厚」「低姿勢」は似たような意味ではありますが、同じ意味ではないですし、特に「低姿勢」はネガティブな意味で記事では使用されています。WP:NORには「記事に含められるのは、信頼できる情報源に基づいた、検証可能な内容に、解釈を加えていないものだけです」とあります。出典で検証できない内容は載せるべきではないと思います。--Bugandhoney会話2012年3月16日 (金) 12:49 (UTC)[返信]

コメント ここは「政権内では[誰によって?]」と、言葉を濁さない(WP:AWW)が付く出典だと思いますね。。--Tondenh会話2012年3月22日 (木) 15:47 (UTC)[返信]

「不祥事・問題を指摘された言動」のうちおおげさな記述

具体的には、野田佳彦#父親の経歴詐称疑惑野田佳彦#「1,000円カット」パフォーマンスに対する抗議野田佳彦#マニフェスト順守の必要性を訴える映像野田佳彦#「18歳からタバコ」発言のことです。記事の他の部分と比べて報道の量が特段に多いというわけでもないのに、見出しまでつけて書くのはWikipedia:特筆性#記事内容の特筆性に反していると思います。そこで、記述を簡潔にしてそれぞれ関係の深い、野田佳彦#生い立ち野田佳彦#野田内閣野田佳彦#野田内閣野田佳彦#政治家としてに組む込むことを提案します。タバコ関係は野田佳彦#人柄、性格、趣味などに愛煙家としてのエピソードとして記述するとよいと思います。--Bugandhoney会話2012年4月6日 (金) 19:33 (UTC)[返信]

松下氏の死と閣議決定

2012年9月19日 (水) 02:50の加筆分に関してですが、出典となっている産経の記事では松下金融相の死に触れられていなかったので、独自研究の除去(閣議決定を松下氏の死に絡めて論じている文献は見つかりませんでした)として該当する部分の除去および推敲を行ったところ、松下大臣の死の9日後というのは事実である上に、重要なのは次の点です。「(閣議決定に重要な影響のあった)松下大臣の死と、松原大臣の外遊が重なっていなければ閣議決定が成立していない」という点利用者‐会話:Bugandhoney#野田佳彦の編集について)として、松下氏の死に言及のある出典を加えることなく同じ記述が再び投稿されました[7]

まず、ウィキペディア記事には事実であれば何でも書いてよいということはないです。WP:SYNTHESISには、「AでありBである、ゆえにCである」という論証は、その記事の主題に関連する形で信頼できる情報源によって既に発表されている場合にのみ、掲載することができますとあります。松下氏が自殺したのは事実で出典は探せばありますが、「(閣議決定に重要な影響のあった)松下大臣の死と、松原大臣の外遊が重なっていなければ閣議決定が成立していない」というのはウィキペディア編集者の独自見解ですから、直接具体的にそのような見解を述べている出典が必要です。松原氏の外遊に関しては産経記事中で「野田氏側近」がそのような証言をしているので構わないですが、松下氏の死に関しても同様に閣議決定の要因となったという第三者の言及が必要です。そのような文献が見つからない限り(私のほうで新聞記事検索した限りではそのような記事は見つかりませんでした)、ウィキペディア記事に含めるべきではありません。問題の箇所に関しては別の編集者も除去を行っており[8]、同様の問題点を指摘しています(利用者‐会話:Triglav#野田佳彦)。ちなみに、人権擁護法案#人権救済機関設置法案の経緯にあるとおり、この法案の閣議決定・国会提出は松下氏の死の前から何度も取りざたされているのであって、松下氏の死が閣議決定の要因となったというのは、必ずしも自明なことではないです。今一度、WP:NORを確認してから記事を編集するよう、お願いします。さらにちなみに、ウェブ上の文献を出典にする場合はURLだけを記載したらだめです(WP:WEBREF参照)。WP:CITEに従って、文献のタイトル、発表者、発表日、アクセス日なども記載してください。--Bugandhoney会話2012年9月20日 (木) 16:37 (UTC)[返信]

ノートに項目を加えていただいて感謝します。「重要な影響」というのは「法的」に閣議決定「不可能」という意味なのであって、「法的な裏づけ」自体が出典でしょう。言い換えると、松下氏の死が閣議決定の要因となったというのは、「自明」です。というわけであなたの説明では同意しかねます。 --Abctheory会話2012年9月21日 (金) 07:04 (UTC)[返信]

?ちょっと意味が分からなかったですけど、それは閣議で松下氏と松原氏が反対するはずなので法的に閣議決定できないとか、そもそも閣議決定に諮れない、などという仮定ですよね。法案に反対することと、それを内閣の一員として公的な場で公式に否定することはまったく別だと思いますけど。これは、やはり一ウィキペディア編集者の考えであって、そういうことが直接的に書いてある文献がないと記事には書けないです。単純に言って、二人の編集者が異議を唱えるような事柄が自明のはずがないと思いますけど。
読売新聞の記事では国会提出前に閣議決定をもう一回行うとされていて、その際には松原氏も含める、というようなニュアンスが読み取れますね。--Bugandhoney会話2012年9月21日 (金) 14:26 (UTC)[返信]

読売の記事は採決がもう一度必要としか書かれてないじゃないですか。そこに含まれるのは「(法的に)そのときの」閣僚です。これは重要な違いです。しかし9月19日の時点での閣議決定は松下氏の死と松原氏の外遊が重ならないと閣議決定できないのは「自明」です。「法案に反対することと、それを内閣の一員として公的な場で公式に否定することはまったく別だ」というのは二枚舌を前提にしてるような理屈であって、現にそんな切り口はどこでも語られてないでしょう。読売の記事の読み方をみてもあなたの切り口の方がむしろ独自研究ですね。--Abctheory会話2012年9月21日 (金) 17:54 (UTC)[返信]

はい。その通りです。記事を読んで思ったことをどこでも語られていない切り口でウィキペディア記事本文に書き込むのは不適切ですよね。単に、新聞記事を読んで私がそう思ったというだけですから。ですから、私は読売の記事を出典にして今書いたようなことを記事本文に加筆することはしませんし、Abctheoryさんにもそうしてほしいのです。--Bugandhoney会話2012年9月21日 (金) 19:13 (UTC)[返信]

いやいや、肝心の部分に答えてください(笑)。書き込んでる意味がなくなっちゃうんで--Abctheory会話2012年9月22日 (土) 04:05 (UTC)[返信]

9月19日の時点で関係している人物は、松下氏ではなくて安住氏なのでは?。まぁ、そんなことより、他所で書かれてないのですから、ウィキペディアに書く必要もないと思います。「自明」なのですから(笑)。資料が無いものについて「書けるんだ」と訴えるより、資料を探してきて、それがウィキペディアに使えるか?を話し合ったほうが解決が早いと思うのですが。「ほら、こんなに話題になってますよ」って。いかがです?。--Triglav会話2012年9月22日 (土) 04:37 (UTC)[返信]
(Abctheoryさんへ)WP:TALKというのが一応あって、記事に付随するノートページは利用者が個人的な見解を開陳する演壇として用いられるべきではありませんとなっているのですよ。要するに、閣議決定の経緯に関して私が個人的にどう考えているかはウィキペディアではカウントしないし、ノートページに書き込むのも本当は適切ではないのです。ノートページでは外部の文献にはこう書いてあるから記事にはこう書くべきだ、とか話し合うべきでは。--Bugandhoney会話2012年9月24日 (月) 13:45 (UTC)[返信]

竹島単独提訴の先送り

この編集のことです。出典を確認したところ、野田氏の名前がなく、野田氏がこの決定にどのようにかかわっているのか、どのような態度を持っているのか不明であったので、独自研究として取り除きました。WP:NORには、独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することとなっています。竹島 (島根県)野田内閣 (第3次改造)など、関連した記事に加筆するのがもっとも適切であるように思われます。

このウィキペディア記事では今までのところ、野田氏が竹島問題にどのように取り組んでいるのか一切触れられていませんが、先月の国連総会の演説などを見る限りでは、歴代政権と比べても積極的に解決しようとしている姿は私にはうかがえます。また、出典となっている記事でも外務省幹部の「単独提訴する方針に変更はない。最も効果的なタイミングを狙う」という言葉で終わっていて、提訴の先送りは単なる外交上の戦略であることがうかがえます。一方という接続詞を使って野田氏の尖閣諸島問題に対する取り組みと対比させた上で、単独提訴を先送りするなどしているなどと野田氏が竹島問題の取り組みに消極的であるように示唆するのは、出典となっている記事の文脈からも逸脱していると思います。

以上から、野田氏が提訴先送りにどのようにかかわっているのか、どのようなコメントを発したのか、直接知ることができる出典が見つかるまでは、ウィキペディア記事から除去するのがもっとも適切であると思います。--Bugandhoney会話2012年10月26日 (金) 13:09 (UTC)[返信]


『このウィキペディア記事では今までのところ、野田氏が竹島問題にどのように取り組んでいるのか一切触れられていませんが、先月の国連総会の演説などを見る限りでは、歴代政権と比べても積極的に解決しようとしている姿は私にはうかがえます。』

↑この理由で編集権を濫用するというのは問題ですね。これこそ主観でしょう。事実はそのまま受け入れないとwikiにはなりません。野田首相の外交方針でないというなら、「それは知らない」とでも答弁するでしょうか?完全に可能性がゼロであることまで想定することには全く賛成しません--218.226.16.124 2012年10月26日 (金) 13:44 (UTC)[返信]


『野田氏の名前がなく、野田氏がこの決定にどのようにかかわっているのかどのような態度を持っているのか不明』

↑こんなバカバカしい想定で独自というのはあまりにもナンセンスであるので、比較的早期に復元するつもりです。もう少し説得力のある説明をどうぞ--218.226.16.124 2012年10月26日 (金) 13:50 (UTC)[返信]


さらにもう一つ明確に反論しておきますが、「一方」というのは「…と同時に。」という意味があり「効き目が早い一方、持続力もある(明鏡国語辞典)」という使用もされます。日本語の理解が狭すぎます。butなどの英語でも基本事項(つまり順接と逆接の明確な区別があるわけではない)でしょう。というわけで全く不賛成です。--218.226.16.124 2012年10月26日 (金) 14:09 (UTC)[返信]

コメントどうもです。とりあえず、Wikipedia:エチケットWikipedia:礼儀を忘れないを今一度ご確認ください。こんなバカバカしい想定などと他の編集者を見下す発言は避けてもらえるとうれしいです。
次に、Wikipedia:合意形成を今一度ご確認ください。比較的早期に復元するつもりとのことですが、ノートで議論をしている最中に編集を強行することは編集合戦しか起こさないので、絶対に避けてください。
それで、ちょっと意味が分からなかったのですが、私は提訴先送りが野田首相の外交方針ではなく、それは知らないなどと野田氏が答弁するかもしれない、などということを主張したいわけではなくて、この問題に対して野田氏がどういうスタンスで臨んでいるのかが記事からは分からない、というだけです。野田氏が積極的に竹島問題に取り組んでいるというのは私の主観ですから、もちろん記事には書けないですし、書こうともしていないです。もしも、先月の国連総会での演説に触れたいのであれば、この記事主題は「野田佳彦」であって記事の主題に直接関連のある情報WP:NOR)ですから、野田氏の演説内容を紹介することはできます。野田氏は演説では韓国を名指しはしませんでしたが、発言は竹島問題を念頭に置いているという解釈は複数の文献で確認できますから、そのような解釈を記事に含めることもできます。一方で、あなたの編集は野田氏が竹島問題にどのように取り組んできたかという文脈が提供されておらず、尖閣諸島に対する取り組みと対比させた上で「先送りなどしている」などとしており、信頼できる情報源での解釈や解析を用いずに問題解決に消極的であるかのように示唆しており、これは独自研究に当たります。野田氏が竹島問題にどのように取り組んできたのか、その上で、野田氏の政策方針にとってこの単独提訴先送りにどのような意味があるのか、外部文献にある分析・解釈を用いて記述するべきです。今の出典にはそのような分析はないですし、私が調べた限りでは提訴先送りに絡めて野田氏を直接批評している報道記事はないです。--Bugandhoney会話2012年10月26日 (金) 15:07 (UTC)[返信]