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クララ・ボウ

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クララ・ボウ
Clara Bow
クララ・ボウ Clara Bow
本名 Clara Gordon Bow
生年月日 (1905-07-29) 1905年7月29日
没年月日 (1965-09-27) 1965年9月27日(60歳没)
出生地 ブルックリン
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
配偶者 レックス・ベル(1962年死別)
著名な家族 息子2人
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クララ・ボウClara Gordon Bow1905年7月29日 - 1965年9月27日)は、アメリカ合衆国女優ニューヨーク州ニューヨークブルックリン出身。

生涯

父親はアルコール依存症、母親は精神疾患を患っており、時折売春婦まがいのことをして金を稼ぐという非常に貧しい家庭に生まれる。子供の頃は汚い格好をしていたため、女の子達は遊んでくれずにいつも男の子達と遊んでいたという。また、父親から性的虐待の被害に遭ったともいう[1]

クララはその中から這い上がるため、女優になることに望みをかけるようになる。ティーンエイジャーの時に雑誌の美人コンテストで優勝、1922年に映画デビューのチャンスをつかむ。しかしその作品『虹の大空 (Beyond the Rainbow)』ではクララの出演したシーンはすべてカットされてしまう。同年の『船に打ち乗り海原指して (Down to the Sea in Ships)』でデビューする。

女優は売春婦と同じだと信じていたクララの母親は、女優になった彼女を殺そうとしたこともあったという。クララの母親は1923年に精神病院で死去したが、クララは生涯を通じて罪悪感にさいなまれることになる。

同時にクララのキャリアは上昇、特に映画プロデューサーのB・P・シュールバーグに見出されてお色気コメディ映画に出演してから人気を集めるようになり、1922年のデビュー以来数年でハリウッドの人気女優となる。

1927年、コメディ映画『あれ (It)』で健康的なお色気を発散するデパートガールを演じ、映画は大ヒット。以来"It Girl"と呼ばれるようになる。月に45,000通のファンレターを受け取ったこともあるという。また、同年に出演した『つばさ』は第1回アカデミー賞作品賞を受賞した。

彼女の人気が上がるにつれ、タブロイド紙は彼女の派手なライフスタイルを書き立てるようになる。アルコール・ドラッグ・ギャンブル・セックスなど多くのスキャンダルがまことしやかに語られ、また彼女の金を横領していた秘書が解雇された腹いせに彼女の私生活を暴露するなどし、人気はあっという間に衰えてしまう。

1930年代に入るとトーキーの波に乗り切れず、1933年に引退を余儀なくされる。その後、1931年に結婚した俳優のレックス・ベルと共に住み、2人の息子をもうけた。夫のレックス・ベルはネバダ州副知事を務めたこともあった。クララは1965年に心筋梗塞で死去した。

主な出演作品

『つばさ』予告編より(1927年)

脚注

  1. ^ SHH... IT'S STARTING: Ain't 'IT' a Shame PopMatters 2006年1月6日(英語)

外部リンク