渡辺喜八郎
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わたなべ きはちろう 渡辺 喜八郎 | |
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生誕 | 1922年[1] |
死没 | 2006年11月26日(84歳没)[2] |
職業 | 実業家、馬主 |
肩書き |
東京都トラック協会元常任理事 東京馬主協会元副会長理事 [2] |
子供 | 渡邊 隆(長男)[2] |
渡邊 喜八郎(わたなべ きはちろう、1922年 - 2006年11月26日)は、日本の実業家、馬主。物流業・運輸業を手掛ける東江運輸株式会社の創業者[3]。馬主登録上の表記は渡辺 喜八郎。
経歴
1951年11月1日、東京都江東区に[4]東江運輸株式会社を創業、以降運輸・物流業に従事した。
馬主活動
日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主として知られた。勝負服の柄は黄、緑一本輪、袖緑三本輪、冠名には「トウコウ」を用いたが、冠名のない所有馬もいる。なお、同じく馬主である長男の隆は、当時は黄、青一本輪、赤袖[注 1]の柄の勝負服を使用し、冠名も用いなかった。
来歴
- 1968年 - 馬主資格取得[1]。その後初めて所有したイズミトウコウが計7勝を挙げた[1]。
- 1972年 - ノボルトウコウがスプリンターズステークスを制し、重賞初制覇。
- 1974年 - トウコウエルザが優駿牝馬を制し、八大競走初制覇。
主な所有馬
八大競走優勝馬
重賞競走優勝馬
- ノボルトウコウ(1972年スプリンターズステークス、1974年小倉大賞典、関屋記念、福島記念、1975年七夕賞)
- ホスピタリテイ(1981年青雲賞、1982年セントライト記念、京浜盃、黒潮盃、羽田盃)
- キリノトウコウ(1987年クリスタルカップ)
- アイビートウコウ(1989年ダービー卿チャレンジトロフィー)
- ワカタイショウ(1990年中山大障害・秋)
脚注
注釈
- ^ 現在は青、白襷に変更している。
出典
- ^ a b c 「取材者としては失格」サイレンススズカ“あの悲劇の天皇賞・秋”を現地観戦していた記者が“無くした記憶”「スズカだけのレースではない…」 - Sports Graphic Number Web、2022年10月31日閲覧。
- ^ a b c d プレストウコウの馬主、渡辺喜八郎氏が死去 - netkeiba、2022年10月31日閲覧。
- ^ “未来に語り継ぎたい名馬物語(10) レーティング134ポンドは世界的名馬の証 エルコンドルパサーの功績”. 優駿 Official web Site. 中央競馬ピーアール・センター. 2022年10月31日閲覧。
- ^ 東江運輸 - 東江グループ、2022年10月31日閲覧。