コンテンツにスキップ

藤丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Anicos (会話 | 投稿記録) による 2023年1月23日 (月) 00:12個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

藤丸
FUJIMARU
店舗外観(2020年2月)
地図
地図
店舗概要
所在地 080-8677
北海道帯広市西2条南8丁目1番地
座標 北緯42度55分23.4秒 東経143度12分5.4秒 / 北緯42.923167度 東経143.201500度 / 42.923167; 143.201500 (藤丸)座標: 北緯42度55分23.4秒 東経143度12分5.4秒 / 北緯42.923167度 東経143.201500度 / 42.923167; 143.201500 (藤丸)
施設所有者 ふじまるビル株式会社
延床面積 42,081 m²
商業施設面積 28,854 m²
店舗数 7店
駐車台数 300台
前身 北越呉服[1]
最寄駅 帯広駅
外部リンク 藤丸百貨店ホームページ
テンプレートを表示
株式会社藤丸
FUJIMARU,LTD.
種類 株式会社
略称 藤丸
本社所在地 日本の旗 日本
080-8677
北海道帯広市西2条南8丁目1番地
設立 1900年明治33年)8月[2]
業種 小売業
法人番号 4460101001500 ウィキデータを編集
事業内容 百貨店
代表者 藤本 長章
資本金 9,000万円[1]
売上高 70億2605万円(2013年8月期)[3]
純利益 ▲6780万4000円(2018年08月31日時点)[4]
総資産 37億9160万8000円(2018年08月31日時点)[4]
従業員数 156名
決算期 8月
関係する人物 藤本長蔵
外部リンク 藤丸百貨店ホームページ
テンプレートを表示

株式会社藤丸(ふじまる)は、北海道帯広市にある日本の百貨店。かつて存在した全日本デパートメントストアーズ開発機構の加盟店。地元十勝地区では「藤丸さん」と呼ばれて親しまれている[1]。2022年7月に私的整理による事業再生の検討が行われていると報じられた[5]。2023年1月末で閉店し建物の耐震改修後に新会社に承継される予定だが、再開後の事業形態については複数案があり未定である[5]

歴史

創業

富山県養蚕農家出身の初代・藤本長蔵(1873年(明治6年) - 1945年(昭和20年))が1897年(明治30年)に呉服太物類(反物)やニシン行商で下帯広村(現帯広市)を訪れ、船の転覆で全財産を失ったものの、その活況ぶりに注目して移住を決意し、同年11月に下帯広村(現帯広市)大通六の借家に呉服太物類(反物)を扱う店を開いたのが始まりである[2]

翌年1901年(明治34年)には木造平屋建ての自前の店舗を開いたが[1]1902年(明治35年)に知人に貸した1000円が貸倒れになって仕入れ資金にもことを欠くようになったため、再び故郷の富山で資金を集め、1900年明治33年)8月北越呉服を設立し、11月には店員を雇って営業を再開させた[2]

東京や大阪から古着や古毛布などを仕入れて販売し[2]1915年(大正4年)には故郷の富山から瓦を取り寄せて大通五の店を[2]土蔵造り2階建て[1]の道内有数の規模に改築できるまで成功した[2]

1919年大正8年)2月に当時の繁華街から外れた裁判所跡地だった現店舗の土地(西2条南8丁目)を高額で購入して周囲を驚かせ[2]1930年(昭和5年)にはその土地に十勝初のエレベーターを備えた[1]木造一部鉄筋コンクリート四階建て約2,640m2の店舗を建設して百貨店を開業し[2]、人口わずか2.8万人の帯広町で昭和初期の不況のさなかという悪条件にもかかわらず呉服店から百貨店経営に切替えて軌道に乗せることに成功した[2]

この初代店舗は1階雑貨と食料品の売り場に手荷物預かり所とトイレ、2階には呉服類の売り場と休憩所、3階には洋服と和洋小間物類の売り場と大食堂、4階には貴金属・家具類売り場と理髪美容室のほかに大ホールという店舗構成であった[6]

第2次世界大戦の終戦後の食糧難の時代には日用品交換所を開設して衣料品と貴重な砂糖などを交換する人たちでにぎわった[7]

成長

初代・藤本長蔵の死を受けて、二代目・藤本長蔵(1897年(明治30年) - 1990年(平成2年))を襲名した孫信は1949年(昭和24年)に社長に就任[2]すると、翌年1950年(昭和25年)に現在の社名である株式会社藤丸に改称し[1]1961年(昭和36年)に西2条南9丁目に新館を建設して移転させて拡張し[2]1965年(昭和40年)には売場面積5,126m2で売上高13.8億円を上げて人口の多い小樽の丸井今井や大国屋、旭川の丸勝松村などを上回るほど[8]までに成長させた。

3代目の社長となった藤本善雄(1924年(大正13年) - 1987年(昭和62年))は百貨店を創業した跡地を中心とする市街地再開発事業に参画して[2]1982年(昭和57年)に「ふじまるビル」を作って現在の店舗を完成させて規模拡大を図り[2]、4代目社長の藤本長章が引継いだ後の1997年(平成9年)には年商143.83億円[9]を上げるまでに成長させたが、バブル崩壊後の不況や郊外型の大型店などとの競合に伴う中心市街地の空洞化で年々売上は減少し、2000年(平成12年)には年商121.38億円[9]2009年(平成21年)には年商約79億円[1]2010年(平成22年)には年商約77億円と落ち込んでピークから半減してしまっているが、3年間の再生計画を実行中の2007年(平成19年)と2008年(平成20年)には連続して黒字を計上するなど経営努力を重ねている。

店舗周辺の商店街と連携して夏に歩行者天国を開いたり、十勝ブランド商品の発掘を行うなど従来からの十勝地方での地域密着の営業戦略[1]に加え、オホーツク物産展の開催など道東一円の物産の紹介を行った[10]

事業再生

2022年7月に私的整理による事業再生の検討が行われていると報じられた[5]。2023年1月末で閉店することになり、帯広市のベンチャー企業「そら」に藤丸の屋号と事業を引き継ぐ新会社設立を要請している[5]。2023年中の営業再開を目指しており、「そら」も藤丸の屋号を残す意向とされるが、事業形態については百貨店の継続やテナント業への転換など複数の案が検討されている[5]

店舗は敷地の地権者が9の法人・個人、建物の区分所有者が13の法人・個人で、権利関係が複雑なため再建計画の策定ができない状態になっていたが、2022年11月に土地建物の権利集約で合意したことが明らかになった[11]

2022年12月末に「村松ホールディングス」及び「そら」は「そら」の所在地[12]に受け皿会社「藤丸株式会社」を設立した。[13] それに先立って閉店後の2023年4月にも耐震化へ着手し、23年12月に営業再開できる見通しと同2社側は発表した。[14]

年表

  • 1897年(明治30年) - 初代・藤本長蔵が富山県から下帶廣村(現在の帯広市)へ。反物の店を開く。
  • 1900年(明治33年) - 前身の「北越呉服」を創業[1]
  • 1930年(昭和5年) - 平原通り沿いの旧裁判所用地、現在の三代目店舗と同じ場所に4階建ての百貨店として新築・移転。
  • 1931年(昭和6年) - 屋上に猿、ウサギ、小熊などの小動物園開園。廉売場も設置。
  • 1961年(昭和36年)11月20日 - 二代目店舗を新築し移転・開店。
    • 移転直後、初代店舗建物は藤丸系列の食品スーパー『ふじともストア』が1962年(昭和37年)に開店し[15]、同店閉店後は三代目店舗の新築まで商品倉庫となる。
  • 1962年(昭和37年)4月 - 屋上遊園地 開園。
  • 1962年(昭和37年)7月 - ロケット型・一部電飾仕掛けのナショナル広告塔が屋上に設置される。
  • 1982年(昭和57年)3月1日 - 「帯広二・八西地区第一種市街地再開発」事業でかつて初代店舗が立地していた場所に建設された『ふじまるビル』に三代目にあたる現在の店舗を新築・移転[16]。地上8階地下3階。うち地下2階-地下3階は駐車場。
  • 2002年(平成14年)7月 - 定休日を廃止し、ほぼ年中無休化する[17]
  • 2022年(令和4年)11月23日 - 帯広空港内にある直営店の藤丸空港店が営業終了[18]
  • 2023年1月31日 - 閉店予定[5]。閉店後に耐震改修が行われ2023年中の営業再開を目指しているが、再開後の事業形態については複数案が出ており未定である[5]

商業活動

歴代店舗

各階フロア構成

フロア概要
塔屋、屋上 「藤丸夏祭り」開催期間のみ、一般客に開放[19]
8F 帯広市市民活動交流センター - 帯広市が入居・運営。2006年10月1日オープン[20]
2006年9月迄は物販関連の催事場[21]
7F レストラン街[22]勝毎サロン[23][24]
催し物会場[25]2006年9月迄は藤丸カルチャーホール[21]
6F 書籍(信正堂書店[26])、ベビー子供服用品[27]、おもちゃ売り場[27]、宝飾
5F リビング・インテリア、着物
4F 紳士服[28]、スポーツ用品[29]
3F ビジネス関連婦人服
2F 婦人服
1F 贈答品、若い女性向けのファッション・グッズ、OCTVサテライト・スタジオ
B1F 食料品[30][31]
B2F 地下駐車場
B3F 地下駐車場

フジトモ

1962年(昭和37年)に当社初代店舗建物を活用して食品スーパーを開店した[15]のが始まりで、帯広市西18条南4丁目の西18条店[32]音更町木野大通西17に1994年(平成6年)3月に開店したスーパーセンターOKを運営していた[33]

2代目店舗跡

3代目店舗への移転に際して、北海道拓殖銀行が3代目店舗の建設地に保有していた土地と交換する形で2代目店舗跡のビルを取得して帯広支店となり[16]、同行の経営破たんに伴って1998年(平成10年)11月からは帯広北洋ビルとして北洋銀行帯広中央支店として利用されていた[34]

しかし、老朽化が進んだため北洋銀行帯広中央支店が2011年(平成23年)5月に帯広駅北側のオフィスビルに移転し、同年9月15日から解体が始められることになった[34]

解体後の跡地は地元の医療法人社団博愛会に売却され、診療所と介護施設、高齢者向け住宅、エステなどを組み合わせたビルの建設が計画されている[35]

実現しなかった店舗

国道38号沿いの幕別町札内共栄町164に太平洋建設工業帯広工場とその周辺約58,000m2の敷地に当社の運営する百貨店と関連会社フジトモの運営する食品スーパーや専門店などの入る2階建て店舗面積約18,500m2の本館と平屋建て店舗面積約3,300m2の別棟に約1,600台収容の駐車場を併設するショッピングセンターを開設する計画を立てていたが[36]、用地買収が困難となり断念した[37]

その後第2札内橋の幕別側の西和地区の農地約150,000m2の敷地に進出する計画が浮上したが[37]、2000年(平成12年)7月に出店を断念した[32]

買い物ツアーバス

2006年平成18年)8月丸井今井釧路店が閉店したため買い物客が増えつつあった釧路市周辺の顧客を取り込もうと[38]山田章男専務の発案[10]2008年平成20年)3月1日に初めて釧路から店舗まで送迎する当時全国的にも珍しかった買い物ツアーバスという長距離の送迎バスを運行したところ、100人の予定を大幅に上回るほど申込みが殺到し、急遽バスを10台に増やして350人を送迎したのが始まりである[38]

その成功を受けて、2007年平成19年)10月にきたみ東急百貨店が閉店した北見市や、網走市中標津町にも拡大し[1]、丸井今井やきたみ東急百貨店の閉店後、道東(北海道東部)では唯一の百貨店[1][38]として全域から集客するのに成功している。

この買い物ツアーバスの大成功が切っ掛けとなり、大丸札幌店や西武百貨店旭川店も北見市からの同様の買い物ツアーバスを運行したり、逆に大丸が北見市で出張販売を行うなどのような百貨店が撤退した百貨店空白地の需要を狙う営業戦略に道内各地の百貨店が取り組むようになっている[39]

藤丸ファンの活動

地元十勝の人に「藤丸さん」と呼ばれて親しまれてきた伝統を背景に、若い頃に勤務していたOGが作詞した曲「藤丸で逢いましょう」を主婦ら約100人が2010年(平成22年)3月に合唱したほか、2007年(平成19年)には藤丸ファンの市民グループが結成されて、ボランティアでカタログ送付などを手伝い始めるなど熱心な一般市民のファンによる支援活動が行われている[1]

文化活動

初代店舗大ホール

初代店舗の大ホールでは絵画展・写真展・生け花展・書道展・菊花展・盆栽展などの各種の文化催事が行われており、帯広地区の文化に大きな影響を与えたとされている[6]

藤丸カルチャーホール

1982年(昭和57年)3月の三代目店舗の開業と共に7階に設置された展示空間で、1985年(昭和60年)に開催されて北海道立帯広美術館の誘致活動の一端にもなった「ミレーとバルビゾンの森の画家たち」展等の美術展のほか、「植村直己冒険の軌跡展」や「帯広小学校90周年回顧展」等の博物館的なものを含めて多数の展覧会が開催された[40]

美術館・博物館代わりの展覧会のほかにも、クリスマスイベントや人気キャラクターのコレクションを集めたフェスティバル等の手作りイベント[41]、地元の趣味のサークルによる発表の場等として利用された[42]

こうした活動が評価され、1999年(平成11年)度の北海道地域文化選奨特別賞企業市民文化賞[43]を2000年(平成12年)1月に受賞している[42]

2006年(平成18年)10月1日に8階に帯広市市民活動交流センターが開設された[44]ことに伴い、8階にあった催事場[45]が閉鎖され、カルチャーホールが物販関連の催事場と併用される[21]ことになったため、利用制限を受けた地元の文化団体が代替施設となる「市民ギャラリー」の設置を求めた[46]

凍原の活動への支援

1945年(昭和20年) 12月15日、帯広で発行された文芸誌「凍原」の創刊前にウインドーに「原稿募集・創刊近し」とポスターを掲げるなど当初から支援を行い、その後店舗2階に発行元の「凍原社」に事務所を構えさせた[47]

この「凍原社」は「凍原」のほかタブロイド判の文芸新聞「とうげん」、「凍原文庫」の開設など文芸関連のみならず、音楽会や美術展などの開催から演劇研究会など幅広い文化活動を展開した[47]

「凍原」を改題する形で1947年(昭和22年)6月と10月の2号を発行した北海文学社の「北海文学」では、後に当社の社長となった藤本善雄が発行人を務めていた[47]

脚注・出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m “【百年企業@北海道】藤丸”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2010年6月16日) 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 十勝毎日新聞社編『十勝20世紀 激動の軌跡』十勝毎日新聞社、2001年。 
  3. ^ “藤丸売上高16年ぶり前期比増”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2013年9月7日)
  4. ^ a b 株式会社藤丸 第68期決算公告
  5. ^ a b c d e f g 帯広・藤丸が来年1月閉店 経営陣退き全従業員150人解雇 規模縮小し再開案も”. 北海道新聞. 2022年7月7日閲覧。
  6. ^ a b “道内百貨店の危機!藤丸デパートを応援しよう”. 帯広商店街かわら版「いらっしゃい」第99号 (帯広市商店街振興組合連合会). (2009年2月25日)
  7. ^ 伊藤昭廣(2000年11月23日). “十勝20世紀 第6部×生活編(7)「食文化」”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  8. ^ デパート新聞社編『全国百貨店年鑑 昭和42年版』デパート新聞社、1967年。 
  9. ^ a b 未上場百貨店の売上高、3年前に比べ8割がダウン 〜57社中、48社の売上高が減収〜 (Report). 帝国データバンク. 2001.
  10. ^ a b “サンデートーク 買い物バスツアーなどを提案した藤丸の専務 山田章男さん(60) お客様に来ていただくことから始まる”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2008年8月3日) 
  11. ^ 帯広・藤丸の不動産一本化へ 主要地権者が大筋合意 再建計画策定に前進”. 北海道新聞. 2022年11月15日閲覧。
  12. ^ 北海道帯広市西2条南8丁目14番地3。藤丸店舗に近接している。
  13. ^ https://mainichi.jp/articles/20221229/ddl/k01/020/015000c
  14. ^ https://e-kensin.net/news/153843.html
  15. ^ a b 『帯広商工会議所創立90周年記念誌 90年のあゆみ』 帯広商工会議所、2011年12月19日。
  16. ^ a b 橘康隆(1998年11月4日). “消える拓銀「第1部 十勝での足跡」再開発ビル 資金、人材 大きかった存在”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  17. ^ 近藤政晴“藤丸、来月から無休 商環境変化、ニーズに対応”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2002年6月2日)
  18. ^ 「藤丸空港店」11月23日営業終了 帯広空港内直営店”. 北海道新聞. 2022年11月15日閲覧。
  19. ^ 2008年8月13日(水)藤丸夏祭り(あきらのボヤキⅡ)
  20. ^ 安福晋一郎(2006年12月24日). “利用層が固定化傾向 帯広・市民活動交流センター 来場者増加も 一般アピール必要に”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  21. ^ a b c 植木康則、能勢雄太郎(2005年12月17日). “市が中心部活性化策で 藤丸8階借り上げ検討”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  22. ^ 藤原剣(2006年12月24日). “楽しいメリークリスマス”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  23. ^ “天才アラーキーの脳味噌の中(5)”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2001年6月20日)
  24. ^ 井上朋一(2012年8月19日). “来月1日 いのちを紡ぐ音楽会を開催 北海道ガーデンショー”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  25. ^ “十勝の味覚大集合 「収穫市」始まる”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2013年11月14日)
  26. ^ 松村智裕(2003年2月15日). “食の安全高まる関心 本の売れ行き好調”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  27. ^ a b http://www.tokachi.co.jp/news/201205/20120511-0012546.php “13日に雑誌「はっぴーママ」への子ども撮影会”]. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2012年5月11日)
  28. ^ “お父さん“大変身”ファッションショー”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2010年6月21日)
  29. ^ 酒井花(2004年4月17日). “フレッシュさん 藤丸勤務 森上有沙さん(19)”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  30. ^ 酒井花(2002年9月19日). “「デパ地下」改装オープン 藤丸 総菜実演に長い列”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  31. ^ 酒井花(2002年7月2日). “藤丸“デパ地下”全面改装 実演型調理や総菜充実 12年ぶり、5億円超投資”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  32. ^ a b “フジトモ「励明薬湯」跡取得 スーパー出店検討”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2000年12月6日)
  33. ^ “木野のOK内に出店 おもちゃ量販店「トイザらス」”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2000年3月7日)
  34. ^ a b “旧北洋ビル15日解体着手 跡地は未定”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2011年9月13日)
  35. ^ “北洋跡地に博愛会が医療福祉ビル”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2012年5月11日)
  36. ^ 末次一郎(1998年2月14日). “藤丸が札内に出店 国道38号沿い、太平洋建設工業敷地と周辺 2棟、2万平方メートル超”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  37. ^ a b 末次一郎(1998年8月28日). “藤丸の札内出店計画候補地変更 第2札内橋周辺に”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  38. ^ a b c “帯広の百貨店・藤丸 釧路から無料送迎バス初運行 予想の3倍350人利用”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2008年3月2日) 
  39. ^ “【2010年北海道経済】百貨店 遠方に商機”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2010年11月28日) 
  40. ^ 長谷川政利(2002年11月19日). “ともに歩んで 藤丸カルチャーホール誕生20年(上)印象深い「ミレー展」 最多記録の3万6000人入場”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  41. ^ 長谷川政利(2002年11月20日). “ともに歩んで 藤丸カルチャーホール誕生20年(中)手づくり企画 市民に定着”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  42. ^ a b 長谷川政利(2002年11月21日). “ともに歩んで 藤丸カルチャーホール誕生20年(下)地域密着文化を発信“普段着”感覚で気軽に利用”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  43. ^ 成田融(2002年11月3日). “藤丸「カルチャーホール」開設20年 地域文化の向上に貢献”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  44. ^ 栗田直樹(2006年10月1日). “市民活動交流センター 藤丸8階にオープン 多目的利用、中心部の拠点”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  45. ^ 安福晋一郎(2005年10月28日). “甘〜い香りに誘われ… にぎわいの中 菓子フェス開幕”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  46. ^ 植木康則、安田義教、池谷智仁(2006年10月20日). “藤丸カルチャーホールの代替 駅地下に市民ギャラリー 設置場所に浮上”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
  47. ^ a b c 武内哲(2000年8月22日). “十勝20世紀 第5部×文化編(1)「凍原」”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)

関連項目

外部リンク