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相空間

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力学系理論における相空間(そうくうかん、英: phase space)は、対象のシステムが取る状態全てから成る抽象的な空間である[1][2]状態空間(じょうたいくうかん、英: state space)ともいう[3][2][4]

力学系とは、システム(系)の現在の状態から将来の状態が一意に決まる決定論的な過程を数学的に定式化したもので、ある程度の精度ながらそのような法則が知られているシステムは物理的、化学的、生態的、経済的、社会的なものなど多くある[5]。相空間とは、力学系の基本構成要素の一つで、対象のシステムが取り得る状態全てを集めてできる集合である[6][5]。さらに、現在の状態から次の状態を定める決定論的法則と時間の2つを加えて、力学系が成立する[6][5]。相空間というものを導入することによって、空間上の1点を指定する形でシステムの状態を議論できるようになる[7]。すなわち、システムの状態の振る舞いを考えるときに、そのシステムの状態は相空間上でどんな動きをするのかという視点に切り替える概念的・視覚的な道具が相空間である[8]

単振り子の運動

通常、系の状態はいくつかの変数で表される[9]。これらの変数は状態変数などと呼ばれる[9][4]。例えば、力学系の例として、長さ一定で空気抵抗やその他外部からの影響を排した単振り子の運動を考える。このシステムの状態は振れ角 θ とその角速度 ω で一意に決まるので、(θ, ω) が状態を表す変数である[10]。そして、θω の組全体から成る抽象的な空間(θω を座標とする平面)を考えると、それがこのシステムの相空間である[6][11]。相空間を構成する一つひとつの要素は、単にと呼ばれる[12][13][11]ほかに、相[10][14]、相点[15][10]、位相[1][14]、位相点[16][9]、代表点[16][17]、状態[4]などと呼ばれる。

相空間上の点は、時間変化によって相空間内を動く。相空間上を点が動いてできる経路は軌道と呼ばれる[9]。時間を連続的なものとして考える力学系では、軌道は相空間上で連続的な曲線を描く[18]。一方、時間を離散的なものとして考える力学系では、軌道は相空間上でとびとびの点列となる[18]。決定論的に状態が定まるという要請により、相空間における2つの異なる軌道が交わることはない[19]。ある力学系の全軌道の概略を相空間上に示した図を、相図(英: phase portrait)という[20][21]

力学系の従属変数の個数すなわち相空間の座標の数は、相空間または力学系の次元と呼ばれる[22][23][24]。特に相空間は、状態変数が実数1つ(R1)のときには相直線と、状態変数が実数2つ(R2)のときには相平面と呼ばれることもある[25]。一般的に、系が非線形でなおかつ高次元になるほど系の取り扱いが難しくなる[26]。状態の空間的に連続的に分布している偏微分方程式で記述されるような力学系では、相空間の次元は無限になる[27][28]

種類

一般的なレベルでの力学系(とくに位相力学系)では、相空間を位相空間(英: topological space)として設定する[29][30][31]。ただし、相空間をまったく純粋な位相空間に設定すると、あまり詳しい結果は得られない[32]。実際には、位相空間であることに加え、いくつかの前提(例えば距離空間であること)を相空間に持たせて議論される[33]

力学系の例として多いのは、システムの状態がいくつかの実数の組 (x1, x2, … xn) で表される場合で、空間としてはユークリッド空間 Rn あるいはその部分集合で考えられることが多い[24][34][12]。力学系の軌道は特定の多様体上に制限されていることもあり、より一般的には相空間は多様体となる[24][35][36]。多様体に制限することで、それぞれの多様体が持つトポロジカルな性質を利用することもできる[37]。上記の単振り子の例でいえば、角速度 ω は単に実数だが、振れ角 θ の定義域は π < θπ であり、これは幾何学的には円周と同一視できる[38][39][6]。したがって、単振り子の系の相空間は、円周 S1 または T1 と直線 R直積集合で、幾何学的には無限に長い円柱面となる[40][38][39][6]。ただし、いくつかの注意を払えば、相空間を Rn あるいはその部分集合と仮定しても多くの場合で一般性は失われない[24][41]

可微分力学系では相空間は微分構造を持ち、ベクトル場で定まる連続力学系がその典型例である[42]。状態変数を x = (x1, x2, … xn) ∈ Rn、時間を tR とし、力学系が自励系n 連立一階微分方程式

で与えられるとき、相空間上の各点にはベクトル f (x) ∈ Rn が対応する[43]。このとき、f (x) は解曲線の接ベクトルに一致し、各点が時間経過したときに動く方向と大きさを表す[44][45]

測度論的力学系を展開するときは、相空間は可測構造を持つ[46]。この場合、相空間 X に対して

  • XF
  • AF ならば AcF
  • A1, A2,… ∈ F ならば
    i=1
    AiF

を満たすσ-集合体 F が存在し、AF に対して、

  • μ(A) ≥ 0 かつ μ(X) = 1
  • A1, A2,… ∈ F が互いに素ならば μ(∪
    i=1
    Ai) = ∑
    i=1
    μ(Ai)

を満たす確率測度 μ が与えられる[46][47]。さらに

  • AF ならば T−1A ∈ F
  • μ(A) = μ(T−1A)

を満たす保測写像 T を組にして測度論的力学系が成立する[46]

解析力学における相空間

物理学の解析力学(とくにハミルトン力学)で扱われる相空間は、物体の位置 q運動量 p を座標とする空間である[48]。これに対し、位置 q だけの空間は配位空間と呼ばれる[49]q自由度n のとき、相空間は 2n 次元 となる[50]

狭い意味での「相空間」は、このような力学における位置と運動量を座標にした 2n 次元空間を指す[51]。力学における「相空間」も、数学における「相空間」も、もとは phase space からの和訳で、数学以外では「位相空間」とも訳される[48][52]。しかし、数学では前出の topological space の意味で「位相空間」という用語を使うので、数学の世界または混合のおそれがある場合には phase space の意味では「相空間」という用語を使う[48][52]。「相空間 (phase space)」という用語自体は、力学における「相空間」の方が起源で、それを借用して数学でも「相空間」という用語で用いられている[52]

出典

  1. ^ a b 丹羽 2004, p. 16.
  2. ^ a b Kuznetsov 1998, p. 2.
  3. ^ 青木・白岩 2013, pp. 14–15.
  4. ^ a b c 徳永 1990, p. 66.
  5. ^ a b c Kuznetsov 1998, p. 1.
  6. ^ a b c d e 國府 2000, p. 1.
  7. ^ 森・水谷 2009, p. 9.
  8. ^ Jackson 1994, p. 17.
  9. ^ a b c d 井上・秦 1999, p. 65.
  10. ^ a b c 丹羽 2004, pp. 16, 34.
  11. ^ a b Strogatz 2015, p. 8.
  12. ^ a b Jackson 1994, p. 16.
  13. ^ ウィギンス 2013, p. 2.
  14. ^ a b 齋藤 2004, p. 19.
  15. ^ 小室 2005, p. 8.
  16. ^ a b 井上 1996, p. 44.
  17. ^ 下條 1992, p. 5.
  18. ^ a b 井上・秦 1999, pp. 25–26.
  19. ^ 井上・秦 1999, p. 66.
  20. ^ 伊藤 1998, p. 47.
  21. ^ Strogatz 2015, p. 138.
  22. ^ Strogatz 2015, p. 9.
  23. ^ アリグッド・サウアー・ヨーク 2012, p. 99.
  24. ^ a b c d 丹羽 2004, p. 31.
  25. ^ 今・竹内 2018, p. 107.
  26. ^ Strogatz 2015, pp. 13–14.
  27. ^ Strogatz 2015, pp. 12–13.
  28. ^ Kuznetsov 1998, p. 33.
  29. ^ 久保・矢野 2018, p. 26.
  30. ^ 青木・白岩 2013, p. 15.
  31. ^ 齋藤 2002, p. 15.
  32. ^ 齋藤 2004, p. 46.
  33. ^ 齋藤 2002, pp. 16–17.
  34. ^ ウィギンス 2013, p. 1.
  35. ^ Jackson 1994, p. 20.
  36. ^ 國府 2000, pp. 1–2.
  37. ^ 齋藤 2002, p. 16.
  38. ^ a b Strogatz 2015, p. 188.
  39. ^ a b 齋藤 2004, p. 87.
  40. ^ 丹羽 2004, pp. 10, 21.
  41. ^ ウィギンス 2013, pp. 1–2.
  42. ^ 久保・矢野 2018, p. 28.
  43. ^ 小室 2005, pp. 17–18.
  44. ^ 伊藤 1998, pp. 10, 13.
  45. ^ 森・水谷 2009, p. 24.
  46. ^ a b c 久保・矢野 2018, pp. 29–30.
  47. ^ 森・水谷 2009, pp. 155–161.
  48. ^ a b c 深谷 2004, p. 31.
  49. ^ 前野 2013, p. 215.
  50. ^ 前野 2013, p. 220.
  51. ^ 伊藤 1998, p. 111.
  52. ^ a b c 齋藤 2004, p. 20.

参照文献

外部リンク