アンドレアス・ブレーメ
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2008年のアンドレアス・ブレーメ | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | アンディ | |||||
ラテン文字 | Andreas Brehme | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1960年11月9日(63歳) | |||||
出身地 | 西ドイツ・ハンブルク | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF/MF | |||||
利き足 | 両足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1978-1980 | バルムベク=ウーレンホルスト | 68 | (10) | |||
1980-1981 | ザールブリュッケン | 38 | (3) | |||
1981-1986 | カイザースラウテルン | 154 | (33) | |||
1986-1988 | バイエルン・ミュンヘン | 59 | (7) | |||
1988-1992 | インテル・ミラノ | 116 | (11) | |||
1992-1993 | レアル・サラゴサ | 24 | (1) | |||
1993-1998 | カイザースラウテルン | 120 | (9) | |||
代表歴 | ||||||
1984–1994 | 西ドイツ ドイツ | 86 | (8) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アンドレアス・ブレーメ(Andreas Brehme、1960年11月9日 - )は、ドイツ・ハンブルク出身の元同国代表サッカー選手、指導者。ポジションはDF(サイドバック)・MF(ウイングバック・センターハーフ)。
積極的な攻撃参加と、正確なクロスボールを供給することを得意とし[1]、ドイツきってのPKやFKの名手でもあり[2]、多くの得点源となった。
経歴
地元のバルマークというクラブのマネージャーを務めていた父の影響でサッカーを始め、1980年にブンデスリーガ2部の1.FCザールブリュッケンでプロデビュー。翌1981年にカイザースラウテルンに移籍し、すぐさま頭角を現すと1986年に国内のバイエルン・ミュンヘンへ移籍。1986-87シーズンのUEFAチャンピオンズカップ決勝ではFCポルトに敗れたが[3]、リーグ制覇に貢献した。
1988年にセリエAのインテル・ミラノへ移籍、開幕戦となった10月9日のアスコリ戦でセレーナのゴールをアシストするデビューを飾ると、2節のピサ戦でセリエA初ゴールを決めるなど[4]、そのシーズンのスクデット獲得に貢献し、イタリアのスポーツ誌 Guerin Sportivoが選ぶシーズン最優秀選手賞にも選ばれた[5]。1991年にはUEFAカップの優勝に貢献、チームメイトのマテウスやクリンスマンと共にドイツ人トリオとして活躍した。
ドイツ代表としては1984年2月15日にブルガリア戦、クロスでシュティーリケのゴールをアシストを決めるデビューを果たし、3月のUSSR戦で代表初ゴールを挙げ、6月の欧州選手権に出場[6]。 1986年のワールドカップ・メキシコ大会では準決勝のフランス戦で決勝ゴールを挙げるなど、決勝進出に貢献した。1990年のワールドカップ・イタリア大会では優勝にそれぞれ貢献した[6]。1990年大会のユーゴスラビア戦ではクロスでクリンスマンの得点をアシスト[1]、オランダ戦では左サイドでパスを受け、右足で鋭いカーブを描くシュートで得点[1]、準決勝のイングランド戦では直接フリーキックを[1]、決勝のアルゼンチン戦では、唯一の得点となったPKを冷静に決めるなど、3得点3アシストをマークした[7]。大会を通じて質の高いプレーを披露したブレーメは、インテルでの活躍もあって1990年のバロンドール3位に輝いた[8]。
その後、スペインのレアル・サラゴサ[6]、古巣のカイザースラウテルンへと移籍、ワールドカップ・アメリカ大会に出場、1996年に2部落ちしたカイザースラウテルンの一部復帰と翌シーズンのリーグ優勝を見届け、1998年に現役を引退した。ブンデスリーガ1部では301試合50ゴール、2部では68試合3ゴールの成績を残した[9]。
2000-2001シーズンからはカイザースラウテルンの監督を務めた[6]。
獲得タイトル
クラブ
バイエルン・ミュンヘン
- DFLスーパーカップ 1回(1986-87)
- ブンデスリーガ 1回(1986-87)
インテル
- セリエA 1回(1988-89)
- UEFAカップ 1回(1990-91)
カイザースラウテルン
- ブンデスリーガ 1回(1997-98)
- DFBポカール 1回(1995-96)
代表
個人
- UEFA欧州選手権1984ベストイレブン
- UEFA欧州選手権1992ベストイレブン
- 1990年 バロンドール投票第3位
脚注
- ^ a b c d Top 10 players of Italia 90-FFT 2010.25.5(2017年12月18日閲覧)
- ^ “Italia 90: When England were out of this world”. www.independent.co.uk
- ^ “FC Porto x Bayern Munchen May27 1987 match sheet”. ww.transfermarkt.com 7 June 2020閲覧。
- ^ “Andreas Brehme all goals”. www.transfermarkt.com 17 April 2020閲覧。
- ^ Guerin d'Oro-Italy - Footballer of the Year
- ^ a b c d Birthday to you -FIFA.com 03.Nov.2013
- ^ Most Assists World Cup 1990-planet World cup 1982
- ^ Ballon d’Or Winners-liveabout.com
- ^ “Andreas Brheme Karriere”. www.kicker.de 17 April 2020閲覧。
外部リンク
- アンドレアス・ブレーメ - Olympedia
- アンドレアス・ブレーメ - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- アンドレアス・ブレーメ - National-Football-Teams.com
- アンドレアス・ブレーメ - Soccerway.com
- アンドレアス・ブレーメ - FootballDatabase.eu
- アンドレアス・ブレーメ - WorldFootball.net
- アンドレアス・ブレーメ - Transfermarkt.comによる選手データ
- アンドレアス・ブレーメ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- アンドレアス・ブレーメ - FIFA主催大会成績
- アンドレアス・ブレーメ - TheFinalBall.com
- Andreas Brehme als Referent