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在日朝鮮人の帰還事業における日本人

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日本人妻(にほん/にっぽんじんづま)は、日本人女性配偶者外国人婚姻し日本国外に在住している日本人女性を指す。

特に狭義では、特殊な条件下で韓国人・朝鮮人と婚姻し、朝鮮半島北朝鮮及び韓国)に渡った日本人女性を指す。外交・社会問題化しており、また少数ながら男性(日本人夫)を含むため、総称して日本人配偶者と呼称する場合もある。以下、本記事では主にこれに該当する日本人妻について記述する。

なお、外国人と婚姻している日本人女性全般については国際結婚等を参照。

北朝鮮

概要

在日韓国・朝鮮人の男性と婚姻し、夫共に在日朝鮮人の帰還事業等によって北朝鮮に渡った日本人女性(日本人妻)と推定される者は次の通りである(1987年(昭和62)1月現在)[1]

  • 昭和34年12月14日から昭和42年12月22日まで:1789名
  • 昭和46年5月14日から同年10月22日まで:12名
  • 昭和46年12月17日から昭和59年7月25日まで:30名

これらの日本人妻について、日本政府は正確な名簿を有しない[1]。また、日本人妻(夫)の子孫を含め、北朝鮮には計6800名の日本国籍者がいるとされる[2]

彼女たちの移住理由として「今(註:2022年)よりも社会の(註:在日コリアンに対する)差別が根強い中で、夫の仕事や子どもの教育も含めて最善の選択をしようとした」と推測されている[3]。しかし日本人妻・夫は、北朝鮮では差別的な待遇を受け、生活困窮に苦しむこととなった[注釈 1][4]

さらに日本人妻の多くが、北朝鮮到着後音信不通(≒行方不明)となっており、外交問題化している(後述)。一方、脱北して帰国したものの、自発的な意思で北朝鮮に戻った者もいる(安筆花等)。

2022年(令和4年)には、中国で拘束された脱北者女性が、日本人妻の孫であることから、日本国外務省の支援を受け、日本に移送される事案が発生した[5]。外務省は、同種事案は非公表であり、本件へのコメントも「できない」としている[5]

日朝関係への影響

日本国朝鮮民主主義人民共和国に国交がないため、日本帰国や交流は極めて限定的である。

1981年(昭和56年)10月13日、衆議院において岡田正勝民社党)の質問に対し、奥野誠亮法務大臣は同年7月17日の閣議での発言を引用し次のように述べた[6]

  • 全国にわたる5市43町23村の市町村議会から法務大臣あてに、北朝鮮へ渡航した日本人妻の里帰り実現についての意見書が提出された。
  • 昭和34年12月14日から現在までに渡航した日本人は6673人、うち日本人妻は1828人(日本国籍を離脱していない)[注釈 2]
  • 日本国内の朝鮮半島出身者に対しては、1965年(昭和40年)以降、親族訪問や墓参を目的とする北朝鮮への渡航を認めている。
    • しかし、日本人妻は一人も里帰りできていない

日本人妻の里帰り問題について、法務省との事務レベルでの交渉に対し、在日本朝鮮人総聯合会は次のように回答し、非協力的だった[6]

  1. 日本人妻は北朝鮮に入国すれば、そのときに北朝鮮の国籍を取得し、日本国籍を喪失するので、この問題はもっぱら北朝鮮の国内問題であって、日本政府からとやかく言われる筋合いのものではない。
  2. 日本人妻と言われる人たちはすべて幸せな生活を送っており、里帰りを希望する者は一人もいない。

この1に対し、奥野法相は次のように反論した。

 わが国の国籍法上、これら日本人妻が日本国籍離脱の手続をとらない限り、単に北朝鮮に上陸したことのみにより日本国籍を喪失することはあり得ない。これらの人たちが現在もなお日本国籍を保有していることは明らかであり、また、日本人妻の人たちから日本の親族に送られてくる手紙などから、この人たちが望郷の念に駆られ、一日も早い里帰りの実現を熱望していることが十分にくみ取れるところであります。
 このような事情を考えますと、わが国が在日朝鮮人の北朝鮮への訪問について人道的な配慮をしているにもかかわらず、北朝鮮当局が、いまもなお日本人妻の里帰りを認めないことはまことに残念であります。 — 奥野誠亮、第95回国会:衆議院行財政改革に関する特別委員会[6]

1987年(昭和62年)1月には、衆議院において遠藤和良公明党)が次のように指摘した[7]

  • 現在、一人も「里帰り」したケースはなく、渡航者の多数が今日音信のない、消息不明者となつている。
  • 手紙の来る者でも、生活苦を訴え、肉親との再会を願望している。

これに対し中曽根康弘首相は、「北朝鮮との間に国交がないことから取り得る手段には限界がある」としつつも、「日本人妻」の安否照会を行ってきた旨を答弁した[1]。また、郵便物も直接の郵便運送手段がないため、中国又はソ連経由になった[1]

この後1990年代の日朝国交正常化交渉を経て、日本赤十字社朝鮮赤十字会の事業により、1997年(平成9年)、1998年(平成10年)、そして2000年(平成12年)に一時帰国(里帰り)を果たしたが、その人数は3回計43人[注釈 3]に留まる[2]

ところが、北朝鮮による日本人拉致問題の日本社会における認知を経て、2002年(平成14年)9月の日朝首脳会談の直後、同年10月に予定されていた第4回の一時帰国は、急遽中止された[8]。日本政府にとって北朝鮮に対する日本人の人権侵害問題の要求は、日本人妻・残留日本人問題から、拉致問題へと大きく転換された[8]。さらに同会談では、金正日が拉致の事実を公式に認めたことで、日本国内の世論は大きく変わり[注釈 4]、北朝鮮との人道的交流が誤りであるかのような風潮となった[8]

2014年(平成26年)5月26日~28日まで、スウェーデンのストックホルムにて開催された日朝政府間協議の結果、次の事項に合意した。

  • 日本側は,北朝鮮側に対し,1945年前後に北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨及び墓地残留日本人いわゆる日本人配偶者拉致被害者及び行方不明者を含む全ての日本人に関する調査を要請した。
  • 北朝鮮側は,過去北朝鮮側が拉致問題に関して傾けてきた努力を日本側が認めたことを評価し,従来の立場はあるものの,全ての日本人に関する調査を包括的かつ全面的に実施し,最終的に,日本人に関する全ての問題を解決する意思を表明した。
— 日本国外務省、日朝政府間協議「合意事項」[9]

しかしその後、北朝鮮の核問題等への制裁により、北朝鮮との人道的交流は途絶えた。日本政府が拉致問題を優先するあまり、その他の人道問題に向き合わないことは、北朝鮮系メディアのみならず、日本人ジャーナリストからも「非人道的」「棄民」であると批判がある[8]

韓国

韓国人男性と婚姻する日本人女性は、年間1500~2000名程度で推移している(詳細は国際結婚#国籍別の年次推移を参照)。

在韓日本人妻

朝鮮の日本統治時代に、朝鮮人(当時)[注釈 5]男性と婚姻し、戦後、大韓民国に居住した日本人女性を「在韓日本人妻」と呼称する[10]。この時代、日鮮一体を推進するため、朝鮮人男性との婚姻も奨励された[10]

1945年(昭和20年)の日本の敗戦により、朝鮮は日本の統治下を離れた。しかし、これらの日本人女性は、夫の郷里である朝鮮半島南部に残留又は渡韓し、朝鮮戦争等の惨禍も経験することとなった[10]。さらに日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)により、朝鮮籍保有者は日本国籍を離脱(平和条約国籍離脱者)となったため、日本人妻たちも日本国籍を喪失し、祖国日本から「忘れ去られて」いった[10]

さらに、渡韓後に夫に妻がいることが判明したり[10][11]、婚家に受け入れられない・夫が朝鮮戦争で戦死する等し、孤立や貧困に苦しむ者もいた[10]

1964年(昭和39年)、在韓日本人妻のための「芙蓉会」が結成された[10]。芙蓉会の名誉会長は、日本の元皇族で、朝鮮王族の末裔の妃となった李方子であった。

1965年(昭和40年)、日韓基本条約が締結され、日本と大韓民国の国交が結ばれた。しかし韓国国内での反発は根強く、在韓日本人妻たちも投石や暴言などの排斥を受けた[10]。芙蓉会は苦境にある在韓日本人妻の支援活動を拡大し、また国交回復により一時帰国(里帰り)も活発化した[10]。中には日本への定住帰国を希望したが、親の反対を押し切って結婚した等の理由で縁故を頼れず、結局は韓国に戻らざるを得ない者もいた[10]

1972年(昭和47年)、韓国人の金龍成(キム・ヨンソン)により、苦境にある日本人妻の保護施設として、慶州に「慶州ナザレ園」が設立された[11]。きっかけは、金龍成が、貧困を理由に韓国で犯罪を犯した日本人妻の身元引受人となったことだった[11]。同園は、日本人妻たちの生活・帰国支援を積極的に行った。

戦前期に朝鮮人男性と婚姻したことで渡韓した日本人女性たちは、やがて高齢化した。身寄りのない日本人妻たちは、慶州ナザレ園で余生を過ごした[10][11]

統一教会の合同結婚式

統一教会(現:世界平和統一家庭連合)の合同結婚式で、韓国人男性と婚姻して渡韓した日本人女性が、多数存在する。

2023年(令和5年)現在で約7000名[注釈 6]いると考えられており、社会問題化している[12]。特に1990年代に渡韓した女性が多く[12]、その総人数は1万3000名に及び、うち6000名が帰国したが、韓国に残留する日本人妻の多くが農村部に居住している[13]。特に1990年代に渡韓した女性が多い[12]

日本人女性側が信仰を理由に「祝福結婚」(韓日祝福)を希望した一方、韓国人男性側は婚姻の斡旋の側面があり、必ずしも統一教会の信仰に熱心でなかったり、あるいは信仰そのものを有しないケースもある[12]

これらの日本人妻たちの中には、2022年(令和4年)に発生した安倍晋三銃撃事件以後、日本国内で旧統一教会への世論の風当たりが非常に強くなる中、ソウルで行われた「家庭連合に対する偏向報道を許すな」「信仰の自由を尊重せよ」とする趣旨のデモに参加した者もいる[13]

参考文献

  • 「保存版データ集1:キーワード 北朝鮮用語辞典」『ポスト・サピオ・ムック 北朝鮮世紀末読本』、小学館、1994年9月1日、39-44頁。 

脚注

注釈

  1. ^ 朝鮮民主主義人民共和国出身成分(事実上の固定身分制度)において、日本からの帰還者は、最下層の「敵対階層」である。該当項目を参照。
  2. ^ 当時。この後、帰還事業終了後の最終的な人数は、前述の合計1831人である。
  3. ^ 戦後、婚姻により渡航した日本人妻とは経緯が異なる「北朝鮮残留日本人」2名を含む[8]
  4. ^ 北朝鮮による日本人拉致問題#小泉訪朝後の世論の大変化を参照。
  5. ^ 朝鮮に本籍を有する大日本帝国民の法令上の呼称。朝鮮籍朝鮮戸籍も参照。
  6. ^ これは在韓邦人女性の1/3にあたる人数である[12]

出典

  1. ^ a b c d 答弁第一号:衆議院議員遠藤和良君提出朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)帰還の日本人妻に関する質問に対する答弁書”. 衆議院 (1987年1月23日). 2023年3月1日閲覧。
  2. ^ a b 60年前、北大の女子学生はなぜ「日本人妻」になり、北朝鮮に渡ったのか”. J-CAST:BOOKウォッチ (2019年9月10日). 2023年3月4日閲覧。
  3. ^ 北朝鮮へ渡航した複雑な人生 「日本人妻の生きた証しを」 フォトジャーナリスト・林さん講演」『東京新聞』2022年12月8日。2023年3月1日閲覧。
  4. ^ (『北朝鮮世紀末読本』北朝鮮用語辞典 1994, p. 40)
  5. ^ a b 中国、脱北者を日本に引き渡し 異例対応、日本人妻の孫」『47NEWS』2022年12月30日。2023年3月4日閲覧。
  6. ^ a b c 第95回国会 衆議院行財政改革に関する特別委員会 第5号 (昭和56年10月13日)”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館 (1981年10月13日). 2023年3月5日閲覧。
  7. ^ 質問第一号:朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)帰還の日本人妻に関する質問主意書”. 衆議院 (1987年1月5日). 2023年3月1日閲覧。
  8. ^ a b c d e 伊藤孝司家族と生き別れ北朝鮮で暮らす「残留日本人女性」その哀しき人生」『講談社現代ビジネス』2019年4月21日。2023年3月5日閲覧。
  9. ^ 合意事項”. 日本国外務省 (2014年5月30日). 2023年3月1日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h i j k 韓国に生きて 在韓日本人妻を支え続けた國田房子の記録」『NHK:ハートネット』2019年1月16日。2023年3月4日閲覧。
  11. ^ a b c d 平均95歳、老いゆく慶州ナザレ園 韓国の日本人妻施設」『朝日新聞』2019年5月13日。2023年3月4日閲覧。(Paid subscription required要購読契約)
  12. ^ a b c d e 旧統一教会 韓国に渡った日本人女性信者のいま」『NHK:クローズアップ現代』2023年1月30日。2023年3月1日閲覧。
  13. ^ a b 旧統一教会、韓国の日本人女性信者はいま 現地のチラシにあった文言」『朝日新聞』2023年2月6日。2023年3月4日閲覧。(Paid subscription required要購読契約)

関連項目

広義の用例
北朝鮮
韓国

外部リンク