コンテンツにスキップ

広瀬藤蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。じぶろ (会話 | 投稿記録) による 2023年8月10日 (木) 15:10個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

広瀬 藤蔵(ひろせ とうぞう、1895年 - 1950年)は、海軍軍人。最終階級は海軍少将。

経歴

1895年に熊本県に生まれる。大正4年に熊本県立玉名中学校卒業、(同級生には中川州男陸軍中将が居た。)、海軍機関学校(海機27期)、海軍大学校機関学生。

海軍機関少尉に任官後は特別演習審判官、海軍艦製本部部員、海軍省教育局局員、海軍大学校教官、海軍技術会議議員などを経て、昭和18年第6艦隊機関長、その後昭和20年5月に海軍少将に昇進。最終ポストは佐世保軍需部長だった。1950年に54歳で死去。

その他

熊本県立玉名中学校の8回生だが、この期は軍人が多く、広瀬少将、中川州男陸軍中将(陸士30期)、松島悌二海軍大佐(海機27期)、中川千代吉陸軍大佐(陸士30期)などがいた。