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江本光

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 江本 光 
Hikaru EMOTO
基本情報
名前 江本 光
生年月日 (1954-02-24) 1954年2月24日(70歳)
身長 175 cm (5 ft 9 in)
体重 65 kg (143 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府
経歴
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江本 光(えもと ひかる、1954年2月24日 - )は、大阪府出身のプロゴルファー

来歴

興国高校出身[1]

1982年にプロ入りし[1]青木功海老原清治を師に持つ[2]

1989年ブリヂストンオープンでは青木・金子柱憲と並んでの9位タイ[3]1991年にはペプシ宇部興産陳志忠中華民国)・藤木三郎に次ぐ3位[4]に入り[5]1992年茨城オープンでは加藤仁岩下吉久大井手哲芹澤大介森茂則に次ぐと同時に小泉清一町野治小溝高夫渡辺由己と並んでの6位タイ[6]に入る。

1995年にはクレインカップ真庭オープン[7]で優勝し[1]水戸グリーンオープン佐野修一を抑えて田中秀道の3位[6]NST新潟オープンでは小泉・河村雅之桑原克典佐々木久行と並んでの9位タイ[8]に入る。

1998年の宇部興産オープンでは初日に68をマークし[5]1999年の同大会では現地ウェイテイング(6番目[9])で欠場者枠が空くのを待ち[5]、開幕前日の昼に出場が決まった[9]。晴天ながら強風でスタートした初日に他の選手のスコアが伸びずにいる中、3、4、10、15番とチップインを決め、さらに4番ホールではディボットからの強めのボールがピンに当たってイン[9]。インスタートの10番ミドルの第3打をグリーン右のラフからピンまで15ヤードをサンドウェッジでチップインし、この他3ホールでチップインバーディを成功させ、15番ロングではグリーン右ラフに落ちたピンまで8ヤードの第4打を入れてバーディ[5]。折り返しの3番ショートではグリーンエッジの第2打をパターで沈めて3つ目を決め、最後は4番ロングで、ピンまで30ヤード地点のデイボットに嵌った球をピッチングで強めにショットし、派手にイーグルで決めた[5]。2ホール連続チップインの感触を大切にして5番ミドルでも、第3打を20cmにつけ、今にも入ってしまいそうなファインショットを披露[5]。上がりの8番は意識してボギーにしてしまったが、崔京周大韓民国)・片山晋呉・金鐘徳(大韓民国)・東聡を抑えて[5]4アンダー[10]68[9]で首位発進[5]と一人飛び出した[9]。2日目には早々に崩れ、3オーバーで28位に後退[11]

2002年サントリーオープン[12]を最後にレギュラーツアーから引退し、シニア転向後の2009年にはハンダカップグローイング で優勝、ファンケルクラシックでは10位タイ[13]に入った。

現在は千葉県船橋市の大型ゴルフ練習場『丸山ゴルフセンター」でレッスンを担当[14]

主な優勝

  • 1995年 - クレインカップ真庭オープン

脚注

  1. ^ a b c 江本 光 エモト ヒカル HIKARU EMOTO
  2. ^ 上へ、上へと強い球! ブリヂストンゴルフ ツアーB JGR 【レシート ナンバーズ キャンペーン連動・新作ドライバー徹底試打vol.1】
  3. ^ フルリーダーボード ブリヂストンオープン 1989 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  4. ^ ペプシ宇部興産トーナメント 1991 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  5. ^ a b c d e f g h 大会1日目首位・江本光
  6. ^ a b 【公式】水戸グリーンカントリークラブ
  7. ^ 会社案内 - ENA GOLF
  8. ^ フルリーダーボード NST新潟オープンゴルフ選手権競技 1995 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  9. ^ a b c d e 首位は45歳・江本光
  10. ^ 1999年05月20日 首位の江本 宇部興産ゴルフ第1日
  11. ^ 韓国の崔京周、単独首位に浮上
  12. ^ 江本 光選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  13. ^ 江本 光選手のプロフィール
  14. ^ 丸山ゴルフセンター

外部リンク