コンテンツにスキップ

イヴァン・ムスチスラヴィチ (コゼリスク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
印刷用ページはサポート対象外です。表示エラーが発生する可能性があります。ブラウザーのブックマークを更新し、印刷にはブラウザーの印刷機能を使用してください。

イヴァン・ムスチスラヴィチロシア語: Іван Мстиславич、? - 1238年)はリューリク朝・オレグ家(ru)出身のコゼリスク公(在位:1223年 - 1238年)である。

イヴァンはおそらくチェルニゴフ公ムスチスラフの子である。またイヴァンという名は『エレツ・シノディク』、『セヴェルスキー・シノディク』に拠るものである[1]

1238年のカルカ河畔の戦いで死亡した。

出典

  1. ^ Зотов Р. В. О черниговских князьях по Любецкому синодику и о Черниговском княжестве в татарское время. — С. 69-70.

参考文献