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Page:Gunshoruiju18.djvu/480

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沙汰トシテ有祗候。次日六里傳馬。

十三日。國府ヲ立。讃岐ノ守護所長雄ニ郞左衞門ノ許ニ至ル。路間二里。次朝淡路使者力へル。淡路ニ留る人ノ許ヘ。其國ヨリ以來。多ノ山海ヲ渡流浪之事。幷老後流刑之事。返々モ不計之由ナムド申テ。

 天か下なとすみそめの袖ならんおひのなみにも流れぬる哉

十四日。守護所之許ヨリ鵜足津ウタツノ橘藤左衞門高能ト云御家人之許へ被預。

十五日。在家五六丁許引上リテ。堂舍一宇僧房少々有所ニ移シスへラル。此所地形殊勝。望東孤山擎夜月月輪觀之思。顧西遠嶋含夕日日想觀之心。後ニハ松山聳ニ海中。至前湖滿時砌近指入ル。

 さひしさをいかてたへまし松の風浪も音せぬすみか也せは

サテ常ニ後ノ山ニ登リテ。海上嶋々ヲ眺望。爲海中鱗類自性能加持之法。有時浦ニ出テ昔向山々ヲ問へバ。備前小嶋。備中。備後迄見え渡ル。小石ニ光明眞言等ヲ出テ海中ニ入ル。寶篋印ダラニヲ誦シテ鱗類ヲ離苦海ニ廻向ス。或時山ニノボリテミワタシテ。

 うたつかたこの松かけに風立は嶋のあなたもひとつ白波

三月廿一日。善通寺ニ詣テ大師聖跡ヲ巡禮。金堂ハ二階七間層也。靑龍寺ノ金堂ヲ被タル摸トテ、二階ニ各今少引入リテモ。コシアルガ故。打見バ四階大伽藍。是ハ大師御建立。于今現在せり。御作丈六藥師。三馬四天王像イマス。皆埋佛。後壁ニ又藥師三馬半出ニ埋作ラレタリ。七間講堂ハ破壞後今新造營。五間常堂同新造立。大師御建立二重寶塔現存。本五間。令修理之間。加前廣廂一間云々。於此內奉安‐置御筆御影。此御影ハ大師御入唐之時自圖之奉御母儀云々。同等身像云々。大方樣如普通御影。但於左之松山ノ上釋迦如來影現形