今女性芸人はその属性を特に意識することもないほどテレビで活躍している。女性芸人がMCで仕切ることも珍しくはない。

 「私には話芸がない」と、自分のMCに虚しさを感じながら、持ち前のポジティブさとバイタリティで2000年代のバラエティに確固たる地位を築いた中島知子。“美人”女性コンビという肩書きは中島に多くの可能性を与えた一方で、元相方との関係性には悩んでいたと話す。

 容姿いじり問題が提起される昨今、かつて「なにわのゴクミ」と呼ばれた女性芸人が思う、「おもしろさ」と「自己肯定」の相関関係。 (全3回中の1回/1回目から読む)

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中島知子さん

◆ ◆ ◆

どういう番組にしたいのか、とにかくスタッフに聞いた

——腐されたり、嫌がらせされたりの根元にあるのはやはり嫉妬でしょうか。 

中島 嫉妬じゃないですか。私は嫉妬とかそんなの全無視ですよ。自分の独立の時の事件も嫉妬だったかなとはちょっと思います。女の子のMCの席に自分のタレントを入れたいという会社の人がいるのは当然なので。 

——勝手な視聴者のイメージですけど、中居正広さんとか所ジョージさんとか、中島さんはそういう方たちにとても愛されていたという感じが。 

中島 愛されてたのかな……(笑)。SMAPの中居君とは長く一緒にやらせてもらったんですけど、やっぱり中居君の世界だし、中居君の面白いと思うものを中心にやっていて、中居君のファンが絶対見るわけやから。「すごいな~」とか言ってる場合じゃなかった。

 だからどういう番組にしたいのか、私に何ができるのか、とにかくスタッフに聞いて。 

——聞くんですね! 

中島 特殊な……ある意味普通なんですけど、特殊なやり方してたとは思います。ダサい話なんですけど「どこにオチを持って行きたいんでしょうか? ちょっと教えてもらっていいですか?」ってスタッフさんに聞いてやってましたね。分からないことを全部。 

 

——ああ。 

中島 分からなかったら、聞かないと。カッコつけてわからないまま仕事してたらクビになっちゃうんで。逆に言えば、優秀なスタッフの人としか仕事をしてこなかった。教えてもらうことの方がずっと多いので。 

若かった頃の目標は…

——当時目標みたいなものはあったんですか? こういう番組をやりたいとか、帯の番組を持ちたいとか、冠番組を持ちたいとか。 

中島 若い頃にですか。そうやな、自分どうしたかったんかな……。でも、司会はやりながら、女優業ももちろんやってみたかった。

 昔『プレイボーイ』の付録によく卓上のカレンダーがついてたんですよ。それ私は逃さず持っていて。だから、そんな感じの写真集を出したかったです。ずっと会社に言ってたんですけど「売れないからやめてほしい」って。

 20代ぐらいでしたかね。どこの出版社でもいいから出してくれって。一回、グラビア撮影のチャンスをいただいたんですけど、どうしても面白い感じのポーズばっかりになっちゃって、「写真集、いけるんじゃない?」という空気ではなかったですね。