しろ

ぼんやり生きています アイコン:ハナさん画

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最近の記事

やっぱりnoteっていい

ここのところ、どうにも落ち着かない日々を過ごしていた。 仕事面で、ひとくちに言ってしまえば、難しい判断が必要なものが山積しているのだ。 まぁそれも仕事なのだからやるしか無いのだが、それらに頭が占拠されていて爆発しそうだ。 おかげでプライベートでも、ゆっくりnoteを楽しむまとまった時間を確保する精神的余裕が、なかなか持てずにいた。 できる人ならば、仕事面でどんな問題が起きていても、プライベートはスパッと切り分けて楽しめるのかもしれない。 けれどその点においては、僕はまだ

    • 飲み会帰り、月明かりの下ほろ酔い気分でぶらぶらと歩いている。 肌に当たるのは、心地よい秋の風。 昨日まではまとわりつくような蒸し暑い風が吹いていたのに、 こんなにはっきりと季節の移り変わりを感じたことってあったっけ。

      • くるくる詐欺

        子どもの頃、テレビ番組の天気予報のコーナーが好きでよく観ていた。 その中には、日本国内だけでなく、ニューヨークやロンドンなど海外の天気予報まで紹介している番組もあった。 当時行ったこともなければ、どこにあるのかもよくわからない場所の天気まで真剣に見ては、 「へぇ、今日雨なんだ」 なんて僕にとってはなんの役に立ちもしない情報までも、なぜかいつもわくわくしながら観ていた。 大人になった僕は、スマホに天気予報アプリを3つほど入れて、時々眺めている。 実はここのところ、 ○

        • 答えはシンプル

          『なんのためにするのか』 『誰のためにするのか』 だいたいのことって、 ここに答えがあるんじゃないかと思っている。 自分で自分に囚われ、縛られ、 取るに足らないプライドにこだわっては、あれやこれや取ってつけてごちゃごちゃにして、 素直にもなれず、自分から茨の道を選んでいるだけなのかもしれない。 答えは大概目の届くところにあって、 あとは自分が目を開いてそれを見るか見ないか、勇気を持って選択するかしないかの違いなのかもしれないと思うのだ。 案外、シンプルなんじゃないかな

        やっぱりnoteっていい

        • 飲み会帰り、月明かりの下ほろ酔い気分でぶらぶらと歩いている。 肌に当たるのは、心地よい秋の風。 昨日まではまとわりつくような蒸し暑い風が吹いていたのに、 こんなにはっきりと季節の移り変わりを感じたことってあったっけ。

        • くるくる詐欺

        • 答えはシンプル

          「いただきます」「ごちそうさま」

          子どもの頃から今に至るまで、1日に3回ずつかならず口にしていることばがある。 それは「いただきます」と「ごちそうさま」だ。 僕はこれをちゃんと言える人が好きだ。 僕自身いままで病気になって体調を崩したり、精神的な不調やストレスで食が進まないこともあった。 けれどそんな日でも、食事内容や自分の気分はどうであれ、食事に対峙する時にはかならず言うようにしてきた。 1日3回も言うのだから、もしかしたら通算では「おはよう」「こんにちは」「おやすみ」「ありがとう」よりも、多く口に

          「いただきます」「ごちそうさま」

          壁にボールを投げるような

          自分の言動は、壁に向かってボールを投げた時のように、遅かれ早かれ自分に跳ね返ってくるのかもしれない。 歳を重ねるほど、そう思うようになった。 相手に向かい 刃物のような言葉を投げれば、 いつかこちらにも刃が飛んできて突き刺さる。 優しい言葉を投げれば、 いつか優しい気持ちが返ってくる。 そりゃたまには、 壁がすっと消えてなくなったんじゃないかというくらい、 なんにも返ってこないこともある。 思ったよりも遠くに壁があったのか、 すっかり忘れた頃に投げたボールが返ってくる

          壁にボールを投げるような

          夏の終わりに思う

          僕の祖父は、僕が幼稚園児のころに亡くなった。たしか50代後半だったと思う。 そのため、僕の祖父に関する記憶はとても少ない。 そんな中で今でも覚えているのは、 夏のある日に祖父の家の軒先で手持ち花火をしたことと、 おそらく花粉症でしょっちゅう鼻をかんでいた祖父の膝によじ登り、鼻にティッシュを詰め込もうとして大笑いされた記憶くらいだ。 なんでこんな話を書こうと思ったのかと言うと、先日親戚の子ども達と手持ち花火をした際に、小さい頃に祖父と花火をした記憶が蘇ってきたからだ。

          夏の終わりに思う

          笑える/笑えない

          僕の家にはテレビがない。 別にずっと持っていなかったというわけではないし、持たないことに対するこだわりも特にない。 数年前に壊れてしまってから、ただなんとなく新しいものを買っていないだけだ。 テレビがなくても今のところ日常の生活で困るようなことはほとんどないのだけれど、お盆休みに実家でお笑い芸人が出ているテレビ番組を観た時に、ふと気づいたことがある。 それは、 その人が誰であるかという 前提情報などなくても お腹がよじれるほど笑える芸人さん と、 その人に対する前提

          笑える/笑えない

          とんぼのめがねと、僕のめがね

          あたり飛ぶとんぼを見ていて思い出した、懐かしいこの歌。 僕のめがねは何色だろう?と考える。 …たぶん“仕事色”なんだと思う。  歌のリズムに合わせるのなら、“お仕事めがね”といったところだろうか。 気づけばいつの間にか、僕は常時仕事色のめがねをかけるようになっていて、プライベートの出来事も、仕事のタスクのようにテキパキと判断して処理するようになってしまった気がする。 おそらく、めがねの色が一色に固定されているのだ。 歌にあるとんぼのように、状況に合わせてめがねの色を

          とんぼのめがねと、僕のめがね

          二人乗り

          台風の影響もあるのか、空一面雲で覆われている。 今のところの予報では、 地図でも持っているんじゃないかというほどきっちりと日本の上を進んでいくようだし、大きな被害が出ないといいなと思う。 今回の台風は自転車くらいのゆっくりとしたスピードで進んでいるらしいと聞いた。 それならいっそのこと、 自転車の後ろの席に夏を乗っけて連れ去ってくれたらいいのに、とわずかに期待している。 みなさん、ご安全に。

          二人乗り

          知っているのに知らない人

          noteでいろんな方の記事を読んだり、コメントでのやり取りをしていると、そのうちにそれぞれの人に対してぼんやりとしたイメージが出来てくる。 いつの間にか、 “〇〇さんはこんな感じかな?” “△△さんはきっとあんな雰囲気だろうな” なんていう風に、勝手ながら頭に思い浮かべるようになったのだ。 リアルの世界で会う人達は、もちろん顔や姿を見ることができるし、しゃべり方やその人の持つ雰囲気を直接的に感じることができる。 けれどnoteで繋がる人達はそうではない。 僕は皆さんを

          知っているのに知らない人

          口は災いの元、ことばは難しい

          口は災いの元、 としか言いようのないトラブルが僕の身近で立て続けに起こっている。 原因がわかっているのだから対策を取ればいいのだが、そんな簡単にはいかない。 なぜなら災いの元となっている口が僕のものではないからだ。 自分の口なら閉じれば良い。 と言うか僕はそもそも閉じていることが多い方だ。(それはそれで別の問題もあるのだが) しかし他人の口は僕には閉じられない。 まさかガムテープを貼るわけにもいかないのだ。 コミュニケーションのツールとして、僕らの身の回りに空気のよう

          口は災いの元、ことばは難しい

          こわいもの知らず

          ある日の夕方、遠くから雷鳴がゴロゴロと響いていた。 数時間後にふたたび音がしたからまた雷かと思ったら、どうやら今度は花火が上がっていたようだ。 同じように空に響き渡る大きな音と光でも、 雷は勘弁願いたいが、花火だとすこしウキウキする。 雷が何なのかよくわかっていなかったこどもの頃は、雷が鳴ってもウキウキしていた。 あの頃は、空をバリバリと割るように走る稲妻がレーザービームのように見えて、とてもきれいだと思っていたのだ。 だから僕は雷が鳴ると、ヘソを取られたら大変なのでシ

          こわいもの知らず

          旅と日常

          お盆休みの前半、ちょっとした旅に出ていた。 旅先では、 行ったことのない場所に行き、 美しい景色を見た。 普段縁遠い夏のレジャーを楽しみ、 手持ち花火をした。 美味しいもの食べたし、 心ゆくまで温泉につかった。 とても満足の行く楽しい旅だった。 けれど、 やっぱり家に帰ってくると、 家が一番だなと思う。 いつもの見慣れた景色に、 代わり映えのない毎日。 決まったメニューを繰り返す食事に、 さっと済ませるシャワー。 それでもやっぱりこの一見退屈な毎日が、僕にとっては安心

          旅と日常

          湖のほとりで思う

          湖のほとりにいる。 たそがれ時の空の色も、 空と湖を分けるように伸びる陸も、 穏やかな湖の水面も、 誰が作ったでもない自然のもの。 それが何より美しくて、圧倒される。 普段建物と道路に囲まれて暮らしているせいか、 たまにこういう風景を目にすると、 自分の存在の圧倒的な小ささを思い知る。 けれど小さくても、いやむしろ小さいのだから。 やれるだけあれこれやってみよう、 失敗しても大したことない、 と開き直ることができるのかもしれない。

          湖のほとりで思う

          お盆休み前半は予定がぎゅうぎゅう。 暑さにやられて思わず飛び込んだこちらにて、店員さんからとても元気な「おはようございます!!」をいただきました。 元気のいい挨拶って、いいものですね。

          お盆休み前半は予定がぎゅうぎゅう。 暑さにやられて思わず飛び込んだこちらにて、店員さんからとても元気な「おはようございます!!」をいただきました。 元気のいい挨拶って、いいものですね。