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サウダージ

昨日、「創作大賞2024」の中間選考結果が発表された。

応募総数はなんと、52750作品だそうだ。

ただし内訳をよく見ると、エッセイ部門(26158作品!)とオールカテゴリ部門(16842作品)が大半を占めており、小説は5部門合わせても、3133作品だったらしい。
その小説5部門の中間選考通過作は合計98作品、エッセイ部門の48作品に比べると倍の数になる。それほどに、魅力的な優秀作が多かったということなのだろう。

とは言え、狭き門である。
私が個人的に応援していた、あの人も、この人も、あの名作も、あのグッときた作品も、そこに記載されていなかった。
「なんだよう……」と思う。
「嘘でしょ?」と口をつく。
自分のことでもないのに、
「一次選考の方々、ちゃんと読んだの?」と言いたくなる。

この「note創作大賞」は今年で三回目を数え、出版社やテレビ局などの協賛メディアが21社に増えた。
それは言い換えれば、「note創作大賞」でさえも、より商業化路線が強まったということであり、「売れる作品」「利益の出る作品」が求められるようになった、ということでもあるのだ。


30年以上前、私が目の色を変えて文学賞に応募していた頃、各文学賞の応募数は大体1000~2000作品だった。
一次選考を通過するのは100作品程度。そこから二次、三次、四次と進み、最終選考に残るのは5~6作品といったところか。

当時はまだ出版業界に勢いがあり、大型書店も、町の小さな書店も共存して繁盛し、日常的に本を読む人が多くいた。
だから新人賞受賞者は作家としてのスタートを約束され、それゆえに選考過程も極めて文学的だった。
そんな読書体験をしているうちに、いつか自分も本を出すことができたら、と夢見る人も決して少なくはなかったのだ。

思えばこの時代に急速に進んだ商業主義が、すでに未来を予言していたのかもしれない。
「書きたいもの」よりも「売れるもの」を求められ、例えば村上春樹のような、社会現象を起こす作家のみが賞賛される。そしてどんな作家も作品も、やがては消費され、忘れ去られていく。


先日、終了した「なぜ、私は書くのか」というコンテストが物議をかもしたのは、主催者と、応募した側との間に、大きな認識のズレがあったからなのだと思う。

強いて言えば、主催者の告知の仕方に問題があったとは思うけれど、それ以外は、どちらが悪いわけでもない。
「賞がとれる作品」「お金になる作品」「売れる作品」の書き方を伝授しようという主催者と、自分に向き合って「なぜ、私は書くのか」を深めたかった応募者とでは、まったく違うスポーツをしているようなものだったのだ。

商業主義も、もちろん必要だ。
金銭的利益を得ることを第一とし、他のあらゆる価値よりも営利を最優先させることは市場経済の基本だし、誰もそこからは逃げられない。

けれども「書く」という行為を、これらにすっぽり当てはめることは、本当に正しいのだろうか。「書く」ことの本質は、お金の発生しないところにある、と言ったら、それはあまりにロマンチストすぎるだろうか。


八年前のアメリカ大統領選挙でトランプ氏が当選した時、アメリカ・ファーストに賛同する多くのアメリカ国民の声に世界は衝撃を受けた。
自国が第一。経済が第一。その潮流はやがて、今世界中を席巻している「自分ファースト」という考え方に通じていく。

自分を大切にすることは、言うまでもなく大事だ。
けれどもその際に、他の誰かの不幸や犠牲を伴うとするならば、それは果たして正義なのか。
それがまかり通るなら、人と人、国と国との諍いは無くならず、永遠に戦争は終わらない。

歴史上、真に平和だった時代など存在しない。
いつでも、どこかで、誰かが、戦争をしていたし、今でもそうだ。
だからせめて、文学の世界ぐらい、平和な夢を見たっていいんじゃないかな、と私は思う。

人と動物が言葉を交わせたり、人とAIの心が通じ合ったり、あるいは時代を行き来できたり。
たとえどんなにいがみ合ったとしても、最後にはみんなが手を繋いで、ハグし合える物語を、私は読みたい。


だからきっと、中間選考を通過しなかった作品にこそ、たくさんの宝石が埋もれているんじゃないかな、と私は思うのだ。
かなり真剣に。
いや、本気で。


サウダージとは、郷愁、憧憬、思慕、切なさ、などの複雑なニュアンスを持つ、ポルトガル語、およびそれと極めて近い関係にあるガリシア語の単語。
単なる郷愁でなく、温かい家庭や両親に守られ、無邪気に楽しい日々を過ごせた過去の自分への郷愁や、大人に成長した事でもう得られない懐かしい感情を意味する言葉と言われる。
それ以外にも、追い求めても叶わぬもの、いわゆる『憧れ』といったニュアンスも含んでおり、簡単に説明することはできない。

Wikipediaより抜粋、引用


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