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{{Infobox 将棋棋士
| image = [[File:SHOGI Proffesional Yasumitsu Satoh.jpg|center|230px]]
| caption = 棋士会みやぎ復興フェスティバル(2015年)
| 名前 = 佐藤康光
| 分類 = <!-- 連盟所属の女流棋士は「女流」、LPSAは「LPSA」 -->
|棋士番号 = 182▼
| 旧姓 = <!-- 結婚等で棋士としての活動名に変更があった場合に利用してください -->
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1969|10|1}}<!-- 亡くなった場合はこちらを使用。{{生年月日と年齢|生年|月|日|no}} -->
|
| プロ年度 = {{年月日|year=1987|month=3|day=25}}({{年数|1969|10|1|1987|3|25}}歳)
| 引退年度 = <!-- {{年月日|year=引退年|month=月|day=日}}({{年数|生年|月|日|引退年|月|日}}歳)-->
|所属 = 関東▼
▲| 棋士番号 = 182
| 出身地 = [[京都府]][[八幡市]]
|タイトル = ▼
▲| 所属 = 関東
|永世 = 永世棋聖(就位は原則引退後)▼
|
| 弟子 =
| タイトル = <!-- 現在保持しているタイトルを入力 -->
|優勝回数 = 12回▼
| 段位 = 九段
▲| タイトル合計 = 13期
▲| 優勝回数 = 12回
| 通算成績 = <!-- {{勝率|勝数|敗数|record=y}} --><!-- 引退棋士等頻繁な変更が必要ない場合利用してください -->
| 竜王戦クラス = <!-- 引退棋士等頻繁な変更が必要ない場合利用してください -->
| 順位戦クラス = <!-- 引退棋士等頻繁な変更が必要ない場合利用してください -->
| 作成日時 = {{年月日|year=2024|month=4|day=12}}
}}
'''佐藤 康光'''(さとう やすみつ、[[1969年]][[10月1日]] - )は、[[将棋]][[棋士_(将棋)|棋士]]。[[棋戦 (将棋)#タイトル戦|タイトル]]通算13期([[棋戦 (将棋)#タイトル獲得記録|歴代8位]])<ref>{{Cite web|和書|title=藤井聡太叡王が3連覇 2度の千日手指し直しで菅井竜也八段を退ける/将棋 |url=https://www.sanspo.com/article/20230528-QC4CWZLU35GCPP5VYHMAWQBFLI/ |website=サンスポ |date=2023-05-28 |access-date=2023-06-02 |language=ja |publisher=SANKEI DIGITAL INC.}}</ref>。[[棋聖戦 (将棋)|永世棋聖]]の資格保持者。[[棋士 (将棋)#棋士番号|棋士番号]]は182。[[田中魁秀]]九段門下。[[京都府]][[綴喜郡]]八幡町(現[[八幡市]])出身。いわゆる「[[羽生世代]]」の一人に数えられる。2011年4月から2017年1月まで[[日本将棋連盟]]の[[日本将棋連盟#棋士会|棋士会]]会長、2017年2月から2023年6月まで日本将棋連盟会長。
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ゴキゲン中飛車を相手にしての序盤の新手である9手目▲9六歩は、多くの棋士達によって採用されている(''[[ゴキゲン中飛車]]'' を参照)<ref group="注釈">▲9六歩を初披露したのは2005年2月17日([[朝日オープン将棋選手権]]・対[[山崎隆之]]戦)である(結果的に負けたが内容は十分)。しかし、そのときは棋士達の間で見向きもされず、5か月後にタイトル戦で羽生を相手に指して勝ったときから流行り出した。佐藤は「真似されるのは素直にうれしい」と語っている(『[[将棋世界]]』2006年7月号)</ref>。
若手時代から「'''緻密流'''」と称される読みの深さで知られ、懇意にしていた[[室岡克彦]]から「1秒間に1億と3手読む」と形容され
非常に独特な駒組から腕力で相手をねじ伏せる剛腕ぶりから、インターネット上では「丸太」と表現されることもある<ref>{{Cite web|和書|title=佐藤康光九段(50)攻め込んできた鬼軍曹・永瀬拓矢二冠(27)を丸太でぶちのめ返し竜王戦本戦進出決定|url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/690a8548642d68ae91b1e74cff431cc82cb63cd2|author = 松本博文|website=Yahoo!ニュース|date=2020/6/26|accessdate=2021-08-22|language=ja}}</ref>。
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後述のように[[升田幸三賞]]を2度受賞している。特別賞ではない升田幸三賞を2度受賞しているのは、佐藤康光と[[青野照市]]、[[藤井猛]]、[[千田翔太]]の4人のみである(2022年4月現在)。
* 同年代の羽生などが強過ぎで定跡だけでは勝てないため、佐藤康光が編み出した「ひねくれた定跡はずし」の棋風で強さを発揮し、丸太を振り回す猛者のような棋風と言われる。
NHKの「将棋の日」など将棋の地方巡業番組の観客に出題されるクイズ「次の一手」では、あまりにひねくれた戦法で他の棋士が予測できない手ばかりを繰り出すとして話題になる。
== エピソード・人物 ==
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* タイトル戦以外でも、ここ一番の大勝負(挑戦者決定戦やTV棋戦の決勝など)では[[和服]]で対局に臨む。
* 竜王奪取の前年(1992年)に[[ゴルフ]]にはまり、「趣味はゴルフ」と公言するまでになった<ref>[http://golfdigesttv.jp/myselection/100415_satouyasumitu/ My Selection プロ棋士 佐藤康光さん] - Golf Digest TV</ref>。
* 2006年、米長邦雄会長(当時)から[[Bonanza]]戦を打診され、佐藤はプロ棋士が将棋ソフトに負けたら恥で引退も覚悟しなければならないとして悩んだ末に「固くお断りします」という佐藤に対して、米長が「負けたところで恥になるわけでもない、考えてみろ。しょせん遊びだ。機械相手に数時間遊びで指してくれれば、1000万円以上の収入になる」というと、佐藤は「米長先生、そこに正座してください。プロが将棋を指すのに”遊び”ということがありますか。先生はそんな気持ちで将棋を指していたんですか。私は固くお断りをいたします」と米長を諭した(米長著「われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る」より)。将棋は遊戯ボードゲームだがプロ棋士として仕事で指している真面目な佐藤に米長が遊びと称したことに佐藤は立腹し、打診を拒否した佐藤の代わりに渡辺明が挑戦して勝利した。
* 2008年10月、[[フランス]]の[[パリ]]で行われた第21期竜王戦七番勝負第1局([[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]竜王対[[羽生善治]][[名人 (将棋)|名人]])の記録係を務めていた[[中村太地 (棋士)|中村太地]]が会場設営の際に感電する事故があり、解説で同行していた佐藤(当時棋王)は「もしものことがあれば私が記録係を務めます」と申し出ていた。(大事には至らず、中村が記録係を務めた。)
* 2016年10月10日 島朗宅で行われた[[将棋ソフト不正使用疑惑]]に関する会合に参加し、後に[[三浦弘行]]の出場停止処分について、苦渋の決断と発言した。
* [[日本放送協会|NHK]]「[[将棋講座 (NHK)|将棋講座]]」講師を3回務めている。(1994年度冬期、2007年度後期、2015年度前期)
* 朝食は大の[[納豆]]派で、パン食のときも必ず納豆をつけるほど。本人曰く「納豆はデザートだと思っている」<ref>[https://hochi.news/articles/20180128-OHT1T50276.html 【王手報知】超異例!佐藤九段&森内九段&羽生竜王のスーパー同期トリオがトークショー] - スポーツ報知・2018年1月29日</ref>。[[冷やし中華]]に[[餅]]追加で話題になったが「2度とやらない」とのこと<ref>[https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1710/23/news062.html 「冷やし中華にもち追加」「おやつにブドウ糖」 シュールな「将棋めし」文化についてプロ棋士に聞いてみた - ねとらぼ]</ref>。
* 佐藤が[[運転免許]]取り立ての頃、「王将戦」第2局(1995年1月24日)の対局会場の[[栃木県]][[日光市]][[中禅寺湖]]付近まで、冬の装備のない車を佐藤自ら初運転して[[日光いろは坂]]経由で向かおうとしたが、冬の装備が不十分であることを理由に同乗の[[森内俊之]]に制され、途中の日光駅までの運転に切り替えた。帰路では[[羽生善治]]も同乗したが、この日が初運転であることを佐藤から告げられた森内・羽生が、佐藤のあまりの運転未熟さに肝を冷やしたという(いろは坂事件)<ref>{{リスト|{{cite |和書 |title=棋界こぼれ話 |publisher=[[近代将棋]] |author=大矢順正 |date=1995年4月号}} |{{cite |和書 |url=https://shogipenclublog.com/blog/2020/10/01/tanigawahabu-3/ |title=佐藤康光前竜王の車に羽生善治六冠と森内俊之七段が同乗した日 |publisher=将棋ペンクラブログ |date=2020-10-01}}}}</ref>。当時の棋譜研究はプロ棋士や奨励会員であっても現地観戦するしかなく、康光は免許取り立てで運転したくてドライブと棋譜研究ができる一石二鳥だとして森内を誘って行った。これ以後、羽生は佐藤が運転する車には同乗していない、森内はその後も若干数であるが乗車している。
* いろは坂事件の際は1995年1月で当時25歳の若気の至りもあり青年でワイルド(野性的)で猪突猛進であったが、それからわずか10年強の2006年に、米長邦雄会長(当時)の将棋ソフトとの対戦打診を断った際は達観して熟考した上に断っているほど変化が大きい。
=== 棋士会長
[[File:羽生善治 2018年 竜王就位式に於いて.jpg|thumb|250px|2018年1月 第30期竜王就位式を連盟会長として取り仕切る佐藤。左は永世七冠の資格を獲得した[[羽生善治]]。]]
* 2011年4月1日から[[日本将棋連盟]]の[[日本将棋連盟#棋士会|棋士会]]長を務める<ref>[https://www.shogi.or.jp/news/2011/04/post_400.html 「棋士会」役員変更のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟]</ref>。
* 2017年2月6日、谷川浩司の会長辞任を受けた形で、
* 2017年
*会長在任中の特筆すべきこととして、賞金額の大きい2つの[[棋戦 (将棋)#女流棋戦|女流タイトル棋戦]]を創設に携わったことが挙げられる({{nobr|[[清麗戦]]<2019年度創設>}}、{{nobr|[[白玲戦|白玲戦(女流順位戦)]]<2020年度創設>}})。
*2023年6月9日を以って日本将棋連盟会長を退任した{{refnest|日本将棋連盟サイト内の本人プロフィールの「役員履歴」より<ref>{{citation ja |url=https://www.shogi.or.jp/player/pro/182.html |title=佐藤康光|棋士データベース |website=日本将棋連盟}}</ref>。}}。
== 昇段履歴 ==
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|style="text-align:left;"|永世棋聖資格
|-
|colspan="6"|登場回数 合計37回、'''獲得合計 13期'''([[棋戦 (将棋)#タイトル獲得記録|歴代
|-
|}
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=== 在籍クラス ===
{{main2|竜王戦と順位戦のクラス|将棋棋士の在籍クラス|WLR
{{将棋棋士年別在籍クラスA}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1987 |JJ=46|j=C2|#=53|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1988 |JJ=47|j=C2|#=04|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1989 |JJ=48|j=C1|#=22|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1990 |JJ=49|j=C1|#=06|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1991 |JJ=50|j=C1|#=03|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1992 |JJ=51|j=C1|#=06|WLJ=10-0 |RR=6|r
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1993 |JJ=52|j=B2|#=19|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1994 |JJ=53|j=B2|#=08|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1995 |JJ=54|j=B1|#=13|WLJ=11-1 |RR=9|r=1|WLR=4-1|RFT=2-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1996 |JJ=55|j=A|#=09|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1997 |JJ=56|j=A|#=04|CJ=1|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1998 |JJ=57|j=名人 |RR=12|r=1|WLR=3-1|RFT=0-1}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1999 |JJ=58|j=名人 |RR=13|r=1|WLR=3-1|RFT=2-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2000 |JJ=59|j=A|#=01|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2001 |JJ=60|j=A|#=02|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2002 |JJ=61|j=A|#=02|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2003 |JJ=62|j=A|#=02|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2004 |JJ=63|j=A|#=02|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2005 |JJ=64|j=A|#=04|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2006 |JJ=65|j=A|#=03|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2007 |JJ=66|j=A|#=04|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2008 |JJ=67|j=A|#=08|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2009 |JJ=68|j=A|#=02|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2010 |JJ=69|j=B1|#=02|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2011 |JJ=70|j=A|#=09|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2012 |JJ=71|j=A|#=07|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2013 |JJ=72|j=A|#=06|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2014 |JJ=73|j=A|#=04|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2015 |JJ=74|j=A|#=08|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2016 |JJ=75|j=A|#=04|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2017 |JJ=76|j=A|#=08|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2018 |JJ=77|j=A|#=04|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2019 |JJ=78|j=A|#=05|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2020 |JJ=79|j=A|#=03|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2021 |JJ=80|j=A|#=06|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2022 |JJ=81|j=A|#=07|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2023 |JJ=82|j=B1|#=02|WLJ=
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2024 |JJ=83|j=B1|#=08|WLJ= |RR=38|r=##|##=(1組以上)|WLR=}}
{{将棋棋士年別在籍クラスZ|note=}}
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