森本雅樹

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森本 雅樹(もりもと まさき、1932年5月14日 - )は、東京府(現・東京都)出身の日本の天文学者畑中武夫の弟子で、専門は電波天文学日本の宇宙電波研究の定着に努力したことで知られている。国際天文学連合電波天文学委員会委員長を歴任。2005年現在、兵庫県立西はりま天文台公園顧問、鹿児島大学国立天文台東京大学各名誉教授。「森本おじさん」の愛称で親しまれており、弟子には海部宣男らがいる。

森本 雅樹
(もりもと まさき)
生誕 (1932-05-14) 1932年5月14日(92歳)
日本の旗 日本 東京府
研究分野 電波天文学
研究機関 東京大学
国立天文台
鹿児島大学
出身校 東京大学
博士課程
指導教員
畑中武夫
プロジェクト:人物伝
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略歴

人物・来歴

東京天文台時代より、師匠である畑中武夫より薫陶を受けた分かりやすい解説で、「森本おじさん」の名前で呼ばれる。そのためか、メディア出演や講演会なども多く、公報担当者としても良く知られている。電波天文学分野においては、いち早く短い波長の観測を提唱し、6mミリ波電波望遠鏡の建設においても主導的な役割を行う。野辺山宇宙電波観測所では、裏方であった赤羽賢司を支え、各地での講演会などを引き受けた。弟子の海部宣男とは飲み友達であるが、いつも天文談義をしている。

業績

  • 国立天文台200メガヘルツ干渉計、国立天文台6mミリ波望遠鏡、野辺山宇宙電波観測所などの建設に尽力。
  • 鹿児島大理学部物理学科に「宇宙コース」を設置した。
  • 日本国内史上では初めて、完全公開型の大型天体望遠鏡施設を有する兵庫県立西はりま天文台公園の整備計画を行う。
  • 国内におけるSETIの主導者の一人である。1978年、平林久寿岳潤とともに4829.659MHzのホルムアルデヒドのラインをMagic Frequencyに加えることを提唱。その考えをまとめた論文はネイチャーに掲載された[1]。また、1983年、平林久とスタンフォード大学のアンテナからアルタイルに電波メッセージを送った。これは日本人による初のMETI (Messaging to Extra-Terrestrial Intelligence) である。

著書

単著

  • 『電波天文学・電波領域における線スペクトル』(恒星社厚生閣 新天文学講座10 新版 1964年
  • 『星の一生』(日本放送出版協会 NHKブックス 1972年
  • 『電波でみた宇宙』(講談社 ブルーバックス 1972年)
  • 『望遠鏡をつくる人びと』(岩波書店 1972年)
  • 『星と宇宙』(東海大学出版会 新地学教育講座⑬ 1977年
  • 『宇宙をはかる』(岩波書店 算数と理科の本 1980年
  • 『宇宙の観測I・受信機』(恒星社厚生閣 現代天文学講座11 1981年
  • 『宇宙経由野辺山の旅』(丸善 1987年
  • 『宇宙のアルバム』(福音館書店 みるずかん かんじるずかん 1989年
  • 『ピンボケ望遠鏡がんばる』(丸善 1992年
  • 『宇宙の旅200億年』(岩波書店 New Science age)
  • 『科学とりもの帖』(丸善)
  • 『森本おじさんの宇宙のお話』

共著

編著

  • 『宇宙電波天文学』(日本物理学会 新編物理学選集 1972年)
  • 『星座と望遠鏡』(丸善 FRONTIER SCIENCE SERIES 1986年

訳書

関連項目

参考資料

  1. ^ Morimoto, M., Hirabayashi, H. & Jugaku, J. 1978 Nature 276, 694

外部リンク