中森明菜の出演

これはこのページの過去の版です。114.167.23.21 (会話) による 2022年11月2日 (水) 13:47個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

中森明菜の出演』は、日本の歌手・女優である中森明菜の出演番組などに関する記事。 テレビドラマのうち連続テレビドラマには4本レギュラー出演し、映画には2本出演している。また、テレビ番組コマーシャルコマーシャルソングラジオ出演の他、音楽番組バラエティ番組などにも複数出演している。

テレビ

ドラマ

バラエティ番組

  • ピンキーパンチ大逆転(1982年6月3日、8月26日、TBS)
  • カックラキン大放送!!(1982年6月18日他、日本テレビ)
    • コントの他、『スローモーション』を歌唱。
  • たのきん全力投球!(1982年7月4日他、TBS)
  • 8時だョ!全員集合(1982年8月14日、1983年3月19日、7月16日、1984年1月14日、10月13日他、TBS)
  • ヤングおー!おー!(1982年、毎日放送
  • 笑ってる場合ですよ!(1982年9月9日、フジテレビ)
  • パリン子学園No.1(1982年、1983年2月3日他、TBS)
  • TVジョッキー(1982年12月5日他、日本テレビ)
  • 11PM(1982年12月9日他、日本テレビ)
  • プロポーズ大作戦(1983年1月、朝日放送テレビ
  • スーパージョッキー(1983年7月3日、1985年6月16日、1986年7月27日、10月5日他、日本テレビ)
  • 笑ってポン!(1983年、TBS)
  • 欽ちゃんのどこまでやるの!(1984年、1986年他、テレビ朝日)
  • 生だ!おもしろ特急便(1984年6月7日、TBS)
  • スターどっきり(秘)報告(1986年1月3日、1986年11月14日、1988年3月30日他、フジテレビ)
  • 全日本歌まね選手権(1986年、日本テレビ)
  • とんねるずのみなさんのおかげです(1986年11月11日他、フジテレビ)
  • 志村けんの失礼しまぁーす!(1887年9月4日、日本テレビ)
  • いつみ・加トちゃんのWA-ッと集まれ!!(1988年4月17日他、フジテレビ)
  • ねるとん紅鯨団(1989年6月17日、フジテレビ)
  • 天才・たけしの元気が出るテレビ!!(1990年10月28日、日本テレビ)
  • アッコにおまかせ!(1990年11月25日、1993年10月3日、TBS)
    • 1990年11月25日放送:「中森明菜はこんな人!」と題して、「値切り上手」、「掃除が大好き」、「あり合わせ料理が得意」と紹介される。「全部小さい頃からしてきたこと」と話す。「兄妹多いとそれぞれ適性があるから、あたしは買い出しに行って夕飯作ってた。掃除は神経質だから、やらないでいられない。毎日掃除機かけて拭き掃除する」と話す。
      和田アキ子から週刊誌に悪く書かれる話題を振られ、「マスコミは好きじゃないので、いい顔を見せることができない。例えば記者が一般客を乱暴に押しのける等、非常識なことをされると気色ばんでしまう。『これこれこうだから、それは違うんじゃありませんか』と丁寧に話しても『中森明菜 それは違うじゃないか』と語尾を汚く変えて書かれてしまう。普通の写真では雑誌が売れないから、例えば具合が悪いときに顔を背けて咳をしようとしたら、強引に下から撮られたりしてしまう」と話す。和田アキ子の「黙ってたらみんな週刊誌を信じてしまうから、自らどんどん発信すべき」、生島ヒロシの「日本では無抵抗主義は通用しない」という話に瞳を潤ませ涙を拭う。
    • 1993年10月3日放送:和田アキ子から「電話の声ひどいね」と言われ、「いたずら電話が多くて、怒ってるときに気まぐれで電話に出るとアッコさんだったりする。12回ぐらい番号変えてる」と話す。
      また、写真集を巡るトラブルの話題を振られ、「元はエッセイ集の話だった。騙された」と答える。
      週刊誌に悪く書かれることについては、「よく1人で泣いていたりしたが、最近は『またやってるな』と気にしないようにしている」と話す。ただし、「普通の男友達のことを週刊誌に書かれ、迷惑をかけたことと友達を失ったことが辛い」と涙を拭う。
      将来の夢の話では「昔からそうだったんですけど、ボランティア的なことをやりたい。昔からお婆ちゃんとか大好きで、お婆ちゃんとか子供と仲良くなるのが得意」と語る。
  • 加トちゃんケンちゃんスペシャル(1991年10月2日、テレビ朝日)
  • テレビ探偵団(1991年10月20日、TBS)
    • デビュー当時の映像が流れた後、三宅裕司から「ぽっちゃりしていたんですね」と言われ、「これよりも『少女A』を歌い出す頃。キャンペーンがすごくて(泊まって休む時間もなく)夜行列車でどんどん移動して、食べなきゃもたないので、朝から丼と麺、1日5食だった。スタ誕の頃は47kgだったのが、みるみるうちに57kgになった」と話す。
      「中森明菜レコード大賞連続受賞への道」と題して、歴代シングルの売上が紹介されると、「どの曲にも思い入れがあって。子供を育てるようなものですから。どの曲も一番最初にテレビで歌った顔とかイメージって気に入らないんです。こういう歌い方がいいんじゃないか、こういう表情がいいだろう、ああじゃないこうじゃないと試行錯誤して一生懸命完成させていくんですよ。だから、賞をいただいた時も自分がいただくというよりも一生懸命作り上げた曲自体に対して『あぁ、良かったね』と拍手するんです」と語る。その後、レコ大で涙を流して歌う映像が流れ、涙ぐむ。
      子供の頃見ていた番組は、ど根性ガエル大魔王シャザーンキイハンター。また、仮面ライダーカードを集めていたとのこと。
  • 志村けんのだいじょうぶだぁ(1991年12月23日他、フジテレビ)
  • 進め!電波少年(1993年9月19日他、日本テレビ)
    • 松村邦洋が「ファンクラブに入っていた。会員番号1979番」と話す。
  • たけし・所のドラキュラが狙ってる(1993年10月3日、毎日放送)
    • ビートたけし所ジョージ麻木久仁子江川卓らとマスコミの悪質な取材について話す中で、麻木から「対抗する方法は」と聞かれ、「あたしはもうほっとく。無視です」と答える。「逃げようとするとわざと足を引っかけてくる。転んで、怒るところだけ編集してオンエアされる。だから相手にしない」と話す。
  • チューボーですよ!(1994年4月9日、TBS)
    • 初回ゲストとして出演。
  • ウンナン世界征服宣言(1994年6月10日、日本テレビ)
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!(1994年10月16日、日本テレビ)
    • 「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!スペシャル~24時間トーク~」に出演。
  • UN FACTORY ソムリエ(放送日不明、フジテレビ)
  • モグモグGOMBO(1995年7月、日本テレビ)
  • 森田一義アワー 笑っていいとも!(1995年8月4日、1996年8月22日、2008年12月15日、フジテレビ) - いずれもテレフォンショッキングのコーナーに出演
    • 1995年8月4日放送:当時、プライベートでも親交のあった和田アキ子からの紹介。自身が参加した『阪神・淡路大震災救済イベント 日本をすくえ '95』の発起人である泉谷しげるを紹介。
      タモリと体重の話になり、「今は42kg。一番長くキープしていたのは47kg。一時期痩せた頃には44kgを長くキープしていた。そこから病気してグーンと下がって、段々と戻ってきてるところ。デビュー当時は58kgあったんですけどね」と話す。
    • 1996年8月22日放送:「中森明菜に憧れて歌手になった」と公言している篠原涼子からの紹介。『もう一度逢いたい 忘れられない恋人…』で共演した高橋ひとみを紹介。
    • 2008年12月15日放送:『ドラマティック・レイン』でデュエットした稲垣潤一からの紹介。『TATTOO』をカバーしているデーモン小暮を紹介。
  • とんねるずのハンマープライス(放送日不明、関西テレビ)
    • LOT.No.162「中森明菜があなたの作詞したオリジナルソングを唄ってくれる権」が出品される。涙ぐみながら高値で競っていく参加者に「可哀想、泣いちゃってる」ともらい泣きする。211万円で落札される。
      落札者夫婦の奥さんが愛犬をテーマに作詞した曲を、レコーディングで優しく温かく歌い上げる。「もうちょっとこうやって歌って欲しいとかなかったですか?歌い直してきますけど」と聞くが、夫婦とも「いえいえ、大丈夫です」と満足げに答え、同行したアナウンサーも「しんみり聴いちゃってた」と話す。
    • LOT.No.163「中森明菜の素顔のままで最終回の衣装」が出品され、220万円で落札される。
  • SMAP×SMAP(1996年4月15日他、フジテレビ)
  • ASAYAN(1996年8月、テレビ東京)
    • コムロギャルソン[注釈 1]のコーナーに「特集 中森明菜」として出演。木根尚登から『愛撫』がファン投票で1位になった話を振られ、「自分でも気に入っていた曲なので、振りもつけてテレビで歌う機会が何回かあった。それもあってかシングルじゃないのに[注釈 2]振りも真似してカラオケでみんな歌ってくださる。アルバムの中でそういうふうになったのは『愛撫』だけ。最初聴いた時は『TMだ!どうやって歌ってあたしの色にしよう』と思った」と語る。
      MOONLIGHT SHADOW-月に吠えろ』については、「本音を言うと、1回目聴いた時はインパクトがなかった。曲が長く感じた。もう1度聴くと全然違った。あっという間に終わった。自然と体がリズムを取っていた。3回目聴いた時は『いいね』。パッと聴いて『いい』というよりも、ジワジワ伝わってくる方が好き」と話した。
  • タモリ倶楽部(1996年10月18日、テレビ朝日)
  • (番組名不明)(1996年11月23日、日本テレビ) - 堺正章榊原郁恵が司会の番組
    • 榊原が「続いての憧れの大スターはこの方」と話すとモニタに中森が映され、「この明菜ちゃんに憧れ続けてスターになった方々にご登場いただきましょう」と、飯島愛千秋網浜直子が登場。続けてご本人として中森も登場する。
      中森にちなんだ以下のお宝が紹介され、3人の熱い想いに落涙する。
      • 飯島:明菜の髪型(デビュー当時のロングヘアー)そっくりの中学時代の写真。皆からそっくりと賞賛される。
      • 千秋:明菜の髪型(禁区の頃)そっくりの中学時代の写真。皆から似てないと言われ、昼休みに他の教室に呼ばれて歌っていたというマイクもお宝として紹介する。また、シングル曲のタイトルをデビューから順に挙げ、皆から賞賛される。
      • 網浜:明菜グッズとして、大量のブロマイドやシール、ステッカーとファンクラブのサイン入りハチマキ。
3人で『少女A』、網浜が『北ウイング』、飯島が『セカンド・ラブ』、千秋が『十戒 (1984)』を歌唱する。
「こんなに応援してくれたり、好きでいてくれた子がいたんだから、頑張ってて良かったなと思う」と涙ぐんで語る。
続けて榊原が「まだまだいらっしゃいます。『中森明菜さんがいらっしゃらなかったら今の自分はいなかった』と言い切るスターをお呼びします」と紹介すると、篠原涼子が登場し、「オーディションで『スローモーション』を歌って合格した」という話をする。
  • アムロ今田きっとNo.1(1997年3月、日本テレビ)
    • 今田耕司から「写真集買(こ)うた事あるよ!」と言われ、照れ笑いする。
  • 集まれ!ナンデモ笑学校(1998年10月23日、テレビ東京)
  • ぐるぐるナインティナイン(1999年4月9日、日本テレビ)
  • たかじんONE MAN(2000年5月他、毎日放送)
    • 2000年5月放送:「1人でいろんなとこに行くのが好きだけど、全然行けないからストレスが溜まる」と話すと、やしきたかじんが「パパラッチやな。ここは大坂やから大丈夫。俺ら(原田伸郎と)が追い払う」と、3人で梅田立ち飲み屋尼崎商店街に出かける。
      たかじんから「忙しくても毎日3時間部屋の掃除をする」と話題を振られ、「まずはベッドメイキングから。シーツを替えるのは3日に1回。洗濯機で洗う」と話す。「脱水機から出したらクチャクチャになってるやん」と言われ、「脱水が終わるまではかけない。途中で止める。ポタポタと水が垂れるのは止めるのが早すぎ。パンパンと両手で叩いて水しぶきがかかるぐらいが丁度良く、ピチッと乾く」と話す。
      「たかじんさんの歌が好きで、1度コンサートを拝見しに行きたいと思ってたらラストコンサートをされてしまったので。サインしてもらおうと持ってきたんです」とラストコンサートのビデオを差し出す。「『東京』をカラオケでも歌わせていただいてるほど好きで、あとは『泣いてもいいか』も好き」と話す。
    • 2001年放送:「ここは行っとけオーストラリア!!」と題して、番組初の海外スペシャルに出演。
  • 笑う犬の冒険(2000年9月3日、フジテレビ)
  • 明石家マンション物語(2000年9月13日、フジテレビ)
    • ダメダメボーイNo.5、田中直樹から「クマのぬいぐるみがないと眠れないようじゃダメダメ」と言われ、「なんでそんなこと知ってるの」と笑いながら答える。名前は「くまたん」とのこと。ダメダメボーイNo.3、今田耕司から「観葉植物の葉が枯れる度に1枚ちぎっては小瓶に入れて埋葬しちゃダメダメ」と言われ、笑いながら顔を隠し「誰に聞いた?」と言う。また、田中が「本当に家族思いな方で、デビュー以来、自分の欲しいものを買わず、お父さん、お母さん、兄妹5人の口座を作って、給料を分けて振り込まれるんです」と皆に話すと、瞳を潤ませる。「どうして涙ぐんでるの」と言われて泣き笑いしながら落涙する。
  • 進ぬ!電波少年(2000年11月5日、日本テレビ)
  • ジャングルTV 〜タモリの法則〜(2001年4月24日、TBS)
  • 1億人の大質問!?笑ってコラえて!(2005年2月9日、7月20日、日本テレビ)
  • 爆笑問題の大バク天!5 「ハードに完全燃焼SP」(2005年7月9日、TBS)
    • 中森明菜ファンを公言している友近が「友近の一度はやってみたかった事!中森明菜と同じサイズの衣装を着て名曲『TATTOO』を熱唱してみました」と題する企画に挑戦する。当時の衣装を再現したものを着ようとするが「ウエスト52cm」と聞いて絶句。1週間ダイエットしたもののウエストは77cmから69cmまでしか落ちず、背中側をテープで留めた状態で『TATTOO』を熱唱する。
      中森がVTR出演を装い「本当はスタジオに行きたかったんです。やっぱり行っちゃおうかな」と立ち上がり、「中森だフォ~」とレーザーラモンHGの真似をしながら登場する。炊事中にテレビから自分の声が聞こえると見に行ったら友近だったというエピソードを話す。また、太田光が『スローモーション』が好きで大ファンだと話す。
      「一度はやって欲しかった事!友近の明菜と本物の明菜でトーク番組をやってみました」と題して、2人でトークをし、田中裕二から「全然聞こえねえよ」とツッコまれる。小声に聞こえる理由は「あがり症なので」と答える。
  • 超人気番組大集合!春のサルヂエ祭り!(2006年4月5日、中京テレビ
  • はねるのトびら(2007年1月17日、フジテレビ)
  • とんねるずのみなさんのおかげでした(2007年1月18日他、フジテレビ)

トーク(バラエティ)番組

  • さんまのまんま(1985年12月2日、1996年10月4日他、関西テレビ)
    • 1985年12月2日放送:明石家さんまから給料の話を振られ、「ほとんど自分の手元には来ません。実家にいきます」と答える。「持ってても衣装代ぐらいにしか使わない。貯めるのが好き。お財布に1枚1枚入れてニヤニヤしてる。たまに座布団に並べて満足してる。小さい頃からお年玉もらってもお母ちゃんに預けてた」と話す。また、どんな番組をビデオで見るのか聞かれ、「まず、自分が出た番組のビデオを見る。反省点はないかと。表情とか衣装の着崩れとか振り付けとか」と答えると、振り付けの話を掘り下げられ、デビュー曲からの振り付けを披露。「『十戒』から自分で考えた」と話す。「『さんまのまんま』の曲[注釈 3]の振り付け考えて」と言われ、楽しみながら即興で振り付けを考える。
  • Audition House(1987年1月、フジテレビ)
  • かっぺい&アッコのおかしな二人(1987年2月21日、日本テレビ)
    • 和田アキ子から車上荒らしにあった話を振られ、「私は、身の回りに気に入ったものを置いておきたいので、4畳半~6畳に置くような衣類とか小物をほとんど車に積んでたんです。それを全部持って行かれた」と話す。和田から「金額とかというよりも色んな思い出が詰まってたんだってね」と言われ、「そう。アルバムとかアドレス帳までみんな持っていかれた」と話す。真剣な顔で「返してください。お願いします」と頭を下げる。
      また、鍋物が得意で、大家族の癖が抜けず大量に作るから、会社に持って行くという話をする。
      和田から、これからどうありたいかを問われ、「私は、デビューの時から考え方とか変わらないんですね。絶対に変えたくないと思うんです。頑固なんですね。間違ってないと思うから。今のままの自分でずっとありたいなと思っています」と語る。
  • だぅもありがと!(1986年他、TBS)
  • 君といつまでも[注釈 5](1991年4月29日、テレビ朝日)
  • カモナ・マイハウスⅡ(1993年、フジテレビ)
    • 40度の高熱でも誰も呼ばないというエピソードで、「タレントになってから3回ぐらいある。人に心配をかけるのが嫌。逆の立場だったら何も聞かずに黙って行くから、友達にも『あなたがそうするように、みんなもそうしたいんだよ。来て欲しいって言って欲しいんだよ』と言われるけど、私はダメ。甘え方を知らない。小さい頃から病気がちで家族に迷惑かけたから。『自分さえ我慢すれば、誰も分からない』というのが小さい頃からしみついてる」と語る。山田邦子の「いいんだよ言っても。偉いねぇ、中森さん。偉い!」という言葉に涙を浮かべる。「なんで泣いてんの」と頭を撫でられ、「だって邦子さん優しいんだもん」と泣き顔になり、山田邦子ももらい泣きする。「『言いな』って言ってくれる人、あんまりいないですよ。結構仲良くなった人には『言いなさい』って言われるけど、小さい頃からの育ち方だから変えようと努力しても変えられない。『そんなもん我慢できるだろ』と思われらどうしよって思っちゃうから」と語る。中野英雄マイケル富岡も胸打たれ「電話してよ」と話す。「大丈夫、小さい頃から弱かったから自分で強くなれるの。次の日とか、ちゃんと自分で治すよ。病は気からってホントよ」と涙を拭い、最後は笑顔で語る。
  • おしゃれカンケイ(1995年3月12日、日本テレビ)
    • 観覧客から「スター誕生!で合格してなかったら何になってましたか?」と聞かれ、「今でもこの夢は捨ててないんですけど、子供関係とかご老人関係とかのお仕事」と答える。古舘伊知郎から「保母さんとか老人介護とか?」と聞かれると、「そうですね。孤児院の方とかね。お世話するのが好き」と答える。
暴露本の話で「悪い刺激物を受けて変わったと思うか」と聞かれ、「めげないです。信用しきっちゃうから。ずっと一緒にやっていきたいから、なんでも言い合える仲になりたい。喧嘩できる仲になりたい」と語る。
マルシアから料理の話を振られると、「家族が多かったので大量に作る物が得意。煮物とか、炒め物とか」と話し、残り物クッキングを実演する。
観覧客から「カラオケでものまねされるのが得意だと聞いたことがあるので、披露していただけないでしょうか」とリクエストされると、「松田聖子さんのものまねをよくする」と話す。古館が「一時仲悪いと言われましたが」と話すと、「あれ全然作り話なんです」と答える。「番組側は気を遣ったものですよ。夜のヒットスタジオ。わざわざ両サイドに立たせたりした。でもそんな仲じゃなかったんだってね、ホントは」と言われ、「だってあたし、聖子さんのレコードほとんど持ってますもん」と話し、『白いパラソル』の歌まねを披露する。
16小節のLOVE SONGのコーナーでは、中学校の恩師からの手紙に涙を溜めて拭う。
  • 土曜ソリトン SIDE-B(1995年7月8日、NHK教育
    • 高野寛から「子供の頃どういう音楽を聴いていたか」と聞かれ、「母親が台所で『銀座カンカン娘』とかを口ずさんでいたのを聴いて覚えたりした。真似して口ずさむと教えたくれた。小学校入学前後の頃には、長女のお姉ちゃんが小学校6年生ぐらいになっていて、普段、耳にするのは洋楽ばかり。ブラックソウル系ばかり聴いていた。『黒い戦争』とか『Do the Hustle』とか。小学校1、2年にあがるとお姉ちゃん達は中学生で、小さいあたし達を捕まえて、『こうやって踊るんだ』とかってステップを教えるの。そうやって身についていった」と話す。
 緒川たまきから「明菜さんの好きな歌手は」と聞かれ、「歌手としてというより、人間として、女性として大好きだったのが百恵さん。テレビに出てると『百恵ちゃん出てるよー』とみんな集まった。あとは美空ひばりさんとか越路吹雪さんとか。家族みんなでファンだったのが水前寺清子さん」と答える。
 「歌手になろうと思ったのはいくつぐらいか」と聞かれ、「母親が歌手になりたくて断念した人なので、娘が4人もいるんだから誰かに自分の夢を託したかったみたいで、幼稚園の頃からボイストレーナーのように怒ったり褒めたりしながら教えてくれた。子供だから『お前は歌が上手い』とか『お前はひばりちゃんの次行ける』とか言われ、段々その気になってくる。おだてに弱い方だから。『この大家族を支えるのは私しかいない』と勝手に思い始めちゃって。『明菜が歌手になってテレビぐらい買ってあげるから』、『大きな御殿に住ませてあげるから』と自分で言い出してから、自分は歌手にならなきゃいけないと思い込んだ」と話す。
 スタ誕に何度も落ちた話では、「家族も段々諦めてきて、『ダメだ、やっぱね』と言ってたら合格しちゃったから、家族もホントにびっくりしちゃって。『どうする明菜、本当にやるか?』と心配顔でみんな言い出しちゃって。ボイストレーナーの先生[注釈 6]からも、『お前はルックスじゃ勝負できないから、歌で頑張らないといけない』と言われ続けた」と話す。
 カラオケに行くという話では、「歌のレッスンに行く。持ち歌はあたしの音域に合わせて作ってくださってるから歌わない。他の方の曲だとトライしないと歌えない。こういう声の出し方だったら、こういうふうに歌えるんだと勉強になる」と話し、高野寛に「結局、真面目なんだ」と感心される。
 「歌っている時、完全に感情移入しているのですか?」という視聴者からの質問が紹介されると、「喜んでもらいたいから歌う。自分が女なので、どうしても女性が対象になるけど。楽しくさせるのか、元気にさせるのか、悲しくさせるのか、いろんな感情に訴えて喜んでもらいたいというのが基本。でも悲しい曲であまり入り込むと本当に泣いてしまうので、抑えるときはある」と答える。
  • メレンゲの気持ち(1996年、日本テレビ)
  • 快傑えみちゃんねる(1997年4月21日、2000年5月15日、関西テレビ)
    • 2000年5月15日放送:「スタイルを保つ秘訣を教えて」という町の人からの質問に、「休みの日は特にすることがなく、お腹も空かないから、夜しか食べない。朝起きたら掃除ぐらいで、髪を振り乱して汗をかきながら床とか磨いてる」と話す。
      上沼恵美子から、前年(1999年)のコンサート中止の話題を振られ、「全く知らなかった話で、一般販売はされておらず、ファンクラブ内だけでうまくやろうと思ったみたいです」と答える。
      料理のコーナーでは、ステーキと春野菜のサラダを作る。
  • ライオンのごきげんよう(1999年1月6-8日、フジテレビ)
  • さんま・所のオシャベリの殿堂(1999年1月25日、日本テレビ)
  • いつでも笑みを!(2000年11月4日、関西テレビ)
    • VTR出演したやしきたかじんが、「芸能人で『中森明菜ファンクラブ会員』になっているのは私1人だけ。会ったことがない頃は良い印象を持っていなかった。自分の番組に出てもらったら、思っていたイメージと全く違った。根っからの真面目人間。是非これからは、自分を責めることなく、他人にもあまり寛容になりすぎることがないように」と話すと、上沼恵美子が「私も後援会入る。第2号」、河合美智子が「第3号」、渡辺徹が「第4号」と次々と名乗りを上げ、嬉しそうに瞳を潤ませる。
 また、同じくVTR出演した千堂あきほが「明菜ちゃんもあたしと同じで周りに恵まれずにきてる。1回そういうことがあると人間不信になってしまう」と話すと、「何回も何回も騙されると慣れる。最初の傷は大きい。でも、仕事をしていると人間不信になってる暇がない。信じないと仕事やっていけない。『騙されたらしょうがないと諦めて、次も信用するところから始めないと無理』というのがよく分かった」と話す。
 上沼が「それと、明菜ちゃんは誤解されてる。あたしもたかじんさんと同じで、全然違うイメージだからびっくりした。最初の『えみちゃんねる』出演の時に、スタッフが『彼女は気分屋だから来るかどうか』と心配し、来たら拍手していた。そういうイメージを持たれてる。マスコミが作ったイメージ」と話し、驚き、とまどいの表情を見せる。「多分、デビュー当時の『少女A』で、インパクトを高めるために事務所やレコード会社が悪い印象を流したんだと思う。それがずっと引きずって残っちゃったんだと思う」と話す。
 ヘアスタイルや衣装、振り付けも自分で考えていたという話では、「アイドルを扱ったことがない事務所だったので、自分でやるしかなかった。特に自分ひとりぼっちでやってたのは『サザン・ウインド』、『禁区』、『十戒』、『北ウイング』とかで、誰の相談も受けられなかった」と話す。「プロデューサー的なことまで自分でされていてすごい才能」と褒められると、「そんなに褒めないでください」と嬉しそうに瞳を潤ませる。終始、温かく優しい言葉をかけられ、時折そっと目頭を拭う。
  • アッコとマチャミの新型テレビ(2001年4月2日、福岡放送)
    • 和田アキ子と久本雅美に手作りの菜の花ごはんを振る舞う。「冷めても食べられるように餅米と配合してお出汁を入れて炊いた」と話す。両名から「美味い」と絶賛されるも「食べさせる相手はいないのか」とツッコまれ、寂しい顔をしてスタジオを笑わせる。
  • 爆笑問題の三者面談(2001年12月4日他、テレビ東京)
  • 恋のから騒ぎ(2003年4月26日、2006年7月22日他、日本テレビ)

クイズ番組

音楽番組

  • スター誕生!(1981年8月2日、11月29日、12月6日、1982年5月30日他、日本テレビ)
    • 1981年8月2日放送:第511回の放送。デビュー前。392点という史上最高得点で合格。
    • 1981年11月29日放送:第552回の放送。第38回決戦大会PARTⅠ。司会の坂本九が「印象度88。最高点数です」と告げる。
    • 1981年12月6日放送:第553回の放送。第38回決戦大会PARTⅡ。最優秀賞を獲得。スカウトの意志を示すプラカードが11社から挙がる。
    • 1982年5月30日放送:デビュー後初出演。「今年のホープ大集合」として、小泉今日子新井薫子石川秀美水谷絵津子とともに出演し、『スローモーション』を歌唱する。
  • ヤンヤン歌うスタジオ(1982年5月他、テレビ東京)
    • 初出演はデビュー前の収録(収録日は1982年2月23日)[注釈 7]。まだ衣装も出来ておらず、私服で『スローモーション』を歌唱する。
  • 素敵なあなた(1982年5月22日、フジテレビ)
    • 『スローモーション』を歌唱。
  • 歌謡ドッキリ大放送!!(1982年5月30日他、テレビ朝日)
  • アイドルパンチ(1982年他、テレビ朝日)
  • ザ・ヤングベストテン(1982年、テレビ東京)
  • ザ・トップテン(1982年6月7日、9月13日他、日本テレビ)
    • 1982年6月7日放送:特別コーナー第3弾、話題の新人として早見優とともに初出演。『スローモーション』を歌唱。
    • 1982年9月13日放送:「もうすぐトップテン」として14位で出演。『少女A』を歌唱する。
    • 放送日不明:スペシャル放送。デビュー当時からの映像を振り返り、司会の堺正章から「あの頃から何か変わったか」と問われ、「あの頃は無我夢中だったのであがったりしなかった。今はどの番組に出るにせよ、あがって震えちゃってしょうがない」と話す。
  • レッツゴーヤング(1982年8月8日他、NHK総合テレビ)
  • ザ・ベストテン(1982年9月16日他、TBS)
  • 夜のヒットスタジオ(1982年9月20日他、フジテレビ)
    • 1987年12月30日放送:井上陽水[注釈 8]アコースティック玉置浩二[注釈 9]エレキのツインギターをバックに歌唱する回。歌前のトークでは手が冷たくなるほどあがりまくるが、演奏が始まると両名のコーラスとともに『飾りじゃないのよ涙は』を熱唱する。
    • 1988年11月9日放送:ファンクラブ限定のカレンダーをサイン付きで5部、視聴者プレゼントという話に、津川雅彦が「うちの娘が明菜ちゃんのファンなのでなんとかなりませんか」と割り込んでくる。
      また、デビュー前、ロサンゼルスでレコーディングとビデオ撮りをしていた頃に家に泊めたという五月みどりが、「中森明菜という名前をなかなか覚えられず、『もうちょっと易しい名前にしてもらった方がいいわよ』と言っちゃったけど、こんな難しい名前を人に覚えてもらうというのは実力しかない。すごい」と賞賛する。
    • 1988年11月23日放送:小泉今日子とともにお揃いの衣装を着てピンクレディーの振り付けを再現しながら、『S・O・S』を歌唱する。
  • ミュージックフェア(1983年1月13日他、フジテレビ)
    • 1983年1月13日放送:井上陽水とともに『銀座カンカン娘』を歌唱する。
    • 1991年4月21日放送:高橋真梨子とともに『桃色吐息』を歌唱。中森が『for you…』を、髙橋が『DESIRE』を独唱する。
    • 1994年4月3日放送:徳永英明とともに『Rainy Blue』を歌唱する。
      司会の古手川祐子から「明菜さんも陽水さんに作っていただいた曲ありますよね」と聞かれ、「ええ、『飾りじゃないのよ涙は』」と古手川の腕に触れながら「よくカラオケで歌って下さってる曲です」と話すと、古手川が照れる。徳永も「明菜ちゃんの歌、よくカラオケで歌う。『スローモーション』とか」と話す。
      また、『歌姫』収録曲から『愛染橋』、『片想い』を歌唱する。
  • 沢田研二ショー(1983年4月10日、TBS)
  • レッツGOアイドル(1983年5月14日他、テレビ東京)
  • ザ・ベストヒット'83(1983年9月6日他、テレビ朝日)
  • ザ・ヒットステージ(1983年11月6日他、TBS)
    • 小堺一機から「綺麗好きだと聞いた」と言われ、「神経質なんです。絨毯の目に沿って綺麗に掃除機をかけた後、絨毯の目と反対に歩いて跡がつくと汚いと感じてしまう」と話す。
      また、テレビに自分が出てると、「『あー、またああいう顔してる。嫌な顔してるな』と思って見てる。悪気はないんです。ムッとしてるわけじゃなくて。6人兄妹であたしだけいつも静かで、一点を見つめてボーッとしてることが多かった」と話す。
  • 高島忠夫とヒット歌謡大全集(1984年、TBS)
  • Do-Up歌謡テレビ(1984年、テレビ朝日)
  • さんまのヒットマッチ(1985年5月5日他、テレビ朝日)
  • 歌のトップテン(1986年4月7日他、日本テレビ)
    • 1986年4月7日放送:初回放送に第1位『DESIRE』で出演。徳光和夫が、自身が司会をしたとしまえんでのデビューコンサートの話を振ると、「途中からすごい雨が降り出して。でも続けたくて、泣きながらお願いしたの覚えています」と話す。徳光が「中止になったのに30人ぐらいが雨の中待ってた。40分も。それを見て明菜ちゃんが『あたしは歌いたい。中止にしないでくれ』と。あの時にこの子はすごい歌手になるなと思った」と語る。
  • ヤングスタジオ101(1986年4月20日他、NHK総合テレビ)
    • 1986年4月20日放送:番組初回に出演。『LA BOHÈME』を歌唱。
    • 1986年9月7日放送:中森明菜特集の回。
      衣装は自ら裁縫して作り直しているという話をする。
      1984年12月放送のレッツゴーヤングで『Twist of Fate』を歌唱したVTRを観た後、小倉久寛からミニスカートだったことをいじられ、「ストッキングをね、松任谷由実さんからいただいたんですよ。『履かせていただいてます』というのをどこかで訴えたくて」と笑顔で語る。
      「歌手になってなかったら何になっていた」と問われ、「サービス業とか幼稚園の先生とか、この仕事をするようになってからはスタイリストとか。人のお世話をするのが好き」と語る。
      天宮良から「仕事上の将来の夢は」と問われ、「みんなの顔から幸せが溢れるような感じで仕事が進んでいけば」と答える。
      DREAMING』、『予感』、『ジプシー・クイーン』を歌唱する。
      番組の最後に、小倉が中森のために作ってきた詩を朗読すると、瞳を潤ませ、涙を拭う。
    • 1986年12月7日放送:『いっそセレナーデ』を歌唱。
    • 1987年4月19日放送:『危ないMON AMOUUR』を歌唱。
    • 1987年8月9日放送:『Fin』、『清教徒(アーミッシュ)』を歌唱。
  • ミュージックステーション(1986年10月24日他、テレビ朝日)
  • 歌謡びんびんハウス(1986年他、テレビ朝日)
    • 森下恵理がアシスタントの時代(1987年11月-1988年9月)、 スタークリニックのコーナーで、「私はFF雑誌が嫌いだ」と出題され、「FOCUSとかFRIDAY」と説明されると、間髪入れず「大っ嫌い」と「○」の札を挙げる。「あたし撮られたことありますよ。引っかけで。ホント罠で」と話し出す。「香港行ったときにわざと怒らせるんですよ、カメラマンの人が。ディスコで踊ってたら、わざと怒らせようとして踊りの邪魔をしながら至近距離でカメラを構える。最初は控えめに『ちょっとやめてください』と逃げてたけど、追いかけてきて顔の前にカメラを構えられる」と話す。司会の笑福亭鶴瓶が「そら誰でも怒るわ」と話し、水前寺清子松崎しげるも眉間にしわを寄せる。「もう怒って『帰る』と出て行ってもついてくる。連れの女性2人があまりにも怒って、カメラを手で防ごうとしたけど、背が低いからカメラマンが片手で女性の頭を抑えて、あたしを追いかけようと突き飛ばしちゃったの。お姉さん達転んじゃって、ちょうどあたしが『大丈夫かな』と振り返った時にその現場を見ちゃって。頭に血が上って『こんなろー』と腕を振り回してたら、写真撮られました」と笑いに変えて語る。「ちょっと前にマドンナが同じディスコで同じやり方をされ、その時は旦那さんが怒った」と話した。
    • 1987年1月4日放送:新春スペシャル。「明菜・鶴瓶のドレミファゴン」のコーナーで、司会を務める。
    • 1988年1月3日放送:新春スペシャル。「明菜・鶴瓶のドレミファボン」のコーナーで、司会を務める。1987、1988年の両年とも笑福亭鶴瓶から司会姿を温かくいじられる。
    • 1989年1月1日放送:新春スペシャル。「明菜★C-C-Bのバトルロイヤル」のコーナーで、司会を務める。
  • ザ・サンデー -THE SUNDAY-(1987年2月8日、フジテレビ)
    • 武田鉄矢が長女の名を冠した『菜見子』を、中森を隣に置いて歌唱する。間奏中の台詞で『菜』が付いている理由を語ると、中森が涙を溜め、武田の歌唱後に拭う。『TANGO NOIR』を歌唱する。
  • 華麗にAh!so(1988年4月1日他、テレビ朝日)
  • 歌のビッグファイト!(1989年、テレビ東京)
  • ヒットパレード90's(1991年5月3日他、フジテレビ)
  • 鶴瓶の音楽に乾杯!(1991年6月29日、東海テレビ
    • 最終回のゲスト。60分スペシャル(通常は30分)。
 笑福亭鶴瓶から兄妹の話を振られ、「長女のお姉ちゃんが本当に歌が上手くて、『お姉ちゃんは絶対に歌手になるもんだ。なって欲しい』と思っていたけど、お姉ちゃんにはそういう気が全くなかった。鼻と雰囲気が百恵さん。小さい頃からお姉ちゃんに憧れ、大きくなったらお姉ちゃんみたいになるんだと思って育ったから、最初にスター誕生!に百恵さんが出てきた時に『お姉ちゃんそっくり』と思って、百恵さんを好きになった」と語る。
 小さい頃から病弱だったという話では、「『お前のせいで、また行けなかった』、『お前が風邪引いたから』といつも言われ、私はいつも申し訳ないことをしている、迷惑をかけていると思いながら育った。だから目立つようにいい子になろうとした」と話す。鶴瓶が「なるほど、いらん子やから変なことしたら怒られる。親を見て『こうしたら喜んでもらえる』と工夫してたわけや」と話すと、「そう」と頷く。「だから、ニンジン大嫌いで、兄妹6人全員が嫌いでも、1人だけ我慢して『美味しいね』と言って食べるの。そうすると『明菜だけは好き嫌いなくていい子だね』って褒められる」と話す。鶴瓶が「可愛がられるためにはなんでも食うたろってやつやな。僕も人の親になったからわかる。6人も子供がいたら、みんな可愛いけど正直順番に度合いがありますよ」と語る。「病気してると、最初はみんな優しいんですよ。兄妹が『明菜可哀想にね』って早めに学校から帰ってくれたりするんですよ。でも、そのうちうんざりして『まだ熱下がんないの』って。家族でプールに行っても『明菜はすぐに唇が紫になるんだから入んなくていい』、旅行に行っても1人だけバスタオル掛けられてシュンとしてる写真ばかり。だから普段から冷めてる。家族でテレビ見てても、1人だけ端っこで膝を抱えて座るのが好きで。みんなを観察しているのが好きだった」と語る。「そういう子だったのなら、この世界に入るのみんなびっくりしたんでは?」と問われ、「長女のお姉ちゃんの次にあたしは歌が上手いと言われていて、お正月とか親戚の前で箸を持って歌わされていた。普段目立たないから目立つ場を作ってあげようという親心だったのかもしれない。その頃は麻丘めぐみさんとか歌っていた」と話す。
 スター誕生!を受けた話では、「本選に初めて出たときは、岩崎宏美さんの『夏に抱かれて』を歌って、『ちょっと大人っぽい歌を選んじゃったね』と言われ、次は可愛いのにしようと聖子さんの『夏の扉』を歌ったら、松田トシ先生に『童謡歌いなさい』と言われて落ちた。何度も出てると、スタッフさんが『また来いよ』と言ってくれて楽しかった」と話す。「親が『子供も多いし大きな家に住みたいね』、『車がポンコツになってきたから新しいの買いたいね』と話しているのを聞いて、『あたしが歌手になったら、大きなお家建ててあげるからね』、『あたしが車買ってあげるからね』って言ってた」と話すと、鶴瓶が「そりゃ嫌なニンジン食べるぐらいやから、それで好かれよう思うわな」と話す。「そう。(家族のために)お金持ちになるためにタレントになろうとは思いましたけど、自分の歌が好きだから歌手になろうというのはなかった。だから楽しいスタ誕に出て歌手になれたら一石二鳥と考えていた」と語る。
 スター誕生!に合格した話では、「落ちた時はいつも一生懸命練習してから受けていた。合格した時は不意に呼ばれたので全く準備をしていなかった。何を歌うかさえ決まっていず、一次予選の会場で順番待ちの間に月刊『明星』の歌本から、自分の声に合う『夢先案内人』を選んで歌ったら通った。二次予選では『SEPTEMBER』を歌って通った。(テレビに映る)本選の1曲目も『SEPTEMBER』で通り喜んだ。今回は練習もしてないから受かるとは思っていず開き直っていて、『長くテレビに出ていられる。2曲目も歌える』と思い、すでに満足しきっていた。クラシック・バレエの先生から『緊張するときは正面にある東西南北の文字を見つめなさい』と教わっていたので落ちた時はそうしていたが、その時はそんなに緊張していなくて、お客さんの顔を見ることもでき、歌いながら歌の中の景色を目で追うことができた。審査員の先生から、そこを褒めていただけた。電光掲示板に審査員1人ずつの点数が表示され、合計がどんどん高くなっていき、最後に99点[注釈 10]が表示されて、涙がボロボロと出てきた」と語る。
 スター誕生!合格後、大本恭敬からレッスンを受けた話では、「レッスンは厳しかったが、レッスン以外では優しい先生だった。『お前は頭が低いのがいいところだ。絶対に天狗になるな』と言われ、『何年経っても変わらない自分でいますから絶対に大丈夫ですよ』と話していた。1年前に偶然お会いすることができて、涙もろいからボロボロ泣いちゃって」と話す。鶴瓶が「自分の根本を知ってくれてる人。分かってくれてる人やから嬉しかったと思う」と話すと、涙を浮かべ、「デビューの時から週刊誌とかに未だに悪く言われ、前までは弱くて『どうして分かってくれないんだろ』と嫌な方にばっかり考えていたけど、最近は『分かってくれる人が1人でもいるということは幸せなことなんだ』と思うようになった」と語る。鶴瓶が「人間って弱いからね。自分が同じ事をされるとどんだけモヤモヤし、どんだけ違うって言いたいやろなと思う。俺やったら泣き叫ぶと思う」と話すと、落涙する。中森が歌のコーナーの準備で鶴瓶1人になると、泣き顔で「マスコミって本当に狂ってますよね。同じこの世界に生きながら、同じ弱い人間でありながら、いろんな違った報道をするっていうのは、僕は間違っていると思います。明菜さん、生きてて良かったなと思います」と落涙する。
  • G-STAGE(1991年、フジテレビ)
  • MJ -MUSIC JOURNAL-(1992年12月9日他、フジテレビ)
  • 夜も一生けんめい。(1993年他、日本テレビ)
  • ふたりのビッグショー(1994年5月9日、NHK総合)
  • HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP(1994年10月17日他、フジテレビ)
    • 1994年10月17日放送:番組初回の最初のゲストとして出演。
    • 2005年1月24日:「スター誕生!は、テレビに映らない予選で4回ぐらい落ちている。本選でも2回落ちているので、7回目ぐらいで合格した」と語る。
    • 2005年2月14日放送:松本人志・中森チームvs浜田雅功松田聖子チームでボウリング対決。89対73で勝利する。罰ゲームの準備中、松田がアフロヘアーのカツラを試しに被ると、「(先輩の)聖子さんやって、私やらないわけにはいかない」と自らモヒカンヘアーのカツラを被る。
    • 2006年7月31日放送:「デビュー25周年企画!!スタッフ懇願! 明菜さんココだけは直して下さい!!」と題して、以下のエピソードを話す。
      1. 「いい加減携帯を持って下さい!!」[注釈 11]
      2. 「時間に厳しすぎです!!」。時間に厳しすぎで、1分の遅刻でも落ち込む。
      3. 「ワックスをかけすぎです!!」。掃除好きで、チリひとつ残さず掃除した後にワックスをかけられた床は、靴下を履いていると滑って歩けない。
      4. 「そろそろ財布を持って下さい!!」[注釈 11]
  • FAN(1995年7月14日他、日本テレビ)
    • 中森のデビュー当時、4歳だった安室奈美恵が「テレビで明菜さんの曲がかかってると1人で真似して踊ってたらしいです。今日すごく緊張してます私。小さい頃にテレビで『わー、すごーい』と見てた方と隣でお話しして」と話すと、マルシアが「私なんて、ブラジルからビデオで見てた私が『なんでこんなそばにいられるの』という心境。本当に幸せ。『ロマンティックな夜だわ』が大好きで、1テープにそれだけ繰り返して入れて、車の中で聴いていたぐらい好きな曲」と話す。歌のコーナーでは、3人で『DESIRE』を歌唱する。
  • ポップジャム(1995年11月17日他、NHK総合)
    • 『DESIRE』、『飾りじゃないのよ涙は』を歌唱。「今日、一緒に出る歌手の皆さんがすごい人ばかり」と話すと、司会の森口博子が「明菜さんだってすごいじゃないですか。気付いてました?『ハーどっこい』。もう1度再現しちゃおうかしら」と、中森に合図させるとNHKホールに「ハーどっこい」が響き渡り、歓喜雀躍する。「きっとみんな、私なんかより他の方の出番を待ってるから」と話すと、森口が「みんな、明菜さん待ってたよね」と聞き、大きな拍手と歓声があがる。「どうしてポップジャムのお客様ってこんなにみんな温かいの」と感動し、続けてロカビリーバンド『MAGIC』とともに『Tokyo Rose』を歌唱する。
  • アイドルオンステージ(1996年2月4日、NHK BS2
  • TOP music(1996年5月5日他、NHK総合)
  • P-STOCK(1996年、フジテレビ)
  • THE夜もヒッパレ(1996年8月10日他、日本テレビ)
  • 速報!歌の大辞テン(複数回出演、日本テレビ)
    • 2003年11月放送:昭和57年(1982年)11月の1位『セカンド・ラブ』と紹介されて、「すごい好きでした。デビュー曲の『スローモーション』の頃、周りは可愛らしいアイドルらしい歌を歌われてたので、すごく地味に感じた。そしたら次は『少女A』で生意気だって週刊誌にもずっと言われちゃって。でも(プロとして)歌わなくちゃいけないし。すごい大嫌いだったんですよ『少女A』が[注釈 12]。『こういうのがいいと思わなくちゃいけないんだ』と思ってたら、『セカンド・ラブ』が来たんで、すごく嬉しくて。だから思い入れが強いです」と語る。
      また、『野ばらのエチュード』が紹介されると、「私、(聖子さんの)シングル全部持ってます」と話す。
    • 放送日不明:昭和61年(1986年)3月の5位『DESIRE』と紹介され、「振りのところに入る『ハ~ッどっこい!』という掛け声は全然嫌とかじゃなくて、その掛け声で振りができるので、私が歌う限りずっと続けて欲しい」と話す。
    • 2005年放送:スター誕生!決戦大会の映像を見た後、「まだ前歯が一本出てる。私、あの歯好きで自慢してたんです。事務所入った途端に『歯なおしましょうね』と言われ、『なおさなきゃ、やっぱりダメなんですかね』と聞くと『アイドルだからね!』と言われた」と話す。
  • FUN(1999年3月5日、2002年6月7日、2003年5月16日他、日本テレビ)
    • 2002年6月7日放送:お互い掃除好きの今田耕司と、消しゴムで水垢を落とす話で盛り上がる。
      藤原紀香が「青春時代のマイアイドルが明菜さん」と話すと、「私は紀香さんの大ファンで、出てらっしゃる番組はできるだけ見てる」と語る。
      熱狂的ファンの女性が、「小学校3年生の時に中野サンプラザファースト・コンサートを見に行きました。それがきっかけで明菜ちゃんのことがすごい好きになって、どうしても同じ場所で結婚式をやりたくて」と話すと、涙ぐみ、中野サンプラザでの結婚式のVTRが流れると、涙を溜めながら嬉しそうに拍手する。
      親衛隊の女性が、大勢のファンとともに『北ウイング』のコールを披露し、当時のコール表[注釈 13]を見せると、「わー、すごい。『だいすきあきなレッツゴー』だって。ああ…こういうふうに考えてくれるんだ。いやー、嬉しいな」と拭っても拭ってもとめどなく溢れてくる涙をポロポロとこぼす。
  • MUSIX!(2001年11月18日、2002年5月21日、テレビ東京)
  • MUSIC FAIR 21(2002年4月6日、2006年1月14日、フジテレビ)
  • ayu ready?(2002年12月7日、フジテレビ)
    • 浜崎あゆみが「明菜さんの歌はお芝居みたい。歌ってるときに起承転結があるっていうか。それがすっごい素敵」と話し、「良かった。やってきて…」としみじみと答える。また「大人っぽい」と言われ、「大人っぽいというか暗かった。『8時だョ!全員集合』とかでコントをやって、『こういうことすれば笑ってくれるんだ。こうやればうけるんだ』と一生懸命やってるうちに明るくなってきた」と話す。ライブコーナーでは、生演奏をバックに2人で『DESIRE -情熱-』、『少女A』を歌唱する。
    • 2002年12月28日に放送された未公開トークでは、浜崎が「中学生の時に明菜さんのヘアスタイルを真似していた」という話をし、「あたし全部自分でカットするの。染めるのも全部自分でやるの」という話をする。また、「あたしが明菜さんに憧れていたように、明菜さんが憧れてた方っていらっしゃるんですか?」と聞かれ、「百恵さんとか好きだった。歌の勉強は岩崎宏美さんのアルバムやカラオケでしていた」と語る。
  • SONGS(2009年8月12日、19日、2014年11月15日、NHK総合)
    • 2009年8月12日放送:第102回 中森明菜・歌姫スペシャル 第1夜カバー・アルバム『フォーク・ソング2 〜歌姫哀翔歌』のレコーディングに密着した番組。
      カバーを歌う際に気をつけていることは、「オリジナルは昔から聴いて頭に入っているので、なるべく聴かないようにします。モノマネのようになってしまってはいけないので」と語る。
      同じ年に生まれた尾崎豊I LOVE YOU』のレコーディングでは、4回のリハーサルで徐々に歌の世界に心を重ねていき、涙を溜めながら「ダメ、この歌、涙が出てきちゃって。これキツいなぁ。こんな哀しかった…」と呟く。本番でもこぼれ落ちそうな涙を溜めながら熱唱する。
      また、「ここだけすみません」と親しみを込めて愛称で「『ユーミン』のは中学の時から全アルバムを持っていた」と話す。
    • 2009年8月19日放送:第103回 中森明菜・歌姫スペシャル 第2夜
      同行したNHKスタッフから「今日は何かもう召し上がったんですか」と問われ、「私は、お腹に何も入っていない方が声の質が良いので、食べないんですよ。(その日のレコーディングが)終わるまでは」とストイックな一面を見せる。
      海外でレコーディングする理由は、「日本だと帰宅すると気持ちがOFFに切り替わってしまう。レコーディング期間中は日常生活を切り離して、一連のムード、世界をキープしておきたい」と語る。
      また、デビューから27年、「性格や考え方等、何も変わってない。いただいたお仕事をやると決めたら最後までちゃんとこなす。みんなに喜んでもらえるものに仕上げる」と話す。「『これでいいんだろうか』、『みんな喜んでくれるかな』、『これ好きかな』と不安で仕方がない。喜んでもらえるようにどんどん自分にプレッシャーをかける。ましてや生のステージだと、『こういう衣装で喜んでくれるか』、『この歌のセレクトでみんな満足か』、キリがないけど『1人でも不満を抱く人がいないように』、『1人でも多くの人が来て良かったと思うように』と考えてると楽しんでいられないんですよ。必死すぎちゃって。衣装や表情、顔の向き。全てを考えてると楽しいとは絶対に思えないんですよ。ファンの笑顔と『良かったよ』という声を聞くと『頑張って良かった』と本当に思う」と語る。
      「若い頃は24時間どっぷり仕事のことを考えていて、それでも良かったんですけど、今は抜け出したいと思う時間が出てくるようになった。海外だから、プライベートで外を歩いていても『ここ撮影にいいな』とか考えてしまって、『ボーッとできる時間がないの?』と自分に問うようになってきた」と話す。
      また、体力作りについては、「家に器具をたくさん置いて、半日ぐらいトレーニングしてます」と話す。
    • 2014年11月15日放送:第320回 「中森明菜~歌姫伝説」
  • プレミアム8 SONGSプレミアム(2009年12月18日、NHK BShi
    • 第12回 歌姫スペシャル。上記「SONGS 中森明菜・歌姫スペシャル第1夜、第2夜」を再構成した番組。
  • SONGSスペシャル 「中森明菜 歌姫復活」(2015年1月9日、NHK総合)
    • 前年(2014年)秋からのロサンゼルスでのレコーディングと紅白歌合戦出場の舞台裏に密着した番組。
      「海外は好きなんですか?」と問われ、「好きですね。日本だとマスコミとか人目があり、外に出るのもままならないので。スタッフも居心地が良くスムーズに仕事が進む。それプラス、イメージが合えば、ジャケットもビデオも撮れる、レコーディングもできる。次のアルバムのための仕事もできる。1つの仕事だけのために海外だと莫大な費用がかかるから、しない。最低でも3、4ぐらいの仕事が入らないと海外に渡らないです」と答える。
      「仕事の仕方がアーティストというよりプロデューサー的」と言われ、「おもいっきりバックサイドです」と答える。「歌ったり、こうして取材対応させていただいている時は、うちのスタッフもタレントとして接して下さるけど、バックサイドの仕事をしている時はスタッフの一員です。みんなもそういうふうに接してくれます」と話す。
      この番組の歌収録のための衣装探しに、自ら店に足を運び、帽子や靴を探す。「自分が歌うシーンを一切妥協せずに自らプロデュースし演出する。この姿勢を10代の頃から貫いてきた」とナレーションが入る。
      「必死なんですよ常に。次から次って。とにかくみんなを喜ばせたい。びっくりさせたい。飽きさせない。『好きだけど、また同じ』ってのが嫌なんです。『全然違うけど、これも好き』って思ってもらいたくて。可能な限り自分を変えて、歌い方も変えて、まるで違う歌手が出てきたかのように『新しい中森明菜』を見てもらいたい。その代わり失敗だった時は『みんながっかりしただろうな』と激しく落ち込む」と語る。
      「今のコンディションは?」と問われ、「おかげさまで今は大丈夫です。仕事がかなりハードなので、これが終わったら一気に来ちゃうかもしれないですけど」と答える。「(休養期間中は)いくら気持ちが急いてても体がついてこないので。体は無理だったけど気持ちはずっとありました」と話す。
      カバーについては、「個性がないと。誰が歌っても同じ歌になってしまったらカバーをさせていただく意味がないので。『ああ、中森っぽいね』と思ってもらえたらなって。『オリジナルもカバーもどっちもいいね』って思ってもらえたら私は最高です」と笑顔で語る。
      ナレーターが「明菜の歌の力を再確認したスタッフが紅白歌合戦での復活のシナリオを提案。長い交渉の末、音楽制作を優先させたかった明菜は『アメリカのレコーディングスタジオから生中継を出せるのなら』とギリギリになって出演を承諾しました。歌うのは『Rojo -Tierra-』。Rojoとはスペイン語で『赤』、Tierraは『大地』。弱肉強食の世界を生き抜く、燃えるような生命の輝きが歌われています。『一生懸命に生きている人たちへポジティブなメッセージを伝えたい』と明菜自身が選びました」と語る。「私を支えて下さってるファンの皆さんを喜ばせたいという本当に一心の気持ち。画面の向こうで見てくれてる皆さんが、日々、大変だったり、体がしんどかったり、仕事がしんどかったり、精神的にしんどかったり、悲しいことがあったり。私のお歌を聴いたり、姿を見ることで、ほんの少しでもいいから支えになれたり、勇気になれたら。喜びに変えていただけたらな」と瞳を潤ませながら語る。
      生中継の歌唱後、「緊張しちゃって、手もガチガチになっちゃって」と笑顔で話す。

音楽(コンサート)番組

旅番組

紀行番組

  • 日曜スペシャル中森明菜ゼロからのスタート情熱の国インスペイン」(2002年5月26日、日本テレビ)
    • 京本政樹から「歌を休んでた時期があったのは何故」と聞かれ、「休んでたんじゃなくて、騙されて借金がかさんで仕事ができなくなってた」と答える。「道が塞がれても足踏みを続けることはできる。(インディーズという)道があったからそこに進んだ。みんなのために歌ってるから。みんなが喜んでくれる状況にさえなればいい」と語る。
      目前に控えたコンサート(MUSICA FIESTA TOUR 2002)の話では、「コンサート前って一番ダメなの。構成とか全部自分で考えるんだけど、もうアイディア出てこなくて、どうしていいか分かんないの。勝手に悪い方に考えて悲しくなっちゃったり。『そんなのできないよ』ってなっちゃう」と話すと、鈴木紗理奈が「真面目やから、そうなるんやろうな」と話すと、落涙する。「ファンを喜ばせるために100できることがあれば100%やらないと。それが98%でも、私の中では許されない」と完璧主義の一面を見せる。
      中森が結婚願望と子供が欲しいという話をすると、鈴木が「結婚して欲しいです、明菜さんは。明菜さんの優しさを分かってくれてる人、守ってくれる人が常にそばにいた方がいい」と話すと、震え声で「そんな優しいこと言ったらダメよ」とハンカチで両目を押さえる。
      子供の頃の夢の話では、「近所の子や妹の面倒を見るのが好きだった。毎日してても全然苦じゃなかった。その頃から『みんなの面倒見ることができたらいいな』と漠然と思っていた」と語る。
  • 中森明菜のタスマニア紀行(2009年3月28日、TBSチャンネル

情報番組

  • JanJanサタデー(1982年6月19日、静岡第一テレビ
  • おはよう朝日です(1982年7月、朝日放送テレビ)
    • 右目が腫れたからと眼鏡をかけて『スローモーション』を歌唱。
  • モーニングサラダ(1982年他、日本テレビ)
  • おはようスタジオ(1983年、テレビ東京)
  • AXEL(1994年10月29日、1995年7月15日、テレビ朝日)
  • スーパーモーニング(1998年6月4日、テレビ朝日)
    • 独占インタビューの中で、「デビュー当時、地方を何百カ所と回って体力勝負で、ただでさえ体が弱いから『食べなきゃ』と、駅で新幹線を待つ間にきつねうどんを2杯とか食べた。どんどん太って、最高で58kgありました。疲れとかいろいろで胃潰瘍になって酷い状況になった時にいきなり7、8kg落ちた」と話す[注釈 14]
      結婚については、「もし幸せになれる日が来るとして、旦那さんが『素敵なファンのためにも仕事を続けるべきだ』と言えば続けると思うし、『君はあっちもこっちもできる性格じゃないし、それこそファンの方がそのことを分かってると思うから、仕事はやめなさい』と言えばやめると思う」と話す[注釈 15]
      インタビュアーのみといせい子が「明菜さんも『ワイドショーでゆっくりこんなに話すの初めてなんじゃないかしら』っておっしゃってました。ファンがとても心配してくれて、同世代のファンが結婚して、『明菜ちゃんも早く幸せになって』というファンレターがすごく多いと。そこで、『こういう気持ちで仕事してるんですよ』とちゃんと言いたかったんだと思う。健康面についても『私は胃潰瘍を持っている。精神的に崩れそうになったり疲れたりするとキリキリ痛むけど、自分で分かっているからコントロールできる』ということをファンに伝えたかったんだと思う」と話す。
  • ベストタイム(2002年7月3日、TBS)
  • 情報プレゼンター とくダネ!(2002年12月10日、フジテレビ)
    • 独占インタビューで、「90年代はどうでしたか」と問われ、「ファンや周りを喜ばせたいのに心配かけて、『どうしたら喜んでもらえるだろう、心配かけないですむだろう』とか、『顔を見せればみんなが安心してくれるのか』とか、そういうことしか考えてなかったですね。何かがあった時は」と話す。「『みんなが喜んでくれるから』というと聞こえがいいような気がするんですけど、違うんです。本当に自分のためなんです。みんなが楽しそうにしてることが一番、どんなことよりも自分が楽しいんです」と語る。
      「20年で変わったことは」と問われ、「恋愛観については少し変わったかもしれない。『あまり一途になっちゃいけない、尽くし過ぎちゃいけない』というのが分かった。『相手にとっては息が詰まる』という話を聞いて」と話した。
  • エンタメキャッチ(2005年5月14日、28日、6月18日、2006年3月18日、25日、6月17日、7月29日、TBS)
  • ズームインSUPER(2006年4月12日、日本テレビ)
  • めざましどようび(2007年1月20日、フジテレビ)
  • 2時っチャオ!(2007年1月24日、TBS)
    • 恵俊彰から、ケータイ嫌いで持っていないという話題を振られ、「電話は相手の姿が見えないから嫌いなんです。でも、最近は顔を見ながら話せるらしいから、ちょっと考え直そうかなと思ってる。顔が見えないと、今電話して良かったのか悪かったのか声だけだと分からない。無理させてるかもしれない、そろそろ切りたいのに切れないとか、察することができないから」と話す。また、「財布を持たなくなったのは、1人で出かけなくなったから。嫌なことがちょくちょくあって」と話す。
      ファンからいただいたありがたいプレゼントの話では、「最新の炊飯器をいただいて。使いこなして感想を伝えるのが恩返しだと思ってるから、一気に20回ぐらい使った。毎回いろんな物を炊いて。1人じゃ食べきれないから、その都度スタッフに振る舞った。皆が太鼓判を押してくれたのはアワビご飯」と話す。
  • ラジかるッ(2007年1月29日、日本テレビ)
  • お願い!ランキング(2010年10月28日、テレビ朝日)

その他特別番組

CM

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1983年(昭和58年)/第34回 禁区 11/21 近藤真彦
1984年(昭和59年)/第35回 2 十戒 (1984) 07/20 近藤真彦(2)
1985年(昭和60年)/第36回 3 ミ・アモーレ〔Meu amor é...〕 07/20 田原俊彦
1986年(昭和61年)/第37回 4 DESIRE -情熱- 06/20 沢田研二
1987年(昭和62年)/第38回 5 難破船 04/20 チェッカーズ
1988年(昭和63年)/第39回 6 I MISSED "THE SHOCK" 04/21 近藤真彦(3)
2002年(平成14年)/第53回 7 飾りじゃないのよ涙は 20/27 平井堅
2014年(平成26年)/第65回 8 Rojo -Tierra- - - 特別ゲストとしての出演

映画

ラジオ

レギュラー番組

特別番組

  • ホリデースペシャル 中森明菜フルタイムコレクション(1990年8月26日、ニッポン放送
  • セイ!ヤング21スペシャル(2002年2月16日、文化放送)  他

web

  • Music@nifty(2001年5月30日) - デビュー20周年を迎えてのインタビュー動画に出演[1]
    • 「20年を振り返ってみて、まず思うことはなんでしょうか?」と聞かれ、「人がいいのはほどほどに」と答える。「自分の仕事に集中すると周りが見えなくなる。『人を見る目を養って土台をしっかり作らないといけない』と、20年ではないですけど、ここ5、6年で思った」と話す。
    • 「デビューの頃から変わったと思われますか?」と問われ、「本当に何も変わってない。考え方とか。持って生まれた性格、悪く言えば『頑固』、良く言えば『頑張り屋』なところとか。信念、『妥協が好きじゃない』、『自分の気持ちに嘘をつかない』というところは昔から変わらない」と答える。
    • 「思い出の曲は?」と問われ、「全ての曲に思い出があるので困っちゃいますけど、思い出す場面で言うと、大きな賞をいただいた『ミ・アモーレ』とか『DESIRE』とか。賞をいただいた時、(間奏中に)母親がステージに上がってきて、その場面が目に焼き付いていて。思い出しただけでも涙が出てきそうになる」と瞳を潤ませる。「母親がニコニコして階段上がってくる場面ばかりで、何を歌っていたか思い出せない[注釈 16]。いつもは『みんなが見たいと思ってる格好いい中森明菜を見せなくちゃ』と頑張ってるけど、あの瞬間は素になって、子供に戻ってしまった。お母ちゃんのそばにいたいと思った。歌わなくちゃいけないのに歌になってなかった。でも、うちの母親は怖いので、あの瞬間は母親の娘になっていたから、『ちゃんと歌わないとお母ちゃんに怒られる』と思ったことが記憶にある」と語る。
    • デビュー曲のエピソードでは、「候補に残った6~8曲ぐらいを歌って会議にかけてもらった。それとは別に母校の中学校に頼んでアンケートを採ってもらったら、『Tシャツ・サンセット』という曲が1位だった。『スローモーション』は、うちの家族もレコード会社でも2位だった」と話す。
    • 「『少女A』は嫌いだった、ずっと。今でも好きじゃない。すごく生意気だったんですけど、プロデューサーに『この曲はあたしに合ってないと思います。この曲は嫌です』と言った」と話す。「あたしはツッパリ系みたいに言われてたんですけど、うちの家族、兄妹の中であたしだけはいい子だった[注釈 17]。嘘じゃなくてホントなんですよ」と力説する。「だからレコーディングの時も『もっと生意気っぽく、捨て台詞っぽく歌え』って言われたけど『できません』とずっと言ってた。『そうじゃないとこの歌の良さが出ないから』、『目をつぶって聴いて、'睨まれている'という感じを出して』と何度もダメ出しされて歌い方を直された」と語る。
    • 目前に控えたコンサート・ツアー『ALL ABOUT AKINA 20th Anniversary IT'S BRAND NEW DAY』の話では、「ステージに立たせていただくときは、毎回事前のアンケートからピックアップして曲を決める」と話す。「『少女A』は入るんですか?」と聞かれ、「どうでしょうね。かなり本人に嫌われてるみたいなので」と笑って誤魔化す。「ライブは最初は嫌で仕方ない。自分で自分にプレッシャーかける人なので。本当に泣きたくなるぐらい嫌。あがってしまって。1、2曲歌い終えるまでガタガタ震える。ファンの表情を見て『大丈夫だ』と思えるとほっと安心する」と話す。

その他

参考文献

脚注

  1. ^ デビュー20周年を迎えてのインタビュー”. Music@nifty. ニフティ (2001年5月30日). 2003年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月16日閲覧。

注釈

  1. ^ 小室哲哉プロデュースのオーディションコーナー
  2. ^ 後にシングル化された
  3. ^ 桑田佳祐が即興で作曲した『見てちょんまげ』の曲。正式な曲名不明
  4. ^ 歌謡びんびんハウス
  5. ^ 本木雅弘三浦洋一によるトーク番組
  6. ^ 大本恭敬
  7. ^ 甦る昭和の歌姫伝説3(TBS)にて以下のように字幕表示されている一方、
    「ヤンヤン 新人アイドルを見る会」 昭和57年2月23日放送 映像提供:テレビ東京

    ヤンヤン歌うスタジオ(テレビ東京)450回記念では、

    昭和57年2月23日収録 テレビ東京主催「新人を見つめる会」より

    同番組の同窓会では、

    「新人を見つめる会」より 昭和57年2月23日収録

    と字幕表示されている(昭和57年=1982年)。
    また、50年のモヤモヤ映像大放出! この手の番組初めてやりますSP(テレビ東京)では、カメラテスト映像として紹介している。

  8. ^ 飾りじゃないのよ涙は』を作詞、作曲
  9. ^ サザン・ウインド』を作曲
  10. ^ 中村泰士がつけた表示上の最高得点。中村は『本当は100点入れた』と直後に語っている
  11. ^ a b 詳細は手ぶら参照
  12. ^ 詳細は『少女A』が嫌い『少女A』の功罪参照
  13. ^ 歌詞の合間にコールを書き込んだもの
  14. ^ もう少し詳しい話は体重の推移参照
  15. ^ 旦那さんに従うという話は、ABCラジオ青春キャンパス』(パーソナリティ:板東英二長江健次。1983年放送)でも語っている
  16. ^ 第27回日本レコード大賞授賞時の『ミ・アモーレ』
  17. ^ もう少し詳しい話はいい子だった参照