長井時広について

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はじめまして、Tourisu-garinと申します。

長井時広の記事について出典の追加ありがとうございました。 記事中で享年98歳とありましたが、時広の父大江広元の生年よりも前に生まれた事になり不自然さを感じます。近世防長諸家系図綜覧を確認できないので何とも言えませんが、今一度ご確認いただければ幸いです。--Tourisu-garin会話2017年3月25日 (土) 14:30 (UTC)返信

  返信 Tourisu-garinさん、はじめまして。Dong1jin4です。
長井時広ページのこちらの版についてのご指摘ありがとうございます。ノート:長井時広でお返事するべきかもしれませんが、話題の移行の仕方が分からないのでこのページでつづきをさせていただきます。ノートページを利用するのは数回目で慣れないこともあり、おかしな内容がありましたらご容赦くださいませ。以下にTourisu-garinさんのコメントを引用させていただきながらご返信させていただきます。
1.

記事中で享年98歳とありましたが、時広の父大江広元の生年よりも前に生まれた事になり不自然さを感じます。
— User:Tourisu-garin

  賛成 — はい、確かに私が「享年98歳」を付け加えました。ご指摘いただいてから、大江広元のページにある基礎情報武士テンプレートの「生誕 久安4年(1148年)」を確認しました。長井時広の死没年が「仁治2年5月28日(1241年7月8日)」であり、満年齢換算をせずに単純に「1241−98=1143」「1148>1143」となります。つまり、おっしゃるとおり「父大江広元の生年よりも前に生まれた事」になります。この点私も矛盾を感じます。
2.

近世防長諸家系図綜覧を確認できないので何とも言えませんが、今一度ご確認いただければ幸いです
— User:Tourisu-garin

  確認した結果 — 掲載箇所を確認いたしました。以下に当該箇所を引用いたします。
長井時広 蔵人 左衛門尉 右近将監 従五位上 関東評定衆 長井氏祖 号長井入道斉阿 仁治二年辛丑五月廿八日卒年九十八〔ママ
—『近世防長諸家系図綜覧』 、マツノ書店、1980年、復刻版。5ページ、「一 本家萩毛利家」(※改行は空白に置き換え)
またこの長井時広と同じページに大江広元の記述もあります。以下、大江広元、左の脇書を引用。
久安四年戌辰生 嘉暦元年乙酉六月十日卒年七十八〔ママ
—『近世防長諸家系図綜覧』 、マツノ書店、1980年、復刻版。5ページ、「一 本家萩毛利家」
以上参考文献の確認をいたしましたが、「98歳」が私の読み間違いということはないように思えます。以上でTourisu-garinさんが追加された話題についての回答をひとまず終わらせていただければと存じます。よろしくお願いします。
  情報 — 『近世防長諸家系図綜覧』は「山口県文書館に収蔵されている毛利家文庫の系譜類・巨室類・譜録類等に現存する諸系図を底本」としているそうですが、「一 本家萩毛利家」の部分は、以下リストが出典元のようです。
  • 大江氏系譜草稿【底本】
  • 大江姓系譜 上・下
  • 毛利家系譜 1から2
  • 元就公以下御略系
  • 稿本『もりのしげり』、時山弥八編、大正5年刊行
  • 増補訂正『もりのしげり』、昭和7年再版
以上--Dong1jin4会話2017年3月26日 (日) 13:03 (UTC)返信
  返信 ご丁寧に返信いただきまして、大変ありがとうございます。お調べいただいた知見を記事に反映できるといいのですが・・・。出典元の方を確認してみたいと思います。本当にありがとうございました。--Tourisu-garin会話2017年4月2日 (日) 14:56 (UTC)返信

小早川隆景について

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小早川隆景について、小早川隆景のノートで出典のある記述をなぜ削除したのか理由を説明をしました。もし私の書き込みが相応しくないのであれば元の状態に戻されても文句等は一切申しませんのでよろしくお願いします。--2400:402E:8883:3300:1447:5E9E:CC02:4EC5 2017年6月13日 (火) 06:32 (UTC)返信

  返信 早速のノート:小早川隆景への入力と、こちらへのお知らせをありがとうございました。編集の意図を理解することができました。私は当該文献について読んだことがありませんので、この件に関しましては他の人のご意見をお待ちしたいと思います。--Dong1jin4 2017年6月14日 (水) 11:40 (UTC)返信

編集について

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ご自身で調査もせずに多くのページにおいてテンプレートや要出典など書き込まれておるようですが、なぜ歴史の日本の姓のみに特筆してそような行為をおこなっておられるのでしょうか?あなたは必要正義のような編集をなされていると思っておられるのでしょうが出典が書いてある場合ご自身でページをしらべて加筆なされてはいかがでしょうか?むやみにテンプレートを貼り、それを取り消せないように二段階編集されてとても記事を良くしようという感じはせず、ウィキペディアの開かれた編集を阻害しているように感じましたのでご忠告申し上げます。もう少し色々な見地をもち多種多様なジャンルに目を向け他人任せではなくご自身で記事を良くするよう加筆して頂くことを切に願います。--Hellowproject会話2017年7月18日 (火) 17:34 (UTC)返信

Hellowprojectさんはじめまして。こんにちは、Dong1jin4と申します。
小生の編集についてご意見くださりありがとうございます。Hellowprojectさんには必要ないかと存じますが、誤解を避けるため以下にHellowprojectさんの記述された内容を引用しながら返信させて頂きます。どうぞ寛恕してお付き合いくださいませ。

ご自身で調査もせずに多くのページにおいてテンプレートや要出典など書き込まれておるようですが
— User:Hellowproject

  賛成 はい、確かにWikipedia:Template メッセージの一覧/問題のある記事からテンプレートを問題のある記事に貼り付けています。
  保留 たとえば、利用者ページを除くと小生の1610件の投稿記録中、30%に当たる483件で出典の明記テンプレートを貼り付けています。この数が「多くのページにおいて」当たるかどうかは、他の人との比較ができず、また管見では指針となる基準も見当たりません。Hellowprojectさんの感想ですので、肯定も否定も控えさせて頂きます。

なぜ歴史の日本の姓のみに特筆してそような行為をおこなっておられるのでしょうか?
— User:Hellowproject

  保留 たとえば、日本の氏族の項目うち、出典の明記テンプレートを貼り付けたものは投稿の14.7%に当たる236件でした。もちろん他のテンプレートを貼り付けた項目も含めると、もっと多くなると思います。この件数が「特筆」するかどうかはHellowprojectさんの感想ですので、肯定も否定も控えさせて頂きます。
  理由 日本の氏族に属する項目をなぜ編集するのかというご質問でしたら、『関心があるから』という理由です。関心が別の分野へ向けばそちらを編集するようになるでしょう。

あなたは必要正義のような編集をなされていると思っておられるのでしょうが
— User:Hellowproject

  保留 「必要正義」という言葉がどういう意味なのか、あるいはウィキペディアの方針、ガイドライン、私論の具体的に何・いずれかを指すのか分かりませんので、肯定も否定も保留させて頂きます。Hellowprojectさんもそうであるように、ただただWikipedia:方針とガイドラインに従った編集をしたいと願っております。

出典が書いてある場合ご自身でページをしらべて加筆なされてはいかがでしょうか?
— User:Hellowproject

  条件付賛成 はい、既存の出典を調べることには大いに賛成いたします。さらに、小生の編集では確かに出典を調べず、要ページ番号テンプレートやページ番号テンプレートを貼っていることがあります。しかしながらHellowprojectさんが本ページで投稿される直前の私の編集では参考文献のひとつを調べて、ページ番号を追記しています。ほかにもページ番号を追記した編集がありますので、もし「小生の編集すべてが既存の出典を調べていない」との文意でいらっしゃるとしたら、Hellowprojectさんのご意見には同意しかねます。
  反対 次に上記のHellowprojectさんのメッセージは「既存の出典を調べていない者が、Wikipedia:Template メッセージの一覧/問題のある記事にあるテンプレートを貼り付ける編集をしてはいけない」という意味にも受け取ることもできると感じました。もしこのようなご意見のもと書かれたメッセージでしたら、このことには反対いたします。
  コメント ご意見ありがとうございます。ウィキペディアの方針にもあるようにウィキペディアは強制ではありませんので、できるときにできる記事を出典に基づき編集していきたいと存じます。

むやみにテンプレートを貼り、それを取り消せないように二段階編集されてとても記事を良くしようという感じはせず、ウィキペディアの開かれた編集を阻害しているように感じましたのでご忠告申し上げます。
— User:Hellowproject

  提案 具代的な記事の指摘がありませんので、おそらくHellowprojectさんと小生の投稿が同じ中村氏 (下野国)のことを指すのではないかと推測いたします。以下このことを前提に返信します。
  反対(誤解です) まずは中村氏 (下野国)のページで誤解を招く編集をしたことをお詫び申し上げます。
  理由 「取り消せないように二段階編集され」と記されていますが、2017年7月13日 (木) 22:45 時点の版の編集に、そのような意図は一切ありませんのでどうぞご理解くださいますようお願いします。「二段階編集」という言葉ははじめて聞きましたし、この二つ目の編集の理由は、この編集の要約欄に「参考文献を同一著者年代順に並び替え〈WP:GENREF〉」と入力しているように、2017年7月13日 (木) 22:43時点の版の編集で見逃していた参考文献の並びを訂正したかったからです。決して小生の編集を取り消さないようにするためではありません。一度目の投稿をよく確認しなかったとことについては再度謝罪いたします。
  編集者の意図を把握することは難しいことであると小生は考えております。編集者の動機を知るためにWikipedia:常に要約欄に記入するといったガイドラインがあったりするのでしょう。
もしかするとHellowprojectさんは、小生の中村氏 (下野国)に対するひとつ目の編集を取り消そうとされて、ふたつ目の編集のためエラーが出て失敗し、「Dong1jin4は自分の編集を消させないため意図的に二度に分けて投稿している」とお考えになったのではないかと小生は思います。そうお考えなられることも可能であると理解いたします。ですが中村氏 (下野国)の場合、要約欄と実際の編集に食い違いがあるわけではありませんし、一度目の投稿で見逃したわずかな差異を間を置かず再度編集するケースは、他の方の投稿を見ていてもそう不自然ではないと小生は感じます(個人の感想です)。Dong1jin4の最近の投稿記録に、わざと2回に分けて投稿しているさまが見受けられたでしょうか。たとえば南部氏2017年7月14日 (金) 22:29時点における版などは次の版で、編集した内容は全面的に無効にされているようですが小生はこれを復帰させる考えはありません。
Hellowprojectさんにおかれましては、Wikipedia:善意にとるを一度ご覧いただきますようよろしくお願いいたします。
なお、上記小生の記述は、Hellowprojectさんから具体的なページの指定がなかったため、仮定に基づき記述しております。そのため誤った認識もあるかもしれませんが、どうぞあしからずよろしくお願いします。

もう少し色々な見地をもち多種多様なジャンルに目を向け他人任せではなくご自身で記事を良くするよう加筆して頂くことを切に願います。
— User:Hellowproject

  保留 Hellowprojectさんのメッセージの中に、誤解に基づくと思われるご指摘があり、ウィキペディアの方針やガイドラインに準拠するもの、またページについて具体的なご意見がありませんでしたので、Hellowprojectさんのメッセージ全体についての小生の意見は保留とさせていただきます。メッセージを投稿してくださったことについてお礼申し上げます。以上長文失礼します。--Dong1jin4 2017年7月19日 (水) 07:48 (UTC)返信

あなたの編集について

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楠木氏ですが、あなたのこの編集から、エラーが表示される(脚注部分を参照してください)ようになっています。修正をお願いします。--Alexander Poskrebyshev会話2018年1月17日 (水) 20:02 (UTC)返信

  コメント Alexander Poskrebyshevさんへ、楠木氏ページでのエラー表示発生のお知らせをありがとうございます。ただ今日現在(2018年5月12日)楠木氏#脚注を見てもエラーがあることを確認できませんでした。
  おそらく またご指摘いただいた編集から1編集履歴がありますが、この編集は小生の編集エラーを修正するものとは関係なさそうに見えます。そうしますと、エラーは小生の編集が直接の原因ではなく、間接的な原因であり直接的には他の要因があるかもしれません(例えばテンプレートの更新など)。
  保留 つきましては、ご指摘いただいた

修正をお願いします
— User:Alexander Poskrebyshev

に関して、今回は対応は特にしないこととさせていただければと存じます。お返事遅くなりましたが以上よろしくお願いいたします。またお気づきの点がありましたらご教示ください。--Dong1jin4 2018年5月12日 (土) 13:45 (UTC)返信

塩谷氏の編集について

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塩谷氏の編集に関して、問題点を指摘するのは構わないのですが、編集が雑で、出典名そのものを削除する、あるいは、出典となる書籍の名称や発行元の名称の漢字まで書き替えてしまうような横暴な事はやめてください。説明文における漢字の扱いについては構いませんが、ソースとなる書籍や出版社などの名称を原本のものと変えてマシうと、出典名の改ざんになってしまいます。もう少し、丁寧な編集をお願いします。--Y mon会話2018年12月26日 (水) 04:45 (UTC)返信

  返信 (Y monさん宛) 利用者ページへご意見の投稿ありがとうございます。Y monが投稿された内容でよく分からない点がありましたのでご返信いたします。
Y mon会話 / 投稿記録 / 記録さんは先ほど、

出典名そのものを削除する、あるいは、出典となる書籍の名称や発行元の名称の漢字まで書き替えてしまう
— User:Y mon

と投稿しておられます。
Y mon会話 / 投稿記録 / 記録さんがおしゃった「書き替え」という言葉が当てはまるとすれば、既存の出典についてだと考えます。以下に小生の編集した版の前後を比較いたしました。
小生が投稿した版より前の参考文献節に列挙された出典は以下の通りです。
  • 矢板市史編集委員会編 『矢板市史』矢板市、1981年。
  • 矢板市教育委員会編 『ふるさと矢板のあゆみ』矢板市、1989年
  • 小暮秀夫編 『武蔵国児玉郡誌』児玉郡誌編纂所、1927年
  • 『児玉町史 中世資料編』
  • 『本庄人物事典』

塩谷氏 68574831版
小生が投稿した版の参考文献節に列挙された文献名は以下の通りです。
  • 太田亮 『姓氏家系大辞典』、上田萬年、三上参次監修 角川書店、1963年11月。 NCID BN01488361。
  • 小暮秀夫編 『武蔵国児玉郡誌』児玉郡誌編纂所、1927年。
  • 塩谷朝業顕彰会編 『塩谷朝業 : その生涯と業績』、矢板: 塩谷朝業顕彰会、1975年。
  • 柴崎起三雄 『本庄人物事典』 柴崎起三雄、2003年6月。
  • 栃木県史編さん委員会編 『栃木県史』通史編 4 (近世 1)、栃木県、1981年3月。全国書誌番号:81036790。
  • 栃木県史編さん委員会編 『栃木県史』資料編 4、[要文献特定詳細情報]。NCID BN00758121。
  • 矢板市教育委員会編 『ふるさと矢板のあゆみ : 市制30周年記念』 矢板市、1989年3月。 NCID BN04149147。
  • 矢板市史編集委員会編 『矢板市史』 矢板市、1981年3月。 NCID BN14335159。
  • 『児玉町史 中世資料編』

—塩谷氏 71073820版
背景色がついている既存の5文献については、Y mon会話 / 投稿記録 / 記録さんがおしゃった「書き替え」という言葉が当てはまる可能性があると存じます。確かに一字一句同じかといわれますと違っております。
しかしながら、

出典名の改ざん
— User:Y mon

といわれるほどの書き換えが上記マークした5文献にあるとは、当方には認識できません。
小生は「改ざん」といわれるような編集をしたいとは思いません。そして自分では気づかない間違いもあると確信しております。そこで以下の点をY mon会話 / 投稿記録 / 記録さんにお尋ねする次第でございます。
  質問 「出典名の改ざん」があるとお感じになった文献名を具体的に教えてください。また編集箇所もご指摘いただけないでしょうか。
編集の改善のため上記の質問について何卒ご回答いただきますようお願い申し上げます。--Dong1jin4 2018年12月26日 (水) 11:17 (UTC)返信