「近代」の版間の差分
Omaemona1982 (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
タグ: 取り消し |
||
(31人の利用者による、間の48版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{出典の明記 |
{{複数の問題|出典の明記=2012年1月|独自研究=2021年1月}} |
||
'''近代'''(きんだい、{{Lang-en|modern period}}〈[[モダン]]・[[ピリオド]]〉, {{En|modern times}}〈モダン・[[タイム#time|タイムス]]〉, {{En|modern age}}〈モダン・[[エイジ]]〉)とは、[[現代 (時代区分)|現代]]に近い[[時代]]<ref name="デジタル大辞泉">{{Cite web|和書|author=松村明 |date=2019-01-15 |url=https://kotobank.jp/word/%E8%BF%91%E4%BB%A3-54336#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 |title=デジタル大辞泉 |publisher=小学館 |accessdate=2019-01-15}}</ref>([[時代区分]])、または現代<ref name="デジタル大辞泉"/>。広義には「[[近世]]」と同義だが<ref name="デジタル大辞泉"/>、一般的には[[封建主義]]時代(近世)より後の[[資本主義社会]]・[[市民社会]]の時代を指す<ref name="デジタル大辞泉"/><ref>{{Cite web|和書|author=松村明 |date=2019-01-15 |url=https://kotobank.jp/word/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%A4%BE%E4%BC%9A-161802#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 |title=デジタル大辞泉 |publisher=三省堂 |accessdate=2019-01-15}}</ref>。{{see also|時代区分|世界の歴史}} |
|||
⚫ | |||
<!-- |
|||
⚫ | |||
--> |
|||
== 概説 == |
== 概説 == |
||
時代区分としての近代を象徴する要素は、[[ヴェストファーレン条約]]に始まる[[主権国家体制]]の成立、[[市民革命]]による[[市民社会]]の成立、[[産業革命]]による[[資本主義]]の成立、[[ナポレオン戦争]]による[[国民国家]]の形成など、[[18世紀]]後期以降の[[ヨーロッパ]]で成立し、現代世界を特徴付けている社会のあり方である。 |
[[時代区分]]としての近代を[[象徴]]する要素は、[[ヴェストファーレン条約]]に始まる[[主権国家体制]]の成立、[[市民革命]]による[[市民社会]]の成立、[[産業革命]]による[[資本主義]]の成立、[[ナポレオン戦争]]による[[国民国家]]の形成など、[[18世紀]]後期以降の[[ヨーロッパ]]で成立し、現代世界を特徴付けている社会のあり方である。 |
||
[[19世紀]]以後、ヨーロッパで完成したこれらの社会のシステムは、[[日本]]を初めとする欧米以外の諸国にも伝わり、世界全体を覆うようになる。こうして成立したものが、[[地球]]上のほとんど全ての人が排他的な主権国家の国民となり、国民が集まって作られた[[国家]]が構成員として参加する国際社会であった。この一連の過程が[[世界史]]における近代であり、[[近世]]以前の段階にある社会を近代的な社会に変えることを「[[近代化]](modernization)」という。 |
[[19世紀]]以後、ヨーロッパで完成したこれらの社会のシステムは、[[日本]]を初めとする欧米以外の諸国にも伝わり、世界全体を覆うようになる。こうして成立したものが、[[地球]]上のほとんど全ての人が排他的な主権国家の国民となり、国民が集まって作られた[[国家]]が構成員として参加する国際社会であった。この一連の過程が[[世界史]]における近代であり、[[近世]]以前の段階にある社会を近代的な社会に変えることを「[[近代化]](modernization)」という。 |
||
== 範囲 == |
== 範囲 == |
||
通常、「近代」は、ヨーロッパ列強の進出によって旧来の社会体制が転換された後の時代や、ヨーロッパ列強型の新国家が成立した後の時代と規定される。これに対して、「[[近世]]」は、ヨーロッパ列強が進出する前の時代や、ヨーロッパ列強型の新国家が成立する前の時代と規定される例が多い。 |
通常、「近代」は、ヨーロッパ[[列強]]の進出によって旧来の[[社会体制]]が転換された後の時代や、ヨーロッパ列強型の新国家が成立した後の時代と規定される。これに対して、「[[近世]]」は、ヨーロッパ列強が進出する前の時代や、ヨーロッパ列強型の新国家が成立する前の時代と規定される例が多い。 |
||
その他の地域の歴史の時代区分についても多くの場合、「近世」「近代」「[[現代 (時代区分)|現代]]」の区分が用いられるが、進歩史観の一種である[[唯物史観]]の適用などが絡んで様々な説が提唱されており、時代区分が定まっていないことが大半である。唯物史観を適用する場合、「近世」は[[封建主義]]時代、「近代」は[[資本主義]]時代と規定される例が多い。 |
その他の地域の歴史の時代区分についても多くの場合、「近世」「近代」「[[現代 (時代区分)|現代]]」の区分が用いられるが、進歩史観の一種である[[唯物史観]]の適用などが絡んで様々な説が提唱されており、時代区分が定まっていないことが大半である。唯物史観を適用する場合、「近世」は[[封建主義]]時代、「近代」は[[資本主義]]時代と規定される例が多い。 |
||
16行目: | 18行目: | ||
=== ヨーロッパ === |
=== ヨーロッパ === |
||
[[File:German infantry 1914 HD-SN-99-02296.JPEG|thumb|right|250px|[[第一次世界大戦]]のドイツ帝国兵]] |
[[File:German infantry 1914 HD-SN-99-02296.JPEG|thumb|right|250px|[[第一次世界大戦]]のドイツ帝国兵]] |
||
時代的な画期としては、[[西ローマ帝国]]が崩壊した[[476年]]を[[古典古代]]の終わりとする意識に対応して、[[東ローマ帝国]](ビザンチン帝国)が[[オスマン帝国]]に打倒された[[1453年]]と見なすことが多かった。これは、古代帝国の遺産である東ローマ帝国が、[[オリエント|東方]]の異質な[[文明]]を持つ[[トルコ人]]に打倒されたという事件自体の衝撃もさることながら、[[コンスタンティノポリス]](コンスタンティノープル)から[[イタリア半島]]に亡命してきた多くの学者が[[西ヨーロッパ]]の古典古代研究を刺激し、ルネサンスの人文主義隆盛のきっかけになったという実際的な面を反映していた。 |
時代的な画期としては、[[西ローマ帝国]]が崩壊した[[476年]]を[[古典古代]]の終わり(以降、[[中世]])とする意識に対応して、[[東ローマ帝国]](ビザンチン帝国)が[[オスマン帝国]]に打倒された[[1453年]]と見なすことが多かった。これは、古代帝国の遺産である東ローマ帝国が、[[オリエント|東方]]の異質な[[文明]]を持つ[[トルコ人]]に打倒されたという事件自体の衝撃もさることながら、[[コンスタンティノポリス]](コンスタンティノープル)から[[イタリア半島]]に[[亡命]]してきた多くの学者が[[西ヨーロッパ]]の古典古代研究を刺激し、[[ルネサンス]]の[[ヒューマニズム|人文主義]]隆盛のきっかけになったという実際的な面を反映していた。 |
||
しかしながら、今日では成文憲法・[[国民国家]]と[[資本主義]]といった近代を象徴する社会・経済・国家のあり方が現れた[[18世紀]]末期から[[19世紀]]前半を近代の本格的な始まりとして、東ローマ帝国滅亡からルネサンスを経て[[産業革命]]までの時代を「近世(初期近代)」として「近代」から区別する。その場合、大きな転機となった[[フランス革命]]の勃発([[1789年]])が転換点と見なされることが多い。従って、この場合はフランス革命から<!--[[東欧革命]]まで (東欧革命は現代にも区分される。ポストモダンという言葉は東欧革命以前にも使われていた。)-->が「近代」と見なされる。 |
しかしながら、今日では成文憲法・[[国民国家]]と[[資本主義]]といった近代を象徴する社会・経済・国家のあり方が現れた[[18世紀]]末期から[[19世紀]]前半を近代の本格的な始まりとして、東ローマ帝国滅亡からルネサンスを経て[[産業革命]]までの時代を「近世(初期近代)」として「近代」から区別する。その場合、大きな転機となった[[フランス革命]]の勃発([[1789年]])が転換点と見なされることが多い。従って、この場合はフランス革命から<!--[[東欧革命]]まで (東欧革命は現代にも区分される。ポストモダンという言葉は東欧革命以前にも使われていた。)-->が「近代」と見なされる。 |
||
一方で、日本の歴史学では、ヨーロッパの初期近代に当たる時代の区分として「[[近世]]」という語が広く定着しており、多くの場合、近代とはっきり区別される。 |
一方で、日本の歴史学では、ヨーロッパの初期近代に当たる時代の区分として「[[近世]]」という語が広く定着しており、多くの場合、近代とはっきり区別される。 |
||
=== アメリカ === |
|||
[[アメリカ合衆国]]においては1776年の[[アメリカ独立革命]]から[[第二次世界大戦]](もしくは[[冷戦]]終結)までが「近代」と見なされている。また、[[ラテンアメリカ]]においては19世紀前半の[[スペイン]]・[[ポルトガル]]からの独立以後が「近代」と見なされている。 |
|||
=== アジア === |
=== アジア === |
||
[[File:SepoyMutiny.jpg|thumb|right| |
[[File:SepoyMutiny.jpg|thumb|right|200 px|[[セポイの反乱]]]] |
||
アジアの歴史では、欧米列強による[[植民地化]]に着目して、[[アヘン戦争]]から |
アジアの歴史では、欧米列強による[[植民地化]]に着目して、[[アヘン戦争]]から第二次世界大戦までが「近代」と見なされている。但し、アヘン戦争前から欧米列強に植民地化されている国家(例:[[インドネシア]])が存在した点にも注意を要する。 |
||
==== 日本 ==== |
==== 日本 ==== |
||
[[日本の歴史|日本史]]では、[[応仁 |
[[日本の歴史|日本史]]では、[[応仁の乱]]以降の[[室町時代]]末期から[[安土桃山時代]](いわゆる[[戦国時代 (日本)|戦国時代]])を経て[[江戸時代]]が終わるまでを「近世」、[[第二次世界大戦]]の[[終戦の日|終結]]までを「近代」、第二次世界大[[戦後]]を「現代」と見なすことが一般的である。しかし、「近代」の始まりについては、新政府の成立に則って[[明治維新]]([[明治]]元年、[[1868年]])による[[皇室]]への[[大政奉還]]・[[王政復古 (日本)|王政復古]]とする説と、[[幕末]]の[[日米和親条約]]による[[開国]]([[嘉永]]7年、[[1854年]])とする説の2説がある。 |
||
==== 中国 ==== |
==== 中国 ==== |
||
[[中国の歴史|中国史]]では、新政府の成立に則って[[中華民国]]([[辛亥革命]]から[[国共内戦]]まで)の成立期を「近代」とする見方と、西欧列強の進出とそれに伴う社会変動に着目して、1840年の[[アヘン戦争]]から国共内戦までを「近代」とする見方がある。 |
[[中国の歴史|中国史]]では、新政府の成立に則って[[中華民国の歴史|中華民国]]([[辛亥革命]]から[[国共内戦]]まで)の成立期を「近代」とする見方と、西欧列強の進出とそれに伴う社会変動に着目して、[[1840年]]の[[アヘン戦争]]から国共内戦までを「近代」とする見方がある。 |
||
==== 朝鮮半島 ==== |
==== 朝鮮半島 ==== |
||
36行目: | 41行目: | ||
==== ベトナム ==== |
==== ベトナム ==== |
||
[[ベトナムの歴史|ベトナム史]]では、[[フランス領インドシナ|フランスによる植民地化]]([[1887年]])から[[南ベトナム|南]][[ベトナム民主共和国|北]]分断の終結([[1976年]])までが「近代」と見なされている。 |
[[ベトナムの歴史|ベトナム史]]では、[[フランス領インドシナ|フランスによる植民地化]]([[1887年]])から[[南ベトナム|南]][[ベトナム民主共和国|北]][[分断国家|分断]]の終結([[1976年]])までが「近代」と見なされている。 |
||
=== イスラム世界 === |
=== イスラムの世界 === |
||
[[File:Shipka field.jpg|thumb|right|200px|[[露土戦争 (1877年)]]]] |
[[File:Shipka field.jpg|thumb|right|200px|[[露土戦争 (1877年)]]]] |
||
[[西アジア史]]では、ナポレオンの[[エジプト遠征]]以後が「近代」と見なされている。 |
[[西アジア史]]では、ナポレオンの[[エジプト・シリア戦役|エジプト遠征]]以後が「近代」と見なされている。 |
||
== 脚注 == |
|||
{{脚注ヘルプ}} |
|||
{{Reflist}} |
|||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
* [[歴史学]] |
|||
* [[近代化]] |
* [[近代化]] |
||
* [[近代における世界の一体化]] |
* [[近代における世界の一体化]] |
||
48行目: | 58行目: | ||
* [[近代美術と現代美術]] |
* [[近代美術と現代美術]] |
||
* [[近代建築]] |
* [[近代建築]] |
||
* [[国民国家]] |
* [[国民国家]] - [[主権国家体制]] |
||
* [[国民経済]] |
* [[国民経済]] - [[資本主義]] |
||
* [[明治]] - [[大正]] - [[昭和]] |
|||
* [[18世紀]] - [[19世紀]] - [[20世紀]] |
|||
{{時代区分}} |
{{時代区分}} |
||
{{戦前日本の経済史}} |
|||
{{DEFAULTSORT:きんたい]}} |
{{DEFAULTSORT:きんたい]}} |
2024年2月2日 (金) 09:14時点における最新版
近代(きんだい、英語: modern period〈モダン・ピリオド〉, modern times〈モダン・タイムス〉, modern age〈モダン・エイジ〉)とは、現代に近い時代[1](時代区分)、または現代[1]。広義には「近世」と同義だが[1]、一般的には封建主義時代(近世)より後の資本主義社会・市民社会の時代を指す[1][2]。
概説[編集]
時代区分としての近代を象徴する要素は、ヴェストファーレン条約に始まる主権国家体制の成立、市民革命による市民社会の成立、産業革命による資本主義の成立、ナポレオン戦争による国民国家の形成など、18世紀後期以降のヨーロッパで成立し、現代世界を特徴付けている社会のあり方である。
19世紀以後、ヨーロッパで完成したこれらの社会のシステムは、日本を初めとする欧米以外の諸国にも伝わり、世界全体を覆うようになる。こうして成立したものが、地球上のほとんど全ての人が排他的な主権国家の国民となり、国民が集まって作られた国家が構成員として参加する国際社会であった。この一連の過程が世界史における近代であり、近世以前の段階にある社会を近代的な社会に変えることを「近代化(modernization)」という。
範囲[編集]
通常、「近代」は、ヨーロッパ列強の進出によって旧来の社会体制が転換された後の時代や、ヨーロッパ列強型の新国家が成立した後の時代と規定される。これに対して、「近世」は、ヨーロッパ列強が進出する前の時代や、ヨーロッパ列強型の新国家が成立する前の時代と規定される例が多い。
その他の地域の歴史の時代区分についても多くの場合、「近世」「近代」「現代」の区分が用いられるが、進歩史観の一種である唯物史観の適用などが絡んで様々な説が提唱されており、時代区分が定まっていないことが大半である。唯物史観を適用する場合、「近世」は封建主義時代、「近代」は資本主義時代と規定される例が多い。
また、「近代」という語は、「現在の政体や国際社会の時代(現代)の一つ前の時代」という意味を伴う。この為、アジア史では、第二次世界大戦終結(1945年)を境にして「近代」と「現代」に分けられている。一方、ヨーロッパ史では、第一次世界大戦終結(1918年)を境にして「近代」と「現代」に分けられていた。しかし、近年では東欧革命(1989年)を境にして「近代」と「現代」を分ける見方も増えている。
ヨーロッパ[編集]
時代的な画期としては、西ローマ帝国が崩壊した476年を古典古代の終わり(以降、中世)とする意識に対応して、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)がオスマン帝国に打倒された1453年と見なすことが多かった。これは、古代帝国の遺産である東ローマ帝国が、東方の異質な文明を持つトルコ人に打倒されたという事件自体の衝撃もさることながら、コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)からイタリア半島に亡命してきた多くの学者が西ヨーロッパの古典古代研究を刺激し、ルネサンスの人文主義隆盛のきっかけになったという実際的な面を反映していた。
しかしながら、今日では成文憲法・国民国家と資本主義といった近代を象徴する社会・経済・国家のあり方が現れた18世紀末期から19世紀前半を近代の本格的な始まりとして、東ローマ帝国滅亡からルネサンスを経て産業革命までの時代を「近世(初期近代)」として「近代」から区別する。その場合、大きな転機となったフランス革命の勃発(1789年)が転換点と見なされることが多い。従って、この場合はフランス革命からが「近代」と見なされる。
一方で、日本の歴史学では、ヨーロッパの初期近代に当たる時代の区分として「近世」という語が広く定着しており、多くの場合、近代とはっきり区別される。
アメリカ[編集]
アメリカ合衆国においては1776年のアメリカ独立革命から第二次世界大戦(もしくは冷戦終結)までが「近代」と見なされている。また、ラテンアメリカにおいては19世紀前半のスペイン・ポルトガルからの独立以後が「近代」と見なされている。
アジア[編集]
アジアの歴史では、欧米列強による植民地化に着目して、アヘン戦争から第二次世界大戦までが「近代」と見なされている。但し、アヘン戦争前から欧米列強に植民地化されている国家(例:インドネシア)が存在した点にも注意を要する。
日本[編集]
日本史では、応仁の乱以降の室町時代末期から安土桃山時代(いわゆる戦国時代)を経て江戸時代が終わるまでを「近世」、第二次世界大戦の終結までを「近代」、第二次世界大戦後を「現代」と見なすことが一般的である。しかし、「近代」の始まりについては、新政府の成立に則って明治維新(明治元年、1868年)による皇室への大政奉還・王政復古とする説と、幕末の日米和親条約による開国(嘉永7年、1854年)とする説の2説がある。
中国[編集]
中国史では、新政府の成立に則って中華民国(辛亥革命から国共内戦まで)の成立期を「近代」とする見方と、西欧列強の進出とそれに伴う社会変動に着目して、1840年のアヘン戦争から国共内戦までを「近代」とする見方がある。
朝鮮半島[編集]
朝鮮史では、大韓帝国の成立(1897年)から日本統治の終結(1945年)までが「近代」と見なされている。
ベトナム[編集]
ベトナム史では、フランスによる植民地化(1887年)から南北分断の終結(1976年)までが「近代」と見なされている。
イスラムの世界[編集]
西アジア史では、ナポレオンのエジプト遠征以後が「近代」と見なされている。