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山木ボクシングジム

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アルファボクシングジムは、東京都荒川区東日暮里にあるボクシングジムである。ムエタイキックボクシングから、国際式ボクシングジムに転ずるという日本では珍しい経緯をたどった。2011年までは山木ジム(やまきジム)の名で女子ボクシング、それもプロのみ所属であった。現在はフィットネスコースなども設けられ、これらのコースは男性も対象としている。

概略

キックボクシング

プロ・キックボクサーのウルフ隼人(本名:山木敏弘)が、自身の現役時に設立(1984年)。若者の街・下北沢の繁華街のど真ん中という好ロケーションであった。選手を続けながらジムを経営していた(キックボクシングではこれが許される)。伊原道場(伊原ジム)との関係から離れて独立し、日本ムエタイ連盟を結成し、代表となる(1987年5月25日)。日本ムエタイ連盟は、大会場でどんどんビッグマッチをうっており、1988年前後では最も力のあった団体であった。

マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟小沢一郎(当時自民党衆議院議員、現生活の党代表)・日豊企画の体制が崩れ、同連盟が半ば崩壊した1989年、山木ジムは日本ムエタイ連盟を終了し、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟に加入、トロイカ体制の一角として執行部入り。のちに山木は同連盟会長となった。港太郎・山本明・室戸みさき(3階級制覇、後のワンダーマン室戸)・伊藤隆加藤督朗ラビット関山口元気HAYATO大高一郎菅原勇介神村エリカ 輩出し、彼らを王者・世界王者にまで育てた。一時期は同ジム所属のキック王者が6・7人同時に存在していたほどである。

ボクシング

キックボクシングでの山木ジム全盛期に、山木はボクシングに注目し、ムエタイ招聘で縁のあったタイ国からボクシング男子選手を1995年前後に輸入する。これが山木ジムのボクシング初挑戦である。彼は「シンヌン山木」と命名され、日本で数試合行ったが、他の輸入選手(勇利アルバチャコフルイシト・エスピノサ)らと対照的に殆ど実績を残せなかった。なお、ジョー小泉の輸入ボクサールイシト・エスピノサとシンヌン山木は日本で直接対決したことがある(1995年5月)

JWBC設立

ついで山木は女子ボクシングに注目。1998年から、女子ボクシングの試合を同ジム主催のキックボクシング興行内で組むようになり、1999年には日本女子ボクシング協会(JWBC)を設立し、以後は女子ボクシングの単独興行として開催し続けた。同協会初代会長はマリー・スピード(豪州の元女子ボクシング選手)であったものの、実際の運営は主管ジムの山木ジムであった(特に、同ジム所属軽量級選手だった高野由美らが尽力)。同ジムは単独でプロの女子ボクシングの中枢を担い、CS放送とはいえ定期的なテレビ放映を実現し、アマチュアボクシングの実力者からプロに転じたライカ(現・風神ライカ)を始め多くの女子ボクサーを育て上げた。ライカはJWBC時代に世界王者3階級制覇している。当時の女子ボクシング興行の多くはジムの当時の所在地から至近の北沢タウンホールで開催された。

トロイカ体制が崩壊するとともにMAキック会長を退任。本格的に女子ボクシングに注力するようになった。

2006年6月10日には「山木祭り」と題して女子ボクシングとキックボクシングの興行を昼夜分けて一日で開催した。この興行が同ジムにとり一応の区切りとなった。

JPBA加盟

2007年日本ボクシングコミッション(JBC)が女子ボクシングの参加を解禁することになった。JBCは他の競技関係者がジムに関与することを禁止している。反面、山木ジムはキックボクシングジムとしての顔もあり、結論が注目されたが、同ジムはキックボクシングを完全に辞め、女子ボクシング専門ジムとなることを決意。懸念されたプロ女子ボクシングの分裂は避けられ、従来のプロ女子ボクシングの人気選手がそっくりそのままJBC傘下に移行することになった。JBCによる実際の解禁まで、JWBCの活動は停止され、選手たちは自主興行という形で単独興行を行った。

2008年、女子解禁とともに、山木ジムはJBC傘下となり、日本プロボクシング協会(JPBA)に加盟した。女子ボクシングの普及に貢献したことを理由に、新日本木村ボクシングジム会長で協会長経験者木村七郎の尽力で、女子ボクシング専門で活動することを条件として加盟料1000万円は特例で免除された。その後下北沢を去るも、至近の世田谷区若林に移転した。

2008年、2月26日、JBC・JPBA加盟後初の主催興行を開催。テレビ埼玉での中継もされたメインイベントでは天海ツナミが日本人初のWBA女子世界王座獲得を果たした。

移転・改称

2012年、ジムを現在地に移転。それと同時にジム名も「アルファボクシングジム」へと改称し、それまでの女子プロボクサー育成専門からフィットネス・スポーツ・キッズ・シニア各コースも設けられた総合ボクシングジムへと生まれ変わった。

主な所属選手

世界王者

現所属選手

B級選手

C級選手

過去の選手

いずれも山木ジム時代

以上はJWBC時代の所属

書籍

女子ボクシング

  • 来家恵美子(風神ライカ)『私は「居場所」を見つけたい』ISBN 978-4104518012

キックボクシング

  • 山木敏弘『ムエタイ』(鹿砦社) 山木ジム6周年記念出版
  • 会津泰成『天使がくれた戦う心(チャイ)』 ISBN 978-4795840621 第10回Sports Graphic Number スポーツノンフィクション新人賞」受賞作。タイの絶対的な格差社会と一人の若者の自立。

映画

  • 映画『日本女子プロボクシングの夜明け』(2009年) - ほぼ自主上映のような形で公開

ビデオ

キックボクシング時代に多数ある。クエストより発売。

DVD

  • 『風神見参 ライカタイフーン』(レーヴ) - これは選手の自主興行(2007年11月10日)を収録したもの。
  • 日本女子プロボクシングの夜明け(前述の映画。DVDはローランズ・フィルムから発売)

関連項目

外部リンク