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ドーファン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドーファンの紋章

ドーファン(Dauphin)は、フランス国王法定推定相続人(皇太子)の称号。正式には「ヴィエノワのドーファン」(dauphin de Viennois)という。1350年から復古王政期まで用いられた。1791年立憲王制期と1830年からのオルレアン朝ではプランス・ロワイヤルフランス語版と改称された。

起源[編集]

ドーフィネの紋章

ヴィエンヌ伯ギーグ8世はイルカ紋章を用いていて、ル・ドーファン(le Dauphin, フランス語でイルカ)の異名を持っていた。「ヴィエノワのドーファン」の称号はアルボン伯の家系によって受け継がれてきたが、嗣子のないアンベール2世1349年ドーフィネと呼ばれるようになっていた荘園をフランス王フィリップ6世に売却した際、以後はフランス王位の相続人のみがドーファンの称号を用いるという取り決めがなされた。一方、他にドーファンの称号を使っていたヴィエンヌ伯家の分家であるオーヴェルニュ伯の子孫は「オーヴェルニュのドーファン」(ドーファン・ドーヴェルニュ、dauphin d'Auvergne)の称号を保持・使用し、それはフランス革命まで続いた。

最初にドーファンの称号を与えられたフランス王子はフィリップ6世の孫シャルル5世であった。売却交渉の当時、法定推定相続人であったのはフィリップ6世の息子のノルマンディー公ジャン(後のフランス王ジャン2世)であり、ジャンの所領となることが念頭に置かれていたが、フィリップ6世が亡くなったため、ジャンの息子シャルルに与えられることになった。この称号はおおよそイングランドにおけるプリンス・オブ・ウェールズに相当するものである。1461年以前は正式には「神の恩寵による、ヴィエノワのドーファン、ヴァランティノワおよびディオワの伯爵」(par la grâce de Dieu, dauphin de Viennois, comte de Valentinois et de Diois)といった。当時のヴィエンヌは神聖ローマ帝国領であり、シャルルは成人した後、叔父である神聖ローマ皇帝カール4世にヴィエンヌに関する臣従礼を捧げた。

ヴァロワ=アングレーム朝の祖フランソワ1世は、父の従弟(従叔父)であるヴァロワ=オルレアン家ルイ12世から王位を継承したが、ドーファンの称号は授かっていなかった。また、ルイ14世の治世には、ドーファン・ド・ヴィエノワではなく、ドーファン・ド・フランスと呼ぶようになった。

歴代のドーファン一覧[編集]

画像 名称 継嗣と定めた王 出生 ドーファンとなった年月 ドーファンでなくなった理由 死去 ドーファン以外の称号 即位名 ドーフィヌ(皇太子妃)
シャルル・ド・フランス、初代ドーファン・ド・フランス ジャン2世 1338年1月21日 1350年8月22日 1364年4月8日
王として即位
1380年9月16日 ノルマンディー公 シャルル5世 ジャンヌ・ド・ブルボン
ジャン・ド・フランス、第2代ドーファン・ド・フランス シャルル5世 1366年6月7日 1366年12月21日 - -
シャルル・ド・フランス、第3代ドーファン・ド・フランス シャルル5世 1368年12月3日 1380年9月16日
王として即位
1422年10月21日 シャルル6世 -
シャルル・ド・フランス、第4代ドーファン・ド・フランス シャルル6世 1386年9月26日 1386年12月28日 - -
シャルル・ド・フランス、第5代ドーファン・ド・フランス シャルル6世 1392年2月6日 1401年1月13日 ギュイエンヌ公 - -
ルイ・ド・フランス、第6代ドーファン・ド・フランス シャルル6世 1397年1月22日 1401年1月13日 1415年12月18日 ギュイエンヌ公 - マルグリット・ド・ブルゴーニュ
ジャン・ド・フランス、第7代ドーファン・ド・フランス シャルル6世 1398年8月31日 1415年12月18日 1417年4月5日 トゥーレーヌ公 - ジャクリーヌ・ド・エノー
シャルル・ド・フランス、第8代ドーファン・ド・フランス シャルル6世 1403年2月22日 1417年4月5日 1422年10月21日
王として即位
1461年7月22日 ポンティユー伯 シャルル7世 -
ルイ・ド・フランス、第9代ドーファン・ド・フランス シャルル7世 1423年7月3日 1461年7月22日
王として即位
1483年8月30日 ルイ11世 マルグリット・デコス;
シャルロット・ド・サヴォワ
フランソワ・ド・フランス、第10代ドーファン・ド・フランス ルイ11世 1466年12月4日 - -
シャルル・ド・フランス、第11代ドーファン・ド・フランス ルイ11世 1470年6月30日 1483年8月30日
王として即位
1498年4月7日 シャルル8世 -
シャルル=オルラン・ド・フランス、第12代ドーファン・ド・フランス シャルル8世 1492年10月11日 1495年12月16日 - -
シャルル・ド・フランス、第13代ドーファン・ド・フランス シャルル8世 1496年9月8日 1496年10月2日 - -
フランソワ・ド・フランス、第14代ドーファン・ド・フランス シャルル8世 1497年7月 - -
フランソワ・ド・フランス、第15代ドーファン・ド・フランス フランソワ1世 1518年9月28日 1536年8月10日 ブルターニュ公 - -
アンリ・ド・フランス、第16代ドーファン・ド・フランス フランソワ1世 1519年3月31日 1536年8月10日 1547年3月31日
王として即位
1559年7月10日 オルレアン公、ブルターニュ公 アンリ2世 カトリーヌ・ド・メディシス
フランソワ・ド・フランス、第17代ドーファン・ド・フランス アンリ2世 1544年1月19日 1547年3月31日 1559年7月10日
王として即位
1560年12月5日 スコットランド王配 フランソワ2世 マリー・デコス
ルイ・ド・フランス、第18代ドーファン・ド・フランス アンリ4世 1601年9月27日 1610年5月14日
王として即位
1643年5月14日 ルイ13世 -
ルイ=デュードネ、第19代ドーファン・ド・フランス ルイ13世 1638年9月5日 1643年5月14日
王として即位
1715年9月1日 ルイ14世 -
ルイ、グラン・ドーファン、第20代ドーファン・ド・フランス ルイ14世 1661年11月1日 1711年4月14日 - マリー・アンヌ・ド・バヴィエール
ルイ、プティ・ドーファン、第21代ドーファン・ド・フランス ルイ14世 1682年8月16日 1711年4月14日 1712年2月18日 ブルゴーニュ公 - マリー・アデライード・ド・サヴォワ
ルイ・ド・フランス、第22代ドーファン・ド・フランス ルイ14世 1707年1月8日 1712年2月18日 1712年3月8日 ブルターニュ公 - -
ルイ・ド・フランス、第23代ドーファン・ド・フランス ルイ14世 1710年2月15日 1712年3月8日 1715年9月1日
王として即位
1774年5月10日 アンジュー公 ルイ15世 -
ルイ・ド・フランス、第24代ドーファン・ド・フランス ルイ15世 1729年9月4日 1765年12月20日 - マリー=テレーズ=ラファエル・ド・ブルボン;
マリー=ジョゼフ・ド・サクス
ルイ・オーギュスト・ド・フランス、第25代ドーファン・ド・フランス ルイ15世 1754年8月23日 1765年12月20日 1774年5月10日
王として即位
1793年1月21日 ベリー公 ルイ16世 マリー・アントワネット・ドートリッシュ
ルイ=ジョゼフ・ド・フランス、第26代ドーファン・ド・フランス ルイ16世 1781年10月22日 1789年6月4日 - -
ルイ・シャルル・ド・フランス、第27代ドーファン・ド・フランス ルイ16世 1785年3月27日 1789年6月4日 1791年10月1日
プランス・ロワイヤルと改称
1795年6月8日 ノルマンディー公 ルイ17世 -
ルイ・アントワーヌ・ド・フランス、第28代ドーファン・ド・フランス シャルル10世 1775年8月6日 1824年9月16日 1830年8月2日
王として即位/退位
1844年6月3日 アングレーム公 ルイ19世 マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス
画像 名称 継嗣と定めた王 出生 ドーファンとなった年月 ドーファンでなくなった理由 死去 ドーファン以外の称号 即位名 ドーフィヌ(皇太子妃)

関連項目[編集]