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ノート:望月圭介

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本文中に「息子が忠海町町だったので・・・」とありますが、 昭和20年に刊行された「望月圭介伝」には、娘は3人居たと ありますが、息子が居たとは書かれていません。 逆に、「望月圭介伝」P532で、 「女児のみで男児の1人もない君は・・・(略)」 と書かれています。 当時の忠海町長の望月忠吉が圭介の息子としているのは、多くが 大久野島関連のホームページですが、この食い違いはどういうこと なのでしょうか?

(3月29日追加)「望月圭介伝」P24に、以下の記述を見つけました。 「善三郎(注:圭介の祖父)智恵(同 祖母)の間には、東之助(圭介の父)、源九郎、チヨの 二男一女がある。(中略)チヨは同族(注:望月)善太郎へ嫁し、その孫に当たる同苗忠吉は、 広島県忠海町町長を三期勤続、後に三原市の助役になった」 元ネタが「望月圭介伝」だけなので、確実性に関しては担保できませんが、 居ないはずの息子が忠海町長を出来るとも思えないので、もう少し、確実な出典を 探ってみます。

--Syoukodou会話2017年9月30日 (土) 17:24 (UTC)syoukodou(2017年10月1日追加)知らない間に記事が大きくなっていて驚いたのと同時に 記事を編集して頂いた方に心から感謝申し上げます。[返信]

上の方で触れた「望月忠吉が『・・・後に三原市の助役になった』という記述ですが、 三原市史第3巻に「歴代助役」について触れている項目があり、 三原市立図書館に所蔵されている当該書籍を確認したのですが実は、この歴代助役の中に 望月忠吉の名前はありませんでした。

これについては、三原市に市制が敷かれたのが1936年(昭和11年)で、 それより前の「御調郡三原町」の時代に助役になっていたのを丸めて 「三原市(現在の)助役になった」 と記載したのでは・・・ と、推測したのですが確実な一次資料が存在しないので調べる手がかりが ないのが現状です。

--Syoukodou会話2013年3月28日 (木) 04:37 (UTC)syoukodou[返信]