コンテンツにスキップ

ヨスン・テムル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヨスン・テムル(月仙帖木児/Üsen temür、生没年不詳)は、13世紀前期の天山ウイグル王国イディクート(Īdï Qūt、亦都護)[1]

生涯

[編集]

国王(イディクート)であるヨスン・テムル(月仙帖木児)はカラ・イカチ・ブイルク(哈剌亦哈赤北魯)を唆里迷国(焉耆国)から召集し、断事官(ジャルグチ)[2]に任命した。

ヨスン・テムルが亡くなると、子で年少のバルチュク・アルト・テギンがイディクートを継いだ[3]

天山ウイグル王家

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ イディクート(Īdï Qūt)とは天山ウイグル王国の王号である。テュルク語でïdïqとは「神から贈られた」「至福の」「神聖な」という意味で、qūtとは「息」「魂」「生命」から転じて「幸福」「吉祥」という意味である。バルトールドによるとこの称号はバシュキル族の首長の名でそれを受け継いだものだという。<村上 1976,p84>
  2. ^ 13・14世紀のモンゴル支配時代に設置された遊牧的官職で、モンゴル・チュルク語で法務関係者をいう。 裁判、訴訟、法廷を意味する語に人を表す接尾辞-chiがついた形。 中国文献では「断事官」と訳されたように、刑事・裁判事務にとどまらず、広く民事、治安、行政などの決裁にも携わった。
  3. ^ 『元史』巻124列伝11哈剌亦哈赤北魯伝,「哈剌亦哈赤北魯、畏兀人也。性聡敏、習事。国王月仙帖木児亦都護聞其名、自唆里迷国徴為断事官。月仙帖木児卒、子巴而朮阿而忒亦都護年幼、西遼主鞠児可汗遣使拠其国、且召哈剌亦哈赤北魯、至則以為諸子師。巴而朮阿而忒聞太祖明聖、乃殺西遼使、更遣阿隣帖木児都督等四人使西遼。阿隣帖木児都督者、哈剌亦哈赤北魯婿也」

参考文献

[編集]
  • 元史』巻124列伝11哈剌亦哈赤北魯伝
  • 村上正二訳注『モンゴル秘史 3巻』平凡社、1976年
先代
 ?
天山ウイグル王国の国王
 ? 年 - ? 年
次代
バルチュク・アルト・テギン