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利用者‐会話:ヒトナミ

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ファイル:Michitane souma.png ライセンス記載のお願い

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ファイル:Michitane souma.png のアップロードありがとうございます。しかしながら、ファイル:Michitane souma.pngにライセンスの記載がありません。ヒトナミ さんが同時にアップロードした画像にはライセンス表記がされているので、単なる記載忘れと思われます。

お手数ですが、ファイル:Michitane souma.png へのライセンス表記をお願いいたします。--Yelm 2009年3月21日 (土) 12:57 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございました。まさに記載忘れでして、一番大切なところなのにうっかりしておりました。最初にアップロードした二つのファイルへのメンテナンスにも感謝いたします。早速訂正いたしました。今後はお手数をおかけしないように気をつけますね。--ヒトナミ 2009年3月21日 (土) 13:12 (UTC)[返信]

旗巻峠の戦いについて

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はじめまして、廉と申します。ヒトナミさんが執筆された旗巻峠の戦いを拝見しました。大変な力作だと感じました。ところですでにご存じかも知れませんが、只今Wikipedia:執筆コンテスト/第五回執筆コンテストのエントリー記事を募集中です。よろしければエントリーをご検討いただけないでしょうか。きっと高い評価が得られると思います。-- 2009年4月20日 (月) 10:22 (UTC)[返信]

はじめまして、ヒトナミです。執筆コンテストについては、すでに磐城の戦いでエントリーをしておりまして、似たような戊辰戦争の記事をエントリーするのは審査する人に二度手間をかけるかなと考えておりました。とはいえ、エントリーが記事の向上につながることは承知していますので、優柔不断に悩んでいるところでした。エントリー期間の終了までに考えを決めたいと思います。現在は、まだ図説の追加など記事の改良点が目に付くので、まずはそれを満たしつつエントリーについては考えさせてください。この度は、力作と評価していただいたことも含めて嬉しいお誘いをありがとうございました。(私のWikipediaへの参加動機は、龍伯さんの南北戦争の翻訳記事を読み、日本の戊辰戦争も同じぐらい充実させたいところからきてます。今回の記事がそれに少しでもつながればいいのですが)--ヒトナミ 2009年4月20日 (月) 12:57 (UTC)[返信]
磐城の戦いとの兼ね合いについては見落としていました。すみません(自分がエントリーしたB・C分野にしか目が行っていませんでした)。確かに1つの記事に絞った方がいいという考え方も十分にあり得ますよね。エントリーについてはヒトナミさんのご判断を尊重したいと思います。磐城の戦いについて言えば、3月のWikipedia:月間強化記事賞にエントリーをすればそちらでもかなり有力だったと思います。今後大幅な加筆をされた際には是非、月間強化記事賞へのエントリーをご検討ください。戊辰戦争の戦いを充実させるという試みは大変素晴らしいことだと思います。新着記事に選ばれた野辺地戦争もいい記事ですね。-- 2009年4月20日 (月) 13:34 (UTC)[返信]
なるほど月間強化記事賞ですか、気がつきませんでした。今後納得のできる加筆ができた記事がありましたら、是非そうさせていただきますね。--ヒトナミ 2009年4月21日 (火) 10:21 (UTC)[返信]

磐城の戦いより

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こんにちは ikedat76と申します。磐城の戦い旗巻峠の戦いとヒトナミさんの執筆された記事を拝見し、見事な記事だといつも感銘を受けております。

さて、磐城の戦いの戦いも常にも勝る力作ですが、文献参照まわりに多少手を入れさせていただきました。その際気づいたことですが、若干の遺漏があるようです。

  • 注3、23: 「戊辰役戦史」とありますが、大山柏の「補訂 戊辰役戦史」とは別の文献でしょうか
  • 注8、13、16、17、27、31: いずれも「参考文献」節に書誌がありません
  • 注23: 「仙台戊辰史」とありますが、「参考文献」節に書誌がありません
  • 注26、40、43、45、50: 「戊辰戦争事典」とありますが、参考文献には「戊辰戦争事典」とつく文献が2点あります。それぞれどちらを指しているのでしょうか

細かいようですが、より完成度の高い記事となることを願ってのこととお考えいただけると幸いです。よろしくご検討ください。--ikedat76 2009年5月31日 (日) 00:36 (UTC)[返信]

旗巻峠の折も脚注を修正していただいて感謝しておりましたが、今回は磐城の戦いまで手直ししていただきまして、感謝するとともに何から何までお世話になって恐縮しております。元の記事の参考文献の示し方がいい加減だったため、二重にお手間を取らせて申し訳ありません。
  • 注3と23は補訂の付け忘れで「補訂 戊辰役戦史」と同一の文献です
  • 注8、13、16、17、27、31については「補訂 戊辰役戦史」などで「○○において、△△という記録がなされていた」と紹介された文献で、その○○を記載していました。ですが、原本を検証した内容ではないのでそれらの文献名を掲載するのは今にして思えば違和感ありますね。引用元に関わらず、記述の検証可能な文献に変えることにします
  • 注23: 「仙台戊辰史」も上記と同様に引用元であり、一次資料になってしまいますので、引用した文献の名前にとどめたいと思います
  • 注26、40、43、45、50:最初は『幕末維新戊辰戦争事典』のみで書いていたため、省略した書き方をしていましたが、後に戦後の処分を書こうと「戊辰戦争事典」と名のつく文献を深く考えずに併記してしまっておりました。うっかりというか、最初の段階でしっかりと略さず書けば避けられただけに混乱させて申し訳ないです
脚注の書き方については、磐城の戦いで参加した第5回執筆コンテストでもかなりの数の指摘を受けました。全てごもっともで、自分の手で直す必要を感じておりましたが、昨年度締めの事務仕事の慌しさで手をつけられず、今回もikedat76さんの手を煩わせてしまいました。申し訳なさとともに、他人の手直しが入るWikipediaのありがたみを感じております。今回、ここまで形を整えてもらえましたので、せめてこの先は参考文献を今一度見直しつつ、自らの手で脚注の適切な記載と内容の整理に着手いたしたいと考えております。--ヒトナミ 2009年5月31日 (日) 11:21 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございました。これからも良質の記事を楽しみにしております。--ikedat76 2009年5月31日 (日) 13:13 (UTC)[返信]