コンテンツにスキップ

利用者‐会話:星組背番号10

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

/対応済みの内容

ウィキペディアにようこそ![編集]

こんにちは。はじめましてSuisuiと申します。ウィキペディアへようこそ!

ウィキペディアで活動する際にはWikipedia:ガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。よろしければ 自己紹介してみてください。利用者:星組背番号10は、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。執筆の際には中立的な観点および著作権 にご留意ください。何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。

Welcome to Japanese Wikipedia. If you are not a Japanese-speaker and expect further information, visit Wikipedia:Chatsubo for non-japanese-speakers. Enjoy!

なお、このメッセージは主に利用者‐会話ページに何も記入されていない方に投稿しておりますので、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、お詫びいたします。--Suisui 2005年4月20日 (水) 10:32 (UTC)[返信]

こんにちは![編集]

辻堂の加筆お疲れさまでした。勝手ながらwikipedia:月間強化記事賞にエントリーさせていただきました。ご自分が加筆されたものはもちろん、ほかの利用者の方の優秀な加筆に投票いただければ幸いに存じます。--Siyajkak 2007年12月18日 (火) 06:54 (UTC)[返信]

月間強化記事賞の投票ありがとうございました。おかげさまで盛況に終えることができ心から感謝いたします。これからも良質な加筆をしていただき、投票にもいらしていただければ幸甚です。---Siyajkak 2007年12月20日 (木) 15:27 (UTC)[返信]

こんにちは[編集]

初めまして。な~~~~~~んの用事もありません。単に名前の似た人を発見して嬉しくなって挨拶に来ただけです。同じ発想をする人が居たなんて。どこかでお会いすることになりましたら、よろしくお願い申し上げます。--背番号9 2008年4月26日 (土) 07:45 (UTC)[返信]

背番号9さん、初めまして。お名前、同じ発想ですね。私の番号は、木田勇さんが大洋にいた時の番号が由来です。こちらこそ、また何かの節には、よろしくお願い申し上げます。--星組背番号10 2008年4月26日 (土) 17:31 (UTC)[返信]

Cronuよりご連絡[編集]

初めまして。Cronuです。

星組背番号10さんより頂いたコメントは、Cronuの会話ページにお返事しましたのでご確認ください。--Cronu 2010年12月15日 (水) 16:36 (UTC)[返信]

仙石原について[編集]

星組背番号10さん、はじめまして。仙石原の脚注に『新編相模』と加筆いただきましたが、これは新編相模国風土記稿のことでしょうか? もしそうでしたら、利用者の更なる理解へと繋げるため内部リンク化したいと思います。--Batholith 2011年1月16日 (日) 14:06 (UTC)[返信]

はじめまして、Batholithさん。ご指摘のとおりです。内部リンク化します。--星組背番号10 2011年1月16日 (日) 15:05 (UTC)[返信]
やはりそのことでしたか。早速のご対応ありがとうございました。--Batholith 2011年1月16日 (日) 15:10 (UTC)[返信]


「ファイル:大山観光電鉄 おおやま号.jpg」がコモンズへ移動されました[編集]

ウィキペディア日本語版にアップロードして頂いたファイル:大山観光電鉄 おおやま号.jpgですが、このたびウィキメディア・コモンズcommons:File:Oyama Cable Car.jpgへ移動されました。 この移動によりあなたの投稿されたファイルは、ウィキペディア日本語版だけでなく、他の言語版やその他の姉妹プロジェクトなどでもより広く利用することが可能になりました。

なお、この移動の後、ウィキペディア日本語版に残っている元のファイル:大山観光電鉄 おおやま号.jpgは、Wikipedia:即時削除の方針#ファイル1-5に従いまもなく削除されますので併せてお知らせいたします。--60.42.201.198 2011年2月15日 (火) 12:22 (UTC)[返信]

箱根新道の償還期限について[編集]

はじめまして、rayplusです。 「箱根新道」の記事において償還期限の延長がされた旨を記述されているようですね。ですが、日経新聞の報道などによると2011年7月26日から恒久的に無料化されるようです。どちらが正しいのでしょうか。私からNEXCO中日本にメールで問い合わせをしてみましたがまだ返事が来ないので、星組背番号10さんにおいても確認していただけると幸いです。--以上の署名のないコメントは、rayplus会話投稿記録)さんが 2011年6月11日 (土) 15:03(UTC) に投稿したものです(星組背番号10による付記)。

rayplusさん、初めまして。お尋ねいただいた箱根新道の償還期間につき当該編集にて、「2036年1月30日まで」と追記しましたが、転記誤りがあったため「2012年1月30日まで」へ訂正します。出典元(2011年(平成23年)3月31日『官報』号外第68号pp.53-108にて公告された『中日本高速道路株式会社公告第14号「高速道路の料金の額及び徴収期間の変更公告」』)を再確認したところ、正しくは2012年(平成24年)1月30日でした。大変失礼しました。また、日経新聞との整合性についての、私の考えは以下のとおりです。
「7月25日に建設費の償還が完了する」の記事について
延長前の日付である理由は不明です。結果的に、下記の恒久無料化を実施することで、2012年1月30日への償還日の延長自体が形式的な手続きとなってしまうため、従前の日付を記載しても実害ないと(日経またはNEXCO中日本が)判断し、この記事の表現としたのかもしれません。
「恒久的に無料化」の記事について
箱根新道#料金にあるとおり、無料化社会実験の終了日は「中日本高速道路株式会社が別に定める日まで」であるため、この「別に定める日」を料金徴収期間の最終日と定めることで、実質的に恒久無料化するのではないかと推測します。--星組背番号10 2011年6月12日 (日) 05:55 (UTC)[返信]
星組背番号10さん、確認と訂正ありがとうございます。私のほうで日経新聞へ質問メールを送りましたので、NEXCO中日本とあわせて回答があり次第こちらでお知らせします。--Rayplus 2011年6月12日 (日) 10:59 (UTC)[返信]
NEXCO中日本お客さまセンターから「平成23年3月31日の中日本高速道路株式会社公告第14号(号外第68号87ページ)の箱根新道の料金徴収期間につきましては、…「平成23年7月25日まで」とすべきところ、「平成24年1月30日まで」との記載となっていますが、当該記載は誤記です(現在、訂正公告準備中)。」との連絡がありました。訂正公告が出ましたら、記事へ補記対応をする予定です。--星組背番号10 2011年8月13日 (土) 06:42 (UTC)[返信]
平成23年中日本高速道路株式会社公告第14号の訂正公告が出され(2011年8月25日『官報』本紙32ページ)、料金徴収期間が平成23年7月25日までへ訂正されましたので、当該記述につき除去いたしました。--星組背番号10 2011年9月27日 (火) 15:28 (UTC)[返信]

ウィキソースのご案内[編集]

こんにちは。ここ数日法律の記事を立項されていますが、そのいずれも法文しか中身がないようですので、姉妹プロジェクトであるウィキソースへの移動を提案させていただきました。この先も似たような投稿スタイルで法律記事を立項されるのでしたらウィキペディアではなくウィキソースへ投稿されることをおすすめします。--きゅっきゅっきゅっニャー 2011年8月12日 (金) 16:34 (UTC)[返信]

きゅっきゅっきゅっニャーさん、初めまして。アドバイスありがとうございます。なお、投稿内容は、主務官庁が官報掲載している「法令のあらまし」を参照していました。「あらまし」であるため、概略だと思っていたのですが、実態は法文そのものと大差なかったようです。--星組背番号10 2011年8月13日 (土) 06:42 (UTC)[返信]

長谷川久一での編集に関して[編集]

初めましてササニシキです。

星組背番号10さんは内務官僚で警視総監を務めた長谷川久一を海軍軍人だとし、海軍関係の戦没者叙勲として、勲八等白色桐葉章を賜ったとしていますが[1]、長谷川の経歴を見れば明らかなように彼は内務官僚であり海軍軍人ではありませんし、海軍で勤務したこともありません(当然、海軍軍属でもない)。長谷川久一が海軍軍人だとする根拠は何なのか教えていただけませんか?どうも私には同姓同名の別人と勘違いしているだけに思えるのですが。--ササニシキ会話2019年8月22日 (木) 03:05 (UTC)[返信]

(追記)秦郁彦 『日本陸海軍総合事典』 東京大学出版会 も調べましたが、旧内務官僚の長谷川久一のことは一切書かれていません。他の書籍を調べましたところ、『産経日本紳士年鑑』の第二巻に、京大理学部出身で長谷川鉄工の社長であった長谷川久一という人物が確認出来ました。海軍と関係があるとすれば長谷川鉄工社長の長谷川久一ではないかと思います(この場合でも、長谷川鉄工社長の長谷川久一は海軍軍人ではありません)。--ササニシキ会話2019年8月22日 (木) 03:31 (UTC)[返信]

出典元(官報)を確認したところ、長崎県を本籍とする方でした。ご指摘のとおり同姓同名の別人である可能性が大きいため、当該記述を除去します。確認にお手間を取らせ、申し訳ございませんでした。--星組背番号10会話2019年8月23日 (金) 17:14 (UTC)[返信]
星組背番号10さんの迅速な対応に感謝します。--ササニシキ会話2019年8月24日 (土) 07:37 (UTC)[返信]